☆☆☆

未熟


 あるテレビ番組で、日本画家の巨匠が晩年に漏らされた「技術的な造作の未熟よりも尚、人としての未熟さにさいなまれる」との言葉を知った。シチュエーションは異なるが、コルトレーンは「私は聖者になりたい」と言って世間を驚かせた。  
 また、別の日本画家は晩年に「天才というものは夭折するもの。私らのように死に損なったものは、生涯をかけてのたうち回りながら描き続けるしかない」と自虐的に仰った。どの言葉の根底にも、自らの内面に潜む負の部分との葛藤がある。  
 岡本太郎さんは「こんな風に描けば人が褒めてくれるに違いないとか、媚を売るように描かれたものは、その動機が既に卑しい。芸術は既にあったものではなく、何だこれは、と思わせるものにこそ価値がある」というようなことを仰った。  
 どの分野であっても個性的で唯一無二たらんとすることは困難を極める。それまでにあったもの、いわゆるコピーであることが早道なのは誰にでも解る。それは既に評価されたものであり、その評価に乗っかるだけだから楽には違いない。若い頃は気付いていても気付かぬ振りで押し通すそのようなことが、歳を取るとそうもいかないようになる。  
 人としての未熟さとは、たぶん自らの心根に改善の余地があると気付いたことではないかと思われる。聖者とは全てを乗り越えた境地に達したいという願望ではないか、のたうち回って描き続けるとは老いて尚情熱を持ち続ける決意のようなものではないかと思われる。  
 とかなんとか言っちゃってなんだけど、あたしもサックスをプープー吹いているだけのように見えて、実のところ人としての成長が最も重要なのではないかと案外真面目に考えたりもするのだ。

拍手[0回]

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

08 2018/09 10
S M T W T F S
1
3 6 8
10 11 13 15
18 20 21
23 24 26 27 28 29
30

アーカイブ

最新コメント