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あたし、ごはん食べました?


 財務省次官のアホな音声が世に出てしまった。万事休す。普段からあのようなことを悪ふざけで言う人だったのかどうかは分からないが、録音されているとは本人もビックリだったに違いない。
 偉そうにふんぞり返った人生はこれを以て終了ってな話になってしまい、家族はやりきれないだろうし、ま、気の毒なことなのだ。

 写真は若いころの猫ども。みかんなどはほとんど一日中外で過ごし、飯時にだけ帰ってきていた。外出するといっても、猫の行動範囲は広くとも半径50メートル程度。






 主な遊び場は家のすぐ前のビルの一階部分の駐車場だった。車が8台置けるスペースだった。2階部分はアパートになっていて、3階に大家のおばさんが住んでいた。歳の離れたご主人が老後のためにと建ててくれたと聞いたことがあった。四部屋ほどのアパートと駐車場の上がりだけで食っていけるだろうという心遣いだったらしい。ちなみに駐車場の賃貸料は月3万円強だった。とても育ちのいいお嬢様のような方だった。その人柄が敷地にも出ていたのか、ホンワカした佇まいの駐車場が猫たちのくつろぎの場所になった。車がやっと通れるような道を挟んですぐの場所だったから、こいつ等にしてみれば隣の部屋に行くような気分だったに違いない。今は、2つの広いベランダがあるから外出気分を味わえると言えないこともないが、以前のような散歩気分にはなれないだろうと申しわけなく思っているのだ。しかしだ、少々の無理は聞いてあげようという気になっているのに、最近の2名のわがままぶりには時々ムッとする。歳のせいかもしれない。「えっ、おばあちゃんさっき食べたでしょう?」というようなやり取りが毎日のように交わされるのだ。今日も15日分の食料買い出しに行ってきた。パスタはおやつのような位置づけで売られているものがお気に入りなのだが、さすがにそれは主食には無理がある。それで、絶対食ってもらえないものが何かを把握した上で、「これは食べなかったな、これはまあ食べるな」という具合に売り場で散々悩んで買ってくるわけだ。もちろんおやつ的なそれも一日一つというような計算で買ってくる。ところが、買ってきたことを知っているらしく、他のものにそっぽを向き、「あれを出せ、あれを」と猫なで声で、この場合は父ちゃんなで声でかなりしつこく要求して聞かないのだ。少し前にしょうがねえなあと再度与えたりしたのが失敗だった。皿に入れたものを前に懇々と言い聞かせるのだが、なかなか言うことを聞かず、今日は出ないなとあきらめるまで攻防は続くのだ。あきらめた後はどうするかというと、ちゃんと出されたものを召し上がるという展開で、朝起きると皿の中は空っぽになっている。よし、いいぞ、いいぞってんでまたおやつ的なものを差し出してしまうところがこっちもバカなんだけど、猫にいいような操られているような気もしてくる。しかも、学習したらしく、それを見ていた弟分のみかんまでが同じルーティーンで攻めてくるのだ。

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季節は巡り


 駐車場への行き帰り、つい花たちに目がとまってしまう。春なんだなー、ってなことを言いたくなってしまうわけだ。



 東中野に住んでいたころも、桜の季節は「ほーっ」とか「へー」などというのはあったけど、このような花を見かけたことは記憶にない。



 いわゆる大邸宅の庭先などにはあったかもしれないが、コンクリートで囲まれたような町並みでは無理というもの。

 

 猫を抱えて越してきて10年、四季折々楽しませていただいている次第。
 冬の間は生け垣にも痕跡は見当たらず、もう死に絶えたかと思わされたおっちゃんの家の薔薇も芽吹き、もうすぐそこらが真っ赤に染まるってな案配。

 
 自然の摂理とはいえ、こいつ等は四季のスパンをしっかり認識しているらしい。ってなことに感心しつつ一年の3分の一が過ぎようとしている。速い、時の経つのが実に速い。

 先ごろ毎年行われる同窓会の案内が来た。今年はパスすることにした。当たり前のことだけど、未来への展望など出るわけもなく、同窓会というものは概ね昔の話しかしない。御多分に漏れず年寄の集まりだから病気自慢とかは出るけれど、昔の話だけが共通の話題だから仕方ない。懐かしさだけで語られる昔の話は罪がない。その後それぞれに歩いてきた道は不問に処し、その短い時代だけを摘みあげて愛おしむってのが少々疲れることに最近気付いた。高校卒業30周年の集まりは超が付くほど面白かったが、やはり同窓会というものはその位の時の経過があって初めて成り立つような気がするわけだ。

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支持率



 内閣支持率が下がったと昼間のワイドショーのような番組で盛んに言い、現政権もこれまでかと煽り立てる。聞かれた方が深刻に考えているわけもなく、最近の報道から適当に答えているような気もする。だいたい示された数字はいつだって胡散臭い。こういった茶番は常にマスコミからの発信で、彼らの遊びに付き合わされている国民という図式にも見えてくる。と、まあ、誰が首相になろうと結局は同じだし、何十年にもわたって繰り返される政権攻撃を見てしまうと、そんな風にも思えてしまう次第。

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ボルトカッター


 車に乗るのはいいが、度々駐車場で苦労する。今は事前に駐車場所を確保するようになっていて困ることもないが、昔はテレビ局の駐車場が悩みの種だった。満車で入れられないなどと言われ焦ったことも多い。ロシア大使館横にあるスタジオの駐車場の台数は限られていて、大人数の録音の際は少々覚悟も必要だった。満車だと少し遠い東京タワーの駐車場に入れるように促された。タワーの下を通り抜けて地下駐車場に案内されるわけだが、ここに停めてスタジオまで歩くのが億劫だった。とりあえず楽器だけは降ろして行くにしても、帰りは楽器をぶら下げて歩くことになる。テレビ朝日の駐車場も、ミュージシャンと警備のおっちゃん達との攻防が繰り広げられた。空いているのに停めさせないのは何事かってな案配で、しかしながら「ここは今日出演する誰々の車で確保されています」などと言われ、激昂のあまり警備員の胸ぐらをつかむなどという諍いも起こった。テレビ局と録音の建物は並んで建っていたのだけど、共用する事に無理があった。多くの場合、敷地のすぐ側にあるコインパーキングを利用することになった。河田町にあったころのフジテレビの駐車場も台数が限られていた。ヒットスタジオの仕事の際は早い時間からスタジオ入りするわけだが、それでも待たされることが多かった。間に合うかなとヤキモキしたことが何度もあった。




 あるミュージシャンは時間ギリギリに到着し、待つ余裕もなく、思い余ってご近所の家の空いたスペースに無理やり駐車した。彼に言わせると敷地内ではなく空き地に見えたということだが、そこの住人は怒り心頭に達し、車のバンパーか何かに大きな鎖を縛りつけ、出られないようにした。仕事を終えて車に戻ると凄いことになっている。彼は困り果て、テレビ局に引き返して大道具さんに言葉巧みに頼み込み、大型のボルトカッターを借りることに成功した。カッターで鎖を切り、無事帰還したわけだ。普通では切ることも出来ぬような鎖だったらしいが、「あのカッターは万能だ」ってな話だった。切られた方だって驚いたに違いない。
 剛の者は他にもいた。新宿や六本木は路駐が凄まじいことになっていた時期があった。これは犯罪であって大きな声では言えないが、すでに時効は成立しているほど昔の話だ。彼はライブが終わって車に戻ると、彼の車はもちろん、そこら中の車に駐車違反の輪っかが括り付けられていた。ここで焦らないのが彼らしいのだが、車の中には小型のボルトカッターが積まれていて、輪っかを切ることぐらい簡単だった。彼は切った。自分の車だけでなくそこら中の車のものも含めて。後日電話を受けて「えっ、そんなもの知らないですよ」と返答したらしい。その日の違反者がすべて同じ返答だったに違いなく、当局にしてみれば狐につままれたような気分だったと思われる。その後、違反の処理がどうなったかは知らないが、当局に一泡吹かせた話は誰もを「ククククッ」と笑わせた。

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プレッシャー



 ほんの一瞬だけ偉そうだった桜も、今やフツーの樹になってしまった。なんてこったい。
 今日、久々に長時間押さえの劇伴の仕事のオファーがあった。6時間だという。迷わずというか、断腸の思いでお断りした。ずいぶん前から視力の衰えを感じていて、6時間の長丁場で譜面を見続けることは無理だと判断したからだ。テレビドラマ、映画などのバックに流れる音楽、いわゆる劇伴は一瞬たりとも気が抜けない苛烈な仕事場。だいたい曲数が多い。映画などの場合、50曲を超えることもある。50曲といっても、数秒の音楽もあれば3分を超えるものもあるわけだが、他のスタジオワークの仕事同様譜面が事前に渡されるなどということはない。直前にそれぞれの譜面台の上にドサッと音をたてて置かれる。今日はやけに少ないなあ、などと思っていると、スタジオのロビーで写譜屋さんがスコアと首っ引きでまだ書いていたりすることも多々あった。印刷譜と違い、手書きの譜面はそれぞれに癖のようなものがあった。急いで書いたものは時々おたまじゃくしがどの線にかかっているのか分からなかったりする。もちろん、前後の繋がりで即断して演奏するが、視力の衰えはそういった場合は障害になる。



 劇伴は最低でも3時間ほどの押さえで、6時間の場合は映画音楽の可能性が高い。しかしながら、音楽事務所によっては2時間押さえなどと甘く時間を見積もってしまって、録りきれずに泡を食った例がないわけでもない。ミュージシャンは次の仕事を入れていたりするから、蒼ざめたインペクがあちこち電話をして新たな人を確保しなければならなくなる。ま、そういった場合、僕らは密かに「ほーら、言わんこっちゃない」などと思っていたりするわけだ。
 そういったわけで、仕事は初見の楽譜を読むことで成立する。練習はない。最初の内は全体のバランスを取ったりするために、何度か同じ曲をやったりするが、記譜の間違い、大きなミスなどがなければ後は次々に録音されていく。初見に慣れたのは夜店のおかげと言っていい。昔のキャバレーには必ずショータイムがあった。歌手が圧倒的に多かったけど、気を引き締めてかからざるを得ないダンスチームもよく出演した。一度か二度、昼間に出勤してリハーサルが行なわれたこともあったが、だいたいは控室で口頭の打ち合わせだった。テンポと曲間のつなぎの部分の確認だけでステージに上がった。いやでも譜面に強くなった。譜面は慣れだ。

 その劇伴、山田洋次監督の「学校Ⅲ」は異例の録音だった。監督はワンシーン、ワンシーン、映像と音楽の合い方を細かくチェックされた。大船の撮影所のスタジオでの録音は昼1時に入って深夜に及んだ。後に監督はサントラのCDに「いつも、ミュージシャンがプレイバックを確かめることもなく、サッサと帰っていく。みんな納得しているんだろうかと疑問に思っていた。」と書いておられた。納得するも何も、僕らはコンソールルームからOKが出れば逆らえずに了承するしかなく、もう一度やらせろなどと言えば、迷惑がられることは目に見えていたわけだから仕方がない。むかし、あるインペクの女史に「劇伴ですからー」と、音楽がメインじゃなし、大層に考えなくとも大丈夫だと念を押されたことがあるぐらいだ。
 それでも一発録りで次々に録音することがミュージシャンにとって修羅場であることは確かだ。曲毎に楽器もチェンジするし、譜面を見ただけで雰囲気も把握しなければならない。これはハードなロック調だなとか、癒し系の音楽だなという風に。


 そうやって、終わった譜面を次々に下に落としていき、譜面台の上の楽譜が少なくなれば「もうすぐ終わるな、あとはお足をいただいて、と」などとほくそ笑む時間が訪れるのだ。大きな編成になると、音がかぶったりする問題も起きてくるから、ブラス系は別室に閉じこめられることもあった。



 ガラス越しに指揮棒を見る。ある日の仕事でも、やはりこの別室にトランペット、トロンボーンと共に入った。その日の作曲家はサックスとトロンボーンに多くのソロを割り当てていた。3時間を過ぎたころ、トランペットのセクションはすべて終わった。別室はトロンボーン奏者と僕だけになった。それぞれのソロが何曲か残されていた。劇伴でサックスにソロが多いことは珍しくなかったが、あんなに多くのトロンボーン・ソロが書かれていることは滅多になかった。ベテランのプレイヤーだったが、それでもソロが相次ぐことに少々ストレスを感じておられることは傍で見ていてよく分かった。彼の譜面も残り一曲になった時だった。ミュートを付けてのソロで、カラーンと音がした。見るとミュートを落としたようだった。顔には脂汗のようなものが見えた。小さく「あれっ」と声が聞こえた。録り終えると、その場にへたり込むように尻をついた。「渕ヤン、おかしい。おれ、こんなの初めてだよ・・・」とくぐもった声で言う。「具合悪いの?大丈夫?」などと返答しつつ、ソロを吹くことになった。意識ははっきりしているようだし、録音中だから騒ぐのも憚られた。何とか残された曲を吹き終えて、彼に手を差し伸べた。「こんなの初めてだよ」と言うばかりで、症状はよく分からない。「帰れる?」と訊くと「帰るよ」とのこと。立てるようだし、車の運転も大丈夫だという。彼の自宅近くに住むその日のメンバーの一人に相談した。「じゃあ、さ、オレが後から付いて行く感じで送っていくよ」ということになった。後日聞いた話では、交差点で信号待ちしているとスルスルと出て行くし、けっこう大変だったらしい。彼は半身麻痺で程なく現役を退いた。
 あの日の仕事が引き起こしたのではなく、以前から抱えていたものが出たのだろうけど、極度の緊張などが引き鉄になったに違いない。
 来る日も来る日も緊張を強いられ、次の仕事で何を要求されるか皆目見当がつかないというのもストレスになる。ベテランのトランペット奏者は、一世を風靡するといった具合に売れっ子だった時期がある名人だった。知り合ったころにはピークを過ぎていて、しかしそれは歳には勝てぬということであって問題があるものでもなかった。だが、先輩は昔のように演奏することが全てだと思われているようだった。間違ってはいけないというプレッシャーと戦いつつ仕事をされているようにも見えた。録音の際、みんなヘッドホンかイヤホンかを耳につけて演奏するわけだけど、プレッシャーを感じている人ほど音量を上げているようだった。例えばドラマー。彼らはクリックを聞いて演奏している場合がほとんどだが、その音量に驚かされることも多かった。それは反面教師にもなった。自分も追い詰められるような仕事の際はヘッドホンの音量をめったやたらと上げていることに気付いた。ヘッドホンの音量を上げれば勇み立つ気分にはなれるが、それは間違いなく力みを生んだ。引きつったような音でのソロに良いものがあるわけもなかった。それで、ある日を境にヘッドホンの音量は極力抑えることにした。楽になった。クリックも最初の部分はカウント代わりになっていたから聞くが、後はすぐ絞って聞かないようにした。クリックに合わせるのではなく自分の感覚を信じることにした。ますます楽になった。潰れる寸前に気付き、ほんの何年かだけどキャリアが延びた。
 それで、トランペット奏者の話だ。彼はパイプ椅子の上に使っていたイヤホンを置いて、コンソールルームにプレイバックを聴きにいった。僕はスタジオ内のスピーカーで聴いていたのだけど、プレイバックが始まると彼の椅子に置かれたイヤホンがとんでもない勢いで撥ねた。どれだけの音量で聞いていたのかと度肝を抜かれた。踊るように撥ねたイヤホンはついに椅子から跳び上がって床に落ちた。

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