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負のアクセル


 ずいぶん前の深夜、大阪でタクシーに乗った。話好きのおっちゃんで、会話も弾み、深夜ということもあって走行は快調だったが、大きな交差点を右折する時に、グイと体が振られるような感じがして、運ちゃんは「ツッ」と舌打ちをした。「どうしたんだ」と驚くこちらの様子を読んだかのように、曲がりきった辺りで運ちゃんが口を開いた。のっけに「あのやろー」などと物騒なことを言い、「いや、ね、交差点で右折車を見つけると、あの直進が急にアクセル踏みよるんですわ」  ああ、そういうのあるなあ、てな感じでその場は終っていたのだが、最近そのことをよく思い出す。加齢と共に車の運転が鬱陶しくなってきているのもあるが、どうも運転中の心理というものはあまり穏やかではない。一々何かと争っているような気分になることも度々。  

 性善説と性悪説ってものがあって、話をそこまで大袈裟にしてもいいのかってのもあるわけだが、このようなことだ。
 孟子の主張はこうだ。 「人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に備えていて,悪の行為はその本性が誤った方向に行った結果に過ぎない」  
 それに対して荀子の主張は 「人間の本性は利己的欲望であって,善の行為は後天的習得によってのみ可能なこと」  
 ま、どちらの言うことも正しいように思えるが、本来人間は我が儘勝手な生き物だという前提は捨てがたい。かてて加えて男には闘争本能のようなものが与えられてしまっている。交差点で信号が赤に変わる瞬間にアクセルを踏むのは、そういった闘争本能にスイッチが入るためだと考えられなくもない。右折車を見かけてアクセルを踏む不快で不作法な行為というものは、自分の優先性を主張する見苦しいことであるのは間違いないが、対向車が身内であればそんなことはしないはずで、それならあの方が昔仰った「人類はみな兄弟」ってなところに行けるかといえば、それには孟子も荀子も「そんなアホな」と言うに決まっているのだ。

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