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あぶらんけんそわか


 明日上陸の予想される台風に備えて、都内のホテルは満室の所もあるとか。出勤時間の早いサラリーマンというのは大変だとお気の毒に思う次第。  

 ベースの菊池君は、箱バン者であった20代初期に仲良くしていた同じ歳のプレイヤーで、仕事場は違ったが、帰りに家に寄ることが多く、飯を食ったり将棋を指したり、夜が明ける時間まで遊ぶこともあった。たしか、麻布だかなんだか有名進学校出身の、しかし落ちこぼれだったらしい。馬が合うと言うか、彼が大人だったから、こちらが激しても引きが鮮やかでケンカになることはなかった。ま、どちらかと言うと時流に影響されやすいところもあって、一時は胸ポケットに毛沢東語録の小さい本が入っていた。ある夜、将棋を指していると、彼が突然「あぶらんけんそわか」と言って次の手を指した。「げっ、あぶらんけんそわか?」なんだか聞いた記憶がある。そうだ、昔の東映映画に違いない。山伏の格好をした呪術使いがそのようなことを叫ぶシーンがあった。  

 映画全盛時代、東映は毎週2本の新作封切りを掲げていた。年間100本作っていたことになる。僕らは封切館に行くことは滅多になく、だいたい2番館で見た。と言っても年に数回がいいところだったが。テレビがまだまだ一般的でなかった時代、映画は娯楽の王様だった。しかも、しかも、2番館は3本立てだった。半日つぶれる大盤振る舞いは、娯楽に飢える子供にはありがたいものだった。美空ひばりの「雪之丞変化」とか、大友柳太郎の「丹下左膳」などが記憶にある。中村錦之助、大川橋蔵、何を言っているのかよく聞き取れなかった片岡知恵蔵、目力で迫力の市川歌右衛門などなど、当時の東映には時代劇の個性的なスターが、それこそ星の数ほどいた。若い人には何のこっちゃなんだけど、ま、おじいちゃんが昔を懐かしんで何か言っていると思って頂いて差し支えない。  

 「あぶらんけんそわか」を検索すると、むかしおばあちゃんが薬を塗ってくれる時に言うおまじないだったとかというのもあったが、あたしにとってはあの時代に戻してくれるお呪いという方が近い。やがて、時代劇は時代遅れになり、東映はケンさんに代表される仁侠映画路線へと変わって行くのだが、その頃はすでに娯楽の王様ではなく、娯楽の男爵ぐらいに格下げになってはいた。

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