☆☆☆

さとる

 
 時々さとるのことを思い出す。一才下のさとるとは姫路から移り住んだ佐賀の町で知りあった。次男坊で下に弟妹がいた。うちの母とさとるの母の仲が良かったものだから、この兄妹たちとは何の用意もなく打ち解けた。僕と同い年の長兄は気のいい頼りがいのある男だったが、さとるは少々癖があった。特に乱暴者というものでもなかったが、向こう見ずなワルだった。小学生の頃、何が起こったのか、血相を変えた学校の教師たちが、一斉に学校から飛び出していったことがあった。はっきりしたことは判らなかったが、さとるが昨夜の盗みで追われているとの情報があった。教師たちはさとるを保護するために町へと繰り出して行ったらしい。  
 深夜に工場の事務所に忍び込んで盗みを働いた、あの事件が最初だった。その後はおとなしくしていたが、僕らにとって忘れられない出来事は、隣町での夏祭りの夜に起きた。神社の境内で行われる盆踊りは毎年賑わった。  

 同じ町内ではなかったが、僕らが苦手とする上級生がいた。陰湿な嫌がらせが得意なヤツで、一発殴られるぐらいですんではいたが、殴るまでに何だかんだと前置きがあって、その言いようのない間が僕らを震え上がらせた。先天的なサディストだったに違いない。  
 そいつにさとるの兄が捕まった。こちらは五人ぐらいいたのだから一斉に飛びかかればとは思うのだが、そいつに植えられた恐怖感というものは僕らを尻込みさせるのに充分だった。不安な表情の長兄を置き去りにする形で、僕らは自分等の町へと全力疾走で逃げ帰り、年上の連中に助けを求めた。「大変だ、大変だ、ミズオチにやっちゃんが捕まった。」などと口から泡をふいた。  
 そうだ、ヤツはミズオチと言った。すっかりヤツの名前など忘れていたのに、思い出してしまった。鶴亀鶴亀。  
 頼もしい援軍を引き連れて神社に戻る途中、頬を押さえて泣き顔の長兄とすれ違った。戻ることを拒む長兄を置いて神社に着き、程なくしてミゾオチが取り押さえられた。僕らは先輩たちが殴ってくれて溜飲を下げることが出来ればなどと思っていたのだが、さすがに先輩たちは当事者ではないし、そのような愚挙には出ずに僕らに提案した。長兄が殴られたことは確かだから、ここはお前らの誰かが殴り返すことで決着をつけるというものだった。まあ筋は通っているが、いったい誰がと僕らの気分は尻つぼみに萎えていった。やけに落ち着いて「おれが」と声を上げたのはさとるだった。  
 ミズオチの前に腰を低くして立ち、正面から見据えたさとるは言った。「歯ァ食いしばれ」
 言い終わるや否や、腹と頬に見事なパンチを二発食らわせた。歯を食いしばれなどという言葉が出てくるところが驚きでもあり、先輩たちも一様にさとるの胆力に感嘆しうなり声をあげた。  僕には、胆力というよりも心の奥深くに持つ狂気のようなものが姿を現したのではないかと思えた。どういうわけか、さとるにとって苦手なタイプだったのかもしれないが、「やめろ」と言えば直ちにやめるというように、さとるは僕の言うことは聞いた。  

 やがて僕は中学生になり、引っ越しなどしたこともあって彼の家との行き来はまったく途絶えてしまい、さとるの消息も噂頼りになっていった。何年ぶりかで久し振りに会った彼は、すでに別人だった。面倒を何度も起し少年院を経験したさとるは、恐ろしくたくましい体つきで近寄り難い雰囲気をすでに漂わせていた。  
 最後に会ったのは町の繁華街で、高校を卒業するころだった。もう堅気には見えないところまで変貌していたさとるは何人もの取り巻きを従える兄貴分のように見えた。あまりに久し振りで、つい「さとるぅ」と声をかけた。取り巻きの一人が気色ばんで「なにー」と肩を怒らせた。
 さとるはあわてて「ああ、よかさぁ、この人はよかさぁ」と取り巻きをなだめ、僕の方を見て昔と同じ笑顔を見せた。ちょっと気恥ずかしそうにも見えたが、実際のところ、かれはもう幼いころのような笑顔で生きているわけではなかった。地元の筋者といざこざを起し、一人で事務所に乗り込み拾数人に取り囲まれて袋叩きにされたとか、後で聞かされた話はろくなものではなかった。自然なことのようにヤクザになったさとるは最期を柳ケ瀬で迎えたと聞いた。確かまだ二十代半ばだったはずだ。どのような死に方をしたのかは聞いていない。しかし、年齢的には病気でもなさそうだし、何かと不穏な想像などしてしまうのだが、それはやはり夏祭りの夜の印象が強烈だったせいに違いない。

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