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平手はいいけどゲンコツはダメ


 終戦の日が近い。こどものころから、大人たちがこの日を特別なものとして式典を開くのを見てきた。当時の大人たちにとって戦争はまだ生々しい記憶で、それはそれは色んな話を聞かされた。特攻のこと、沖縄決戦のこと、そして何より原爆のこと。父は徴兵されたが前線に出ることはなく、しかしながら兵舎で上官から懲罰を受ける別の部屋の声を聞いたという。それはそれで恐ろしい出来事だったと話してくれた。
 さてヒロシマとナガサキだ。投下された日は慰霊の式典が行なわれる。何度も何度も目にすることになったこの式典を見て、正直なところ、どのように反応すればいいのか分からない。「過ちは繰り返しませんから」と言っても、誰の過ちなんだろうとぼんやり考える。暴走した軍部が為した結果だということだろうか。無差別に一般人を巻き込んだアメリカの仕業のことだろうか。兵を相手に武器を使ったのではなく民間人を標的にした爆弾であれば、それはテロに違いない。アメリカは戦争を終結に導くためだと正当化するが、そのような弁解が通るはずもない。日本は物資も底をつき、何れ降伏するより手はなかった。そこで、アメリカは新型爆弾を試してみたくて仕方がなかったというのが真実ではないかと思われる。目標が地形的に効果が確認できる場所に設定されたという説も頷ける。両市合わせて何十万人もの人が命を落とした。効果は凄まじいものだったわけだ。(写真は投下直後のヒロシマ)



 それで、大人は誰もそんなことを言わないのだけど、こどものころから不思議に思っていたことがある。国と国が衝突して殺し合う戦争にルールがあるのかってなことだ。鉄砲はいいけど、大量に虐殺できる武器を禁じるべきだという考え方だ。喧嘩で殴るのはいいけど殺めてはいけないというのなら分かる。しかし戦争は殺し合いだ。そこへ持ってきてルールを決めましょうというのが、人間が愚かな存在だという証左のようなものだ。かくて幾つかの国が使えもしない核爆弾を納戸に仕舞い、いつだって出すぞと威嚇する対外政策に奔走するところなどバカにしか見えない。そういった意味では、毎年の原爆慰霊式典というものは核爆弾の恐ろしさを発信しているわけだから、その都度核保有国のお偉方をゾッとさせているに違いないと想像して納得するわけだ。

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