☆☆☆

兆し



 朝晩の冷え込みは相変わらずでも、日中の陽射しに春の予感が垣間見える。冬嫌いの当方としてはいいぞいいぞってなものだ。



 川沿いの遊歩道を歩き、今日もまた鳥たちを見ることが出来た。写真には撮らなかったが、あちこちに放り投げたと思われるペットボトルなどがあって景観を損ねているわけだが、心無いというか心貧しいバカはどこにでもいるらしい。



 川岸で休憩するらしいサギ。


 赤い靴のカモも健在。



 仮面のように見える。


 何はともあれ春が近いのはありがたいことなのだ。

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強いもの


 実のところ、この人を詳しく知っていたわけでもない。ところが、今回現地に到着したといっては騒がれ、練習を始めると、それだけで注目され、滑る前から記者会見。とんでもないスターらしきことを知るに至ったわけだ。金メダルしかないというような評価と期待にプレッシャーがなかったはずもないのだが、見事にやってのけた。まさに有言実行の精神力。天晴れと言うしかない。だいたい、スケート靴を履いたままでのジャンプなど、相当の実力者と言われる方々でも簡単にコケたりする。人の能力ギリギリの技に違いない。冬の五輪というものはそのような競技が目白押し。ただ走るとか跳ぶ以外に様々な関門が用意されていて呆気にとられるばかり。スキー板を履いて跳ぶだけではなく空中回転したり、ほとんどサーカスの世界に近い。
 しかし、よく考えてみると、これが単に国際試合で誰が勝ったとか負けただと、たいした興味も湧かなかっただろうが、オリンピックで国の看板背負っての対決という構図が人を興奮させるらしきことに気付く。ようするにみんな軽く洗脳されているとも言えるし、どちらが偉いか的なことを決めたがる闘争本能というものを誰もが生まれながらに持っているらしい。それで、やっぱり、その闘争本能を満足させるところの強いものに惹かれてしまうわけだ。で、あたしも明日以降、女子スピードスケートとかパシュートなどというものを期待しつつ見ることになるのだ。

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プーッと吹けば


 久々に外出時間が8時間を超えた。玄関前に楽器をゴトンと置く音で気付くらしい。ねこ2名がドアの前に並んでいた。お帰り、お帰りってなものだ。しかしながら、これはとうちゃんが帰ってきて喜んでいるというものでもなく、実のところ、ごはんが帰ってきたという安堵の様子だと薄々気付いてはいるのだ。歓迎の儀式の後、2名とも皿の前にそそくさと座るから、それは明々白々。



 で、まあ、ソロの録音に行ってきたわけだ。初めて行くスタジオは響きをつかむまでに少々苦労する。力の入れ加減が分からない。音の伸びも部屋によって違うし、ミキサーの録り方ももちろん違う。それで最初のテイクは探り探りになることが多い。今日もそうなった。ファーストテイクで瞬時に判断して次のテイクに臨む。途中で没にしてしまうテイクもあるが、立て続けに5テイク以上は吹く。コントロールルームからOKが出ても「もう一回」と言いつつテイクを重ねる。そうやっている内に以前の感触が戻ってきた。うまく行ったようなテイクでも自分にだけ分かるほころびというものがある。そうやって続けているとストンと無心に近い情況になることがある。策を弄してないテイクが録れれば、そこが本日のゴールになるわけだ。
 30年前の自分の録音したものを聴いて、「もはや、今のあんたにはこれはできないだろう」と言われたような気もした。実際、30年前の音は出ない、というか出せるわけもない。それで、「そうは言うが、これなんか君には出来ないだろう」というような展開を絞り出したいわけだ。残念なのはメロディを即興で創り上げる技よりも何よりも、音が昔に比べれば軟弱なことだ。ストレート豪速球は望むべくもなく、ま、変化球だ。だから豪速球で行きたいと感じた2曲目は少々苦労した。16分音符にこだわり、8分音符で乗ればいいということに気付くまでに時間を要した。そこら辺の判断が鈍っているのは確かで、瞬発力は落ちているらしい。気付いただけでも良しとしようってな案配なのだ。音そのものを立て直すにはロングトーンの吹き伸ばしの練習しかない。やっぱ楽器は基礎練習だよな、ってなことを1時間の録音でまたまた学んだ次第。

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8小節


 オーバーホールした楽器を引き取り、帰りに練習スタジオを借りて試奏してみた。「げっ」と声が出るほど吹き辛い。メンテがうまく行かなかったわけではなく、体が付いていかない。この10日間ほどはフルで楽器を鳴らすということが出来なかった。もちろん家には出しっぱなしのテナーがもう一本あって、毎日何時間かは触れていたのだが、フルトーンで鳴らすわけにもいかず、だいたいはイメージトレーニングに近かった。その上、今日借りたスタジオの部屋の響きは恐ろしくデッドだった。楽器を鳴らすのにデッドな環境というものはとても辛い。つい力んでしまうことになるのだ。力みは大敵であっていいことなど一つもない。
 こんな話を聞いた事がある。どのような楽器にしろ、演奏家の奏でる音色には国によって違いがあるというのだ。それは住環境によって大きく異なるという。友人はヨーロッパ各地のいわゆるライブハウスのような場所で演奏した。彼が言うには、どの会場も音が響き過ぎるぐらい響いて最初は戸惑ったらしい。というのも特に北欧の建物は基本的に石造りであって、響かせようと目論んだわけでもなく、それが自然なのだという。その環境で楽器を学ぶということになる。日本は基本的に木造の環境で、今は違っているかもしれないが、昔は畳の上にピアノが置かれていた。そのあまり響かない環境で楽器に向かっていたわけだ。その違いは大きい。



 例えば畳の間でヴァイオリンを聴いたとする。響きは儚く心細い音色に聞こえる。もちろん達人が弾けばそれなりの説得力は持つが、適度な残響込みで弾かれるべき楽器であることは間違いない。ヴァイオリンの音色は単に弦に弓の弦が擦れるだけの生々しいものなのだ。その原始的な音が響きを伴うと、えも言われぬ音楽として認知されるわけだ。

 それはさて置き、デッドな空間で出した音の心細さったらない。なんだか無響室で吹いているような残念さがある。しばらく焦って続けたわけだが、明日もう一度同じスタジオでチャレンジしなきゃってな感じだ。明後日、録音の仕事を頼まれている。その歌手の愛聴盤が山下さんのライブだという。89年にそれまでのライブ音源を2枚組CD化したものだ。30年も前の録音で、見本盤を頂いてはいたが一度何曲か聴いただけで、盤を通して聴いたことなどなかった。そんなことを聞いたものだから何曲か再び聴いてみた。ま、若い。音ははち切れそうに鳴っているし、こんな音出るだろうかと不安にもなろうというもの。その情況で今日の練習、焦りも出るわけだ。自分が吹いたわけだからイメージははっきりあるのだけど、体が思い出すまでに少し時間がかかる。しかし、昔の録音を聴いて驚いたのは音色だけでなく、何事も全力だった無茶苦茶なパワーだ。今こんなことやったら死ぬなあってな感じだ。山下さんのツアーをやっているころ、勝手に決めていたことがある。だいたいは間奏のソロをやって後奏で歌にからんでというものだったが、昨日と同じことは絶対やらないということだった。似通ったものになることはあるにせよ、出だしだけでもまったく違うアプローチでということが重要だった。
 それがスタジオミュージシャンとしての活動の要だった。そのやり方は今のライブ活動でやろうとしていることとは根本的に違った側面がある。今の活動では、一曲の中で長い物語を紡ぐことにポイントがある。8小節で終わるわけではなく、何かインスピレーションが湧くことを待ちつつ紡いでいくわけだ。それで、今回も固辞したのだが、どうしてもというので引き受けた。再び8小節の世界の緊張感に戻れるのかどうかはやってみないと分からない。この歳になってなんとスリリングな展開だろうか。

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開会の儀


 猫のトイレの砂がなくなったってんで、いつものホームセンターへ向かった。2通りの道筋があるが、一方が渋滞している。日曜日というのもあるが、これは事故かなというような渋滞に思え、迂回路に廻るとここも更なる渋滞。ノロノロ運転が続く。人は虫と同じなのか、気温が和らぐとゾロゾロと這い出してくるらしい。あきらめて近くのスーパーで購入することにした。

 さて冬季五輪。開会式の模様を見た。やはりプロジェクションマッピングを使ったりしていて、リオと同じような感触がある。開会式の費用は北京が日本円で100億、ロンドンが33億、リオが3億というデータが残っている。金を多くかけたからといって圧倒的に記憶に残るというものでもないらしい。東京では開会式の入場料が25000円から15万円と言われている。10万人の客を入れて10万円ぐらいぼったくれば100億かけても大損することはないかもしれないが、開会式っていったい何?というような疑問も湧こうというもの。国の威信を懸けたマスゲームというか、国威発揚の儀式というか、そんなことを説明されても分からないし的な当該国の事情も折り込まれる。そのような傾向がルーティン化されているらしい。



 さて東京でも同じようなことをするのだろうか。私たちはアジア諸国を侵略した苦い経験があります、などとは決して言わないだろう。慰安婦問題?とんでもない、知りませんよそんなことってなものだろうし、核の被害国ですよなどとも言えない。そのようことには一切触れずに、世界平和などと発信することになるに違いない。それは政治的な問題であり、スポーツの祭典に相応しくないという理由で、拉致被害者を返せなどとも言えない。ま、早い話が建前で取り繕う儀式だともいえる。祭だから派手にするのはいいのだが、どこかにナショナリズムの匂いを感じると多少ゲンナリするのも確かなのだ。



 北と南の選手が肩を組んで聖火台へ上る瞬間など、これは政治的なパフォーマンスで、見ていてこちらとしてはどのように反応していいものか困ったりするわけだ。


 個人的な意見だが、開会式などというものは、選手入場の後見たこともないような大きなくす玉が出て来て、ファンファーレと共にパッカーンと開くぐらいがちょうどいいのではないかと考える。

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