☆☆☆

トランス


 それを調子がいいと言うのかどうかは分からないが、ライブなどでの演奏の際にスルスルと湧き出るように吹けることがある。それは突然やって来る。達郎氏のツアーでも一度、美奈子さんのステージでも一度あった。自分のバンドでも一度あった。その時何を考えていたかなど、大した意味は持たない。考えてはいなかったような気がする。トランス状態に近い。美奈子さんのステージではそれが際立っていて、自分の吹いている姿を俯瞰している、上からの目線で自分の姿が見えた。そんなバカなと思われるかも知れないが、幽体離脱だと思えた。その時に周りの音がどうだったのかというのも大きな意味は成さない。そりゃ、もちろんガタガタのサウンドであれば別だが、割合どうでもいいと思える。道が砂利だらけだろうと、ぬかるみだろうと関係はない。体が地上から何センチか離れているようなものだから、歩くのに全く問題は無いってなものだ。そういったことを一度でも経験すると、当然のようにもう一度と考える。しかし、そう考えた時点で次は来ない。何も考えず無の状態とでもいうような無意識が呼び込んでくれるらしい。説明は難しいのだが、自分が音そのものになったような感覚とでも言えばいいだろうか。それは本番にだけに来るのではなく、時おり練習中に訪れたりする。練習中は集中の度合いが違うから、ほんの数小節だったりするが、それでも夢中になって吹いているときに来る。それで、あれっ、今何吹いたんだっけ、と思い出そうとするが、その通りには反復できずガッカリすることが多い。一緒に演奏するメンバーの力量を重要視する向きもあるけど、あまり関係がないような気がする。つんざくような爆音でない限り問題はない。いわゆる歴史上の達人たちというのは、そこに到達するコツを知っていたに違いない。むかし、ブルース歌手のシル・ジョンソンのツアーに参加した。彼の歌はバンドを引き込む力があった。歌を聴いていると自然にリズムが見えるような気がした。日に日にバンドのサウンドは良くなり、いつの間にかシル・ジョンソンのサウンドになった。そうなんだ。いいソリストは周りを巻き込んで行くのだ。トランス状態がいつでも来るわけではないにしても、前に立ってソロを吹くと周りが巻き込まれて行く。「こっち行くぞ」「おおーっ」てな具合に。そうなればこんな楽しいことはないし、そういうプレイヤーになりたいと思う。

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バジル


 今年もバジルを植えた。もういいかと毎年思ったりするが、かなり立派な苗を見つけてつい手が出た。



 ついでにというか他のハーブ類も植えた。それぞれの使い道など一つか二つの料理でしか知らないのだけど、タイムなどはひき肉料理に使うと実に香ばしくレストランの味になる。



 パセリとローズマリーも参加させた。



 むかし日本語の上手なイタリア人が周りにいて、スパゲティのことを喜々として語るを聞いた。「なんてったてさ、茹で立てのスパゲティにバターを放り込んでね、後はシソとパセリのみじん切りを加えて混ぜるだけで美味しいんだよ、やってみ」。ようするにバジルスパゲティの代わりなんだが、当時はバジルなど見かけることもなかったから、バジルスパゲティは未知の領域だった。しかしながらイタリア人が言うのだからそれも有りなんだろうと度々食した。それがお洒落なことだったかどうかはさて置き、若い頃というものは西洋かぶれっぽいことをやってみたくなるものなのだ。サイフォンで淹れるコーヒーが本格的だと聞けば、アルコールランプと器具一式を揃え、ボコボコと音をたてながらコーヒーが出来上がるの今か今かと凝視した。味の違いが分かるかといえば、そんなことはどうでも良く、サイフォンでコーヒーを淹れていることが大事だったのだ。そんな風だから、布製のフィルターを洗うことなどが面倒になり、その内サイフォンブームは静かに終わりを告げた。これだったらいいだろうとドリップ式に移行したが、ま、味音痴なのか、どれも大した変わりがあるとは思えないまま、いつの間にかメリタのコーヒーメーカーがそれに取って代わり定着することになった。以前はスパゲティの有名メーカーとしてはブイトーニが筆頭だった。オーマイとかママーでないことが重要だった。ま、これも味に大差があるわけではないけど、そこの所を押さえておかないと通であるような顔はできなかった。無理しちゃって的な若いころの思い出は妙に頑張っているところが可笑しい。

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 雑然とした写真だけど、小さな花の下にはこぼれ落ちてきた桜の花びらが敷き詰められている。みんなで「春でございます」と言っているようにも見える。



 池袋の暴走事故は痛ましい。運転していた爺さんはアクセルが戻らなかったなどと言っているが、どうしてブレーキを踏まなかったんだという疑問が誰にでも湧く。足を悪くして歩行も危うかったらしいから、本人はアクセルを緩めているつもりでも、実は踏みっぱなしの状態になっていたと考えるのが妥当だ。足の感覚がないわけだからブレーキの踏みようもなかったことになる。それか、ブレーキを踏んでいるつもりでアクセルから足が離れていなかった。ま、憶測だが、体の異変に気付かなかったというか、認めたくない気持ちは何となく察することも出来るわけだ。本人もパニックだっただろうけど、同乗していた奥さんにとっては人生の最終コーナーで見た有り得べからざる恐ろしい悪夢だっただろう。かく言うこちらも運転はするわけだが、歳を取って若い頃は考えられないほど慎重になった。第一スピードを出したくない。高速道路で3車線あれば、ほぼ中央の車線をのんびり走る。そうする方が平和な気分になれるのだ。むかし東北道で速度超過、それも49キロオーバーで、裁判所の係官に「これね、50キロオーバーだと反則金がね、12万円になるんですよ。ま、それでも今回は7万円なんだけどね」とお叱りを受けたことなど嘘のようだ。昨夜は肝を潰すような事があった。暗い道路で横断歩道上に何か光る物体が見えた。車がこちらを向いているようにも見えたから「おっ、逆走か」と思い、避けようと反対車線にハンドルを切ったときに見えたのは横断歩道上に停まっている大きいバイクだった。道路を塞ぐような停め方だから思わず急ブレーキ。「なんだよ、なんだよ」ってなもので、離れた左の歩道上にいるバイクの兄ちゃんの姿を確認した。転倒して起こした直後だったのかどうか分からないが「人騒がせな」と腹が立った。それにしてもバイクから離れて何をやっていたんだろうと疑問が残った。たぶん、事故の多くはあり得ないシチュエーションで起きるに違いない。昨夜の場合でも、人であれば背丈で確認できるが、バイクは案外低いし横向きのバイクがいるなどとは誰も思わない。何か分からない物体に見えるのだ。咄嗟の判断で回避できたが、この瞬間の判断力が衰えれば対処は不可能になるだろう。怖いよなあなどと思いつつ帰宅して池袋の事故を知った。さらに怖いよなあになった。

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音楽家


 昨夜は横浜でのライブで、山あり谷ありの展開が面白く、吹ける楽しさは充分に味わったわけだが、終わってから少々面倒な事になった。ピアニストの大石氏は全体のルーズなサウンド傾向というものに業を煮やし、次からはデュオでやりたいと言い出した。原因はドラムの音量がでかくなり過ぎて繊細な部分が消し飛んだこと、そもそもリズムの捉え方の違いに疑問を感じていたことなどだ。ま、それは分り過ぎるほど分かる。しかしながら聴いてくれる人たちがそこまで聴き分けているはずもない。もちろん、より良くサウンドするものを聴いて比較すれば誰にだって分かるが、そこが難しいところだ。トランペット奏者は幾つかの曲でソロに困っている様子が見てとれた。収拾がつかないそういったソロというものは長くなる。こういった展開は奏者に間々起きる。ようするに聞こえてないものを演奏しようとするのだ。見えているものだけを拾って演奏するという行為は、これがなかなか難しく、何とか格好つけなきゃという焦りも加わってぬかるみに落ちたりする。ま、駆け出しの若いころに散々経験した流れだ。アドリブのソロをすることに際しては、相当な訓練を必要とすることは当たり前のことだ。その訓練も様々なアプローチがある。誰か有名な人のソロの断片を覚えて再構築するとか、ただただ教則本的な訓練を続けるとか、知っていること以上の演奏を望まない流れとか。たゆまぬ訓練は和声の流れ、いわゆるコードの説明をする展開になりがちだ。いかに巧くコードの説明するかに汲々とするというのが案外多い。それはクールな展開ではない。実のところそのようなソロは面白くない。魅力的なソロは和声の上部に聞こえる音から作られるメロディだ。ある楽曲の全てのコードの流れを16分音符で表現する訓練、それはメカニカルなもので実際のソロに役に立つものかどうかはさて置き、手も足も出ない状況では先はない。本当はそこが出発点でもあって、そこから創造という大きな壁に向かって歩を進めることになる。そこからが楽しいことなのだ。それが見えて初めて音楽する楽しさが分かってくるわけだ。それは引っ叩くことだけで演奏を完遂しようとするドラムの場合も同じことで、全体の流れを聴かずただただ打音を送り続ける場合は、音楽的な展開からはほど遠い。上手に叩くことが目的ではなく、音楽的な演奏家を目指すことが大切なのだ。もちろん、そのような立ち位置に身を置くには楽器のマスターがもっとも重要で欠かせない。そういう自分だってまだまだ成長過程にあるわけだから大したことは言えないのだが、導くことも頑張らねばと考える。むかし、60年代に来日したアート・ブレイキーのバンドのサックス奏者ウェイン・ショーターについて、それを聴いた武満徹さんはこう仰った。「彼は・・・・素晴らしい音楽家だったなあ」

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前々々夜



 ありし日の桜の花だが、葉桜もなかなか情緒があって好ましい。



 木曜日は久々のライブということで緊張したり焦ったり。トランペット奏者は以前使った譜面が見当たらないと慌てた様子で「取りに行きますから」と電話してきた。即郵送した。大丈夫かいなってなものだ。しかしながらライブが近付くと必ずと言っていいほど新しい曲のアイデアが湧く。いつもマジですと言いつつも、何か別のスイッチが入るらしい。以前はライブ当日に新曲を持って行ったりして大変だった。ほとんど徹夜で曲を書き上げ、朝方にファックスで譜面を送ったりした。メンバーも大変だが、やらせる方だって神経を使うのだ。あれこれ説明もしなければいけないし、かなりの集中力を必要とするのだ。歳を取ってそこらは大分鷹揚になった。っつーか、余計な神経を使う余裕がなくなったとも言える。ただでさえ3ヶ月も空くと大変だから、ま、それでいいのだ。ここ最近はオリジナル楽曲だけで通すということをしなくなった。それは決して手抜きではなく、自分としては新しい段階に入ったと思っている。オリジナルを散々やって来たから見えるものもあるってなことだ。案外な曲をやるライブ、横浜方面の方は是非足をお運びください。

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