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避難の転校



 転校生の話には続きがあった。転校して1年、4年生になっていた。ある日、伊勢湾台風を経験した名古屋の小学生がこの学校に編入してきたので、その時の体験談をお話して頂くことになったと先生が言う。質疑応答のようなものもあったような気がするが、だいたいはその見るからに利口そうな女の子一人で一時限近く話した。立板に水、淀みなくスラスラと、たぶん僕らのクラスに来るまでに幾つも教室を回ったに違いなく、そもそも流暢だったものがさらに滑らかさを増し、つっかえることなど一度もなく体験談をお話しになった。同じぐらいの歳の子の、その流暢さに舌を巻いた。たぶん自分のクラスで話したのを聞いた教師が「これは・・」と驚いて、その運びになったものだと思われる。
 彼女らの住んでいた地域はいわゆる海抜0メートル地帯で、海面より土地が低かった。台風の強風は強烈な高潮を生み、決壊した堤防もあるほど海は荒れ、かなりの範囲で町は水没した。この時の被害者は5000人を超えている。多くは流木による犠牲者だったという。台風が直撃したときの恐怖なども聞いたはずだがあまり覚えていなくて、唯一記憶に残ったのが割合きたなく尾篭な話だった。とにかく一命をとりとめた者たちがいることの出来る場所は屋根の上だった。水で流された家も多かったから、あがる屋根があっただけでも幸運だった。屋根の上で水の引くのを待つ孤立した人たちがポツン、ポツンと見えたそうだ。そこら中が水没しているわけだから、避難する場所も早急には確保できない。食糧だけは舟で運搬されていたものと思われる。とりあえず助かった人たちは水の上にぽっかり突き出た屋根の上で過ごすことになった。助かった安堵は屋根の上での生活の厳しさに勝っていたようだが、困ったのはご不浄だった。それで、数日経つとあちこちに便が包まれた紙包みのようなものがぽかりぽかりと浮いていたそうだ。ましてや当時は水洗ではなくほとんどの家がくみ取り式の便所だった。その汚水も拡散しているわけだから衛生上の問題は深刻だった。地域によっては水が引くまでに半年を要したところもあるらしい。この台風によってトランジスタラジオが普及することにもなった。
 伊勢湾台風は台風の恐ろしさを伝える際に必ず引き合いに出されるものになった。あの女の子がどれほど学校にいたのかは知らないが、全校30クラスほどをほとんど回ったのではないだろうか。

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