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見果てぬ夢


 故人となってしまった宮地利治の四十九日が迫り、線香でもあげに来てくれとの連絡を受け、諸般の事情で葬儀もなかったので是非もなし。電車ではるばる向かった。線香をあげた後、晩年の彼がどうだったかなどを聞き、もちろんこちらは20代の楽しい時代の記憶しかないわけだけど、ある部分戦友を失ったようなものだと痛感した。晩年の彼はライブ活動に精を出していたようだが、ライブギグのギャラだけで喰っていけるわけもなく、あまつさえメンバーのギャラは持ち出しの場合が多かったという。持ち出しとは、チャージバックの金を当てにせず、リーダーが自分の懐から工面することを言う。当然赤字だ。ライブハウスがレンタルホール化したのはいつ頃からだっただろう。ライブハウスの暖簾だけで客が集まる時代はとうの昔に終わり、出演者の集客能力頼りで営業するようになった。それでもライブを続けたいという演奏家は持ち出しでギグを行なうことになる。世間様から必要とされてないとも言えるし、それは自己満足のための行動だと言っても差し支えない。そりゃ、ま、満席ソールドアウトになれば万万歳だが、そのような演奏家は限られている。悲観的に考える材料はいくらでもあって、楽観的になることなど出来るわけもない。少々上手いとかで行けるものでもない。とにかく「これはなんだ!!」と誰もが驚くセンセーショナルなものでもなければ先はない。実のところ、みんな言われなくても分かっているのだ、そんなことは。それでも続ける気持ちに咎め立てをすることは誰にもできない。

 都営新宿線に乗るのも久し振りで、市ケ谷駅で急行を待つ。しかし、地下鉄の駅というのはどこも殺風景で寒々しい。駅というものはだいたい寒々しいものなのだが、地上を走る電車だと辺りの景色があって救われていることを知る。



 ホームのベンチに腰を下ろして寒々しい景色を見ているうちに、十年以上前の出来事を昨日のことのように思い出した。
 この路線には神谷町駅がある。東京タワーから近い駅だ。神谷町から歩いていける場所にサウンドシティスタジオがあった。ロシア大使館横の路地を入った先に、放送局と録音スタジオの入るビルがあった。このスタジオには頻繁に出入りした。ある日、朝10時からCMの仕事があって、その後同じスタジオで4時から別件の録音が入っていた。CMの録音は12時ごろには終わり、4時間も空く。帰宅するのは躊躇われた。帰ったらすぐ出てくる感じになるかもしれない。それで、神谷町から地下鉄に乗って銀座方面に遊びに行こうと決めた。4時間もあればのんびりできる。神谷町の駅もこんな感じで寒々しかった。改札を抜けて少し歩くと、椅子に腰掛けた男の姿が見えた。少し前のめりに座る彼の手にはワンカップの酒が握られていた。おっと、昼間っから酔っぱらいかってんでやり過ごそうとしたときに椅子の横に立て掛けられたギターケースが見えた。よく知っているギタリストだった。「何してんだ、こんなとこで」と訊くと「ああ、フッチー、おれさ田舎に帰んだよ」と泣きそうな顔で言う。明日帰ることになっているのだけど、色々と後始末することがあってある所に行く途中だが、気が重くなって降りてしまったのだという。気持の整理が付きかねていたらしい。銀座行きを止め、駅側の喫茶店に入って話を聞くことになった。酒のせいもあって生活が破綻し、女房に愛想を尽かされたなどという。それで、田舎に帰ることになったらしい。話し終えると少しは楽になったようだが、手助けできることはない。田舎で頭を冷してまた戻って来いと言って別れた。故郷へ戻り親の手配で堅気の仕事について頑張っていて、一度葉書をよこしたりしたが仕事は続かず、1年後には周囲の反対を押し切り舞い戻ってきて復帰した。彼も数年前に故人となった。
 何人かの天才はともかく、自分も含めて多くは見果てぬ夢に翻弄されつつ彷徨うということを改めて実感する。

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