☆☆☆

入学式



 そろそろ桜も見納めになったらしい。曇天で景観は今一だが、この坂の通りを桜通りとか言う。あちこちにそのような名称はあるようだが、ま、桜通りで間違いはない。



 小学校の入学式は月曜日だと聞いた。そうかピカピカの一年生かと遠い記憶を辿る。当時は姫路にいて、市立野里小学校に入学した。今の野里小学校を画像検索すると記憶とは程遠い鉄筋の校舎が出てくる。当たり前のことだが、木造の校舎に通った者にとっては別のものだ。小学校二年を終了するまでここに通った。記憶は断片的だが、入学式の日に一人ずつ栞のようなものを好きに選んで受け取ったことを覚えているし、女の先生の名が祝先生だったことも覚えている。この小学校の変わったところは元旦に登校したことだ。おばさんの作った雑煮などを食べて学校に行った。学校では全員校庭に並んで校長の訓辞を聞いただけのような気がする。歳を食ったせいか、あの頃のことを思い出すと、入学式のことも含め悲しいほどに切なく懐かしい。商売に失敗し、病も抱えていた父は困った揚げ句に姫路の姉の元へ、年端の行かぬ弟だけ残して3年間姉弟を預けたわけだ。はるばる九州から姫路に辿り着いた日の夜、大声で泣き、その自分の声で目が覚めたことを覚えている。寂しいなどとという自覚などなかったし、それは自分でも驚くような出来事だった。たぶん精一杯強がってはいたが、根のところでは不安に押し潰されそうになっていたに違いない。そこで暮らすのだと言われれば順応するしかなく、子供の適応力で慣れていったのだが、底には不安が隣り合わせだったような気もする。実際、入学式の日など、母に送るために撮ってもらった写真が残っているのだが、どれも表情は明るいとは言えない。おばさんはご主人への気兼ねもあっただろうし、何かと手伝いを言いつけたから好きにはなれなかったが、おじさんは他人様の子供を預かっているという責任を感じていらっしゃるようにも見えていた。この家で暮らした時期に覚えている出来事が人工衛星だ。1957年10月4日に打ち上げられた人工衛星「スプートニク1号」は人類最初の衛星だった。朝食の卓袱台の前に座るとき、突然「じんこうえいせい」という言葉が浮かんだ。何それ、ってなものだ。すると新聞を広げた次兄が「おおー、人工衛星か」と言ったのを聞き、「今言おうと思ったのに」と発言すると、皆に「何を言ってんだか」と大笑いされた。しかし、知っている筈もないあの言葉が浮かんだことは確かで、予知能力とか騒ぐものでもないが、今でも不思議で仕方ない。
 九州に戻ったのも桜の季節だった。小学3年生の始業式に間に合うように帰った。帰ってからの一年ほどは慣れるための試運転期間だった。言葉も違うし、なかなか馴染めずいたが、事情を知っていたらしき担任の原菊江先生が何かと気を使ってくださったのを覚えている。子供は自分の心の有り様を説明できない。佐賀の駅に3年ぶりに降り立った時、再会を待ち望んでいた母が出迎えた。ドラマでは「母さん」とか何とか言って抱きついたりするのだろうが、そうではなかった。母と目を合わすことが出来なかった。俯いて地面を睨んで言葉も出なかった。姫路の遊び友達などと別れることは辛かったが、だからと言って預ける選択をした母に恨みなど全くなかった。しかし、出迎えた母の顔は他人のようにしか見えなかった。後々折りに触れてその時のことを母は言ったが、自分でも分からないものを説明できるものでなかった。それは心の隅にトゲのように残っていた。ようするに幼くして親離れしてしまったような気もする。3年間の内に独立独歩で生きていくというような気持ちが育まれていたのかも知れない。そこからの生活の中で、もちろん我が侭は言ったりしたが、母にもたれかかるように甘えたという記憶はない。どこかで母にも父にも気遣いをしつつ日を送っていたような気がする。もちろんそのような事を母に言うわけもないが、どこかに申し訳なさが残っているのだ。高校卒業と共に家を飛び出したのは、そのような経緯と無関係とは言えない。

拍手[2回]

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

04 2019/05 06
S M T W T F S
2 4
6 7 9
13 16 18
21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

アーカイブ

最新コメント

[12/10 s・f]
[09/26 s・f]
[09/26 ぐれじゅー]