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「石の上にも3年」とは違うけど


 ガーデニングのおっちゃんの家の薔薇、例年通り見事に開花。今日、通り掛かりにおっちゃんの姿を見て「咲きましたねえ」と声をかけると、嬉しそうに「いやあ」と返ってきた。ここに10年近く住んでいて、顔を見て挨拶するのはこの方ともう一人だけ。



 さて、一昨日の同期の集まりに郷里から参加した木村がいた。はるばる飛行機でやって来たわけだ。3年前も来ていた。木村は2年生の時に同じクラスだった。当時、すでに音楽にのめり込んでいたから、そのような話が飛び出すのだけど、聞く度に恥ずかしいような気がしつつ、「そんなこともあったよなあ」ってな感慨を覚えたりする。彼によると、何日も学校に来ない時があって、どうしたんだろうと気になり家を訪ねたことがあるという。どうしたんだと訊くと、体育祭のストームとかは参加する気もないし、そんな折だからFMでカラヤンの何とかいう曲が聴きたくて休んだんだと答えたらしい。確かにそのような理由で休むというか、聴いてから昼過ぎに登校することは幾度かあった。当時、レコード盤はおいそれと買えるものでもなかったし、ベートーヴェンやモーツァルトはいざ知らず、ヒンデミットやベルクなど近代から現代のものはなかなか聴く機会がなかった。「大作曲家の時間」という番組は10時ごろからだったから、聞き終えるのは11時過ぎだった。その番組でヒンデミットの交響曲「画家マチス」を聴いたことは覚えている。なにしろ16や17の若造は吸収力がとてつもなく旺盛だから、古典を聞き漁ると少々飽きてきて現代物へと興味が移っていったのだ。分かっていたかどうかは大した問題ではなく、新しいサウンドに飢えていて、三善晃の「交響3章」や間宮芳生の「ヴァイオリン協奏曲」、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」は胸に突き刺さるほど感じる音楽で憧憬の的だった。そんな時期に同じくラジオで聴いたミンガスの「直立猿人」はガラガラドッシャーン的に何かを打ち壊した。その表現はクラシック音楽のまどろっこしい部分を飛び越えて直に迫ってきた。現代物にジャズが加わった日だった。ブレイキーの「モーニン」「ブルースマーチ」、キャノンボール、マイルス、ショーター、そしてコルトレーン。彼らの妖しいサウンドに魅了されていったわけだ。木村は「大丈夫かな」と思いつつ傍観していたという。高校時代の終わりには、すでに地元のダンスホールなどで演奏していた僕に誘われてパブのような店に出入りするうちに、そこのマスターに気に入られて手伝いをするようにもなっていたらしい。それは初耳のような話だったが、ま、忘れていただけだろう。普通高校に行きながら、違うレールの上を走るための準備というか、独学ながら職業訓練学校に通っていたとも取れる無軌道な10代後半だったわけだ。高校時代は濃い3年間だった。その後の数十年を支えるほど多くのものを聴いた。音楽史に名を刻む作曲家のものはほとんど聴いたに違いない。プロとして駆け出しの頃、レコードを買えるようになるとジャズのレコードを買ったわけだが、それがオーネット・コールマン、スティーブ・レイシー、アルバート・アイラーだから、これに関しては先走り過ぎであって、若気の至り的なものだったような気もする。

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同期


 昨夜は同期の集まりに行った。世話役に言われた通り、しっかり7月のライブの案内もしたりして、そこらは抜かりなくやってきた。3年ほどを経て久々に出席して思ったのは、ずいぶんと老け込んだように見える人がいたことだった。下の写真の女性はアパレル関係のデザインの仕事をしていて現役だから、老け込む暇もないらしく若々しい。



 そういったことは個人差があるから一概に言えないが、現役の人は総じて若い。しかし、身体的な衰えは誰にでも来るわけで、大病を患った人は思った以上に多い。ほとんどが「癌でさ、オレ腎臓片っぽネエんだよ」などという。さらに転移も発見されたらしいが、まだまだ大丈夫だと聞いて返す言葉もない。この歳になると女史の言う「何もない方がおかしいわよ」ってなことで納得せざるを得ない。



 飯田は高校時代の悪友の一人で、ビートルズなどに入れ込んでいて、てっきりミュージシャンを目指すのかと思っていたが、上京して会った21、2の頃はレコード屋で働いていた。長髪、ジーパンの70年代の若者のようなスタイルを貫いていたが、歳には勝てずというか、無茶な長髪にしていたツケが回ったのか、ずいぶん前から髪形を整える必要がなくなってきていた。ま、人生は無常だ。



 この方はこの集まりでしか知らない人の一人だ。同い年なのかなあと怪訝に思う。今回の出席でヒシヒシと伝わってきたのは、誰もがとんでもない歳になったなあと痛感していること。でも、ここまで持ったのだから喜ぶべきなのだと思いたいこと。終わり近付いたころ、高取に「ふちの、おまえはさ、生涯現役を貫けよ、な」と力付けのようなことを言われた。



 もちろん、そう考えてはいる。20代のころに目指したゴールのようなものがあるとして、その地点が10だとすれば、今どこにいるか。自分の実感としては0・7がいいところだ。まったく何も出来ちゃーいない、0点などと思うこともあるから、ま、そんなものだ。現役は自分でそうだと言えばそうなんだから問題はない。しかしながら、現役だと言い張っても、その最後に1点に達することが出来るかどうかは微妙なのだ。

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集まり


 高校時代、不真面目で登校拒否一歩手前の生活ぶりだった自分としては、卒業させてもらったことはありがたくも、懐かしい同級生がいることはいたが学校そのものに大した愛着もなく、卒業30周年まで同窓会の類いに出ることはなかった。なにせ3年生の時の最終的な成績はクラスで最下位の一つ上にいたほどだ。最下位は島本だった。なにしろ、時間を間違って一時間遅れで母と入った講堂で聞いた、入学式の教師の挨拶は受験のことに多く割かれていて、とんでもないところに来たのかも知れないと気落ちした。その時点で大学進学は遠い出来事だと思っていたが、そうでないことに気付かされたってわけだ。教育は3段階で行なわれていると感じていた。まず、小学校で易しく教わり、中学で少し掘り下げて教わり、高校でさらに深く教わりってな調子だ。とても無駄な手順を踏んで僕らは大人になっていくと感じていたし、大学に入って殊更深く学んだからってどうなるんだってな反発もあったが、それを経ないと就職というものが難しいってのが謎に近かった。そうやって高度な数学などを勉強して、まったく関係のない就職で世の中に放り出される現実があった。若いうちは学校に閉じこめておいて、ほとんどの子供たちを18才辺りで世に送りこむというシステムで社会は成り立っているらしいということにも気付いていた。そのような事に対する反発もあり、ドロップアウトするべくして「辞めた、一抜けた」したわけだ。ま、可愛げの無い若者であったことは間違いない。今、思い返してみると、勉強が嫌だとか学校が嫌だとかいう理由ではなく、はっきり見えるわけではないが、明らかに存在する常識的なレールというものの上を走りたくないという気持ちが強かったのだ。危なっかしいことだとは重々承知の上で、実体のあやふやな道を歩く魅力に逆らえなかったと言っていい。
 卒業30周年の同窓会に参加して以来、ライブに足を運んでくれる人もいるし不義理は出来ないというので関東地区在住の人たちの同窓会に度々顔を出すようになった。これが不思議な集まりで、中学時代に同じクラスだった女史が2人いるが、他の人たちは未だによく分からない。同学年は13クラスもあった。一クラス50人としても650人いた。言葉を交わした人の数など知れているし、だいたいは同じ学校にいたかどうか名はもちろん顔など記憶にない。でも。同窓生ということで集まるのだ。学校で言葉を交わしたこともなく、顔も名も知らず、というのは他人といって差し支えない。しかし、集まると妙な連帯感が座を取り持ち、和やかに会は進行するのだ。たぶん、出席する人のほとんどが同じようなことを感じているはずだが、そこでそれぞれが見たいのは同窓生の今とか昔ではなく、高校時代の自分なんだろうと思う。一緒に過ごしたかどうかは定かではないが、集まっているからには同じ学校にいたはずだし、そこに出ることで昔の自分に会えるような気がするに違いない。その集まりが明日あって久々に出ることになった。まったく違うレールの上を走ってきた違和感を覚えつつ、幾分途方に暮れながら、隠しようのない爺さん婆さんに再会するわけだけど、少し気が怯む。

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それっ、曲がれ


 先日の幼児が犠牲になった事故を受けて、全国各地の無茶な運転の実体が次々に報告されている。最初に聞いたのは「松本走り」というもので、これは直進車を無視するような無理な右折、左折の車にかぶせる強引な右折などだ。「名古屋走り」は左折車に先行して右折する乱暴な運転。対向車が直進するより先に右折する「茨城ダッシュ」、「伊予の早曲がり」も同じような走行で、ウインカーを出すことなく曲がる「播磨道交法」と続く。ま、どれも似たようなもの。だいたい見かけたことのある走り方で、特に珍しいものでもないが、そのような呼び名が付いたものが日本中にあるというところがお笑いなのだ。むかし、仕事でよく大阪に行った。大阪の町の交通事情も凄まじいものがあって驚いたのだが、それは合流地点でのことだ。合流したい車とそれを阻止する車の攻防が恐ろしいことになっていて、双方が譲らず、車間が数センチまでしのぎを削るのだ。どちらかが折れるしかないのだけど、そこまで意地を張るのはどちらも相当疲れるはずだと呆れたり感心したり。乗ったタクシーの運転手さんは「いつものことですわ」と仰っていた。やはり大阪で深夜に乗ったタクシーが、大きな交差点で右折した際に、運転手が大きな溜め息と共に漏らしたのは「あいつ、右折車を見てアクセル踏みよった」という言葉だった。直進車が来ているのは見えていたけど、急にスピードを上げたらしい。それでタクシーもあわてて右折したという。俗にヤンキーと呼ばれる兄ちゃんたちがいて、迷惑暴走は彼らのおはこでもあるが、松本走りにしても名古屋走りにしても彼らが一手に引き受けているわけでもない。結局のところ、ハンドルを握ると意気がって豹変する人が多いわけだ。今日はどういうわけか警察官の姿を多く見かけた。大きな交差点で4人もいたところもあったし、かなりの数のお巡りさんが動員されていたようだった。そうなると、車の動きは借りてきた猫より一層大人しく、誰もが良い子の運転になってしまう。ま、上からの指示で取りあえずやっていたのだろうけど、ほとんど意味がない。どうせやるなら少し考えるべきだ。覆面パトというものが存在するなら覆面警官がいてもおかしくない。買い物カゴ下げた普通のおばさんが実は婦警とか、風采の上がらないオヤジが実は交通機動隊とか、そんな人たちを立たせるべきだ。そうすれば実体が把握できようというもの。どこからどう見ても紛れもない警察官じゃ能がない。制服組は物陰に隠れて検挙するときに出てくればいいのだ。そりゃ、ま、睨みを利かせることで少々の効果はあるだろうけど、どうせやるならドッキリ的なパフォーマンスの方がおもしろい。

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不幸の種


 先日の保育園児が亡くなった事故を受けて、あのような事故を無くすにはどうすればよいのかなどという議論を聞く。しかし、あの事故は運転者の不注意であって、たまたま衝突された車の先に人がいた。池袋の暴走もそうだし、それを防ぐ方法などあろうはずもない。だいたい車の運転者というものはいい加減で、常にすれすれの状態で走っていると言っても過言ではない。信号無視など日常的なことで、赤に変わった直後はまだまだ大丈夫ってな風だし、ぎりぎりで渡り始めたはいいが、先が詰まっていることに気付き慌てて左に寄せようとする車もよく見かける。なにせ誰もが信号に捕まりたくない、少々危なくても行ってしまいたいと考えるようだし、無理をしたからって良いことなど何もないのだが、みんなどういうわけか一刻を争うような気分になっているものらしい。直進車がいるにも関わらず、信号が変わるや否や強引に右折を試みるバカも多い。この場合、横断歩道に歩行者がいると結構危険なことになったりもする。事故と隣り合わせの運転をして、それでも辛うじて成り立っているのが車社会だともいえる。信号のない横断歩道に渡ろうとする人がいても停まる車は極めて少ない。30キロ制限の裏道で法定速度を守る車も稀だし、その筋が本気になれば切符を切られる車はそこら中にいる。無理を承知で様々なくぐり抜けをやっているのが現状だから、そうそう簡単に事故が少なくなるとは思えない。それが根本的な人の心理だとすれば危うい運転がなくなる筈もない。抜本的な改革を図るのなら、全ての信号に矢印の右折信号を付けること。これによって慌てて右折する車はいくらか少なくなる。先日テレビで右折信号を取材していたが、その矢印が付いている信号でも右折車が赤になっても突入するケースが多かった。何をやってもこんな風だ。で、究極は監視カメラを利用する手だ。近ごろ駐車場ではカメラで車のナンバーを記録し、それで精算させる所も増えた。その精度を上げて全ての交差点に設置する。信号無視した車は即座に中央管理センターにデータが送られ、後日反則切符が送られてくるってな方法を使えば、無茶な横断は確実に減る。設置に費用もかかろうが、今の状況であれば反則金で簡単に回収できるに違いない。何よりも、お巡りさえ見ていなければ少々の違反、無茶な運転のひとつや2つは大丈夫という気の緩みは軽減されることは確かだ。ま、実現などしないだろうけど。そもそも人が身の丈に合わない制御不能な道具を手にしたことが間違いだったとも言える。

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