☆☆☆

集まり


 高校時代、不真面目で登校拒否一歩手前の生活ぶりだった自分としては、卒業させてもらったことはありがたくも、懐かしい同級生がいることはいたが学校そのものに大した愛着もなく、卒業30周年まで同窓会の類いに出ることはなかった。なにせ3年生の時の最終的な成績はクラスで最下位の一つ上にいたほどだ。最下位は島本だった。なにしろ、時間を間違って一時間遅れで母と入った講堂で聞いた、入学式の教師の挨拶は受験のことに多く割かれていて、とんでもないところに来たのかも知れないと気落ちした。その時点で大学進学は遠い出来事だと思っていたが、そうでないことに気付かされたってわけだ。教育は3段階で行なわれていると感じていた。まず、小学校で易しく教わり、中学で少し掘り下げて教わり、高校でさらに深く教わりってな調子だ。とても無駄な手順を踏んで僕らは大人になっていくと感じていたし、大学に入って殊更深く学んだからってどうなるんだってな反発もあったが、それを経ないと就職というものが難しいってのが謎に近かった。そうやって高度な数学などを勉強して、まったく関係のない就職で世の中に放り出される現実があった。若いうちは学校に閉じこめておいて、ほとんどの子供たちを18才辺りで世に送りこむというシステムで社会は成り立っているらしいということにも気付いていた。そのような事に対する反発もあり、ドロップアウトするべくして「辞めた、一抜けた」したわけだ。ま、可愛げの無い若者であったことは間違いない。今、思い返してみると、勉強が嫌だとか学校が嫌だとかいう理由ではなく、はっきり見えるわけではないが、明らかに存在する常識的なレールというものの上を走りたくないという気持ちが強かったのだ。危なっかしいことだとは重々承知の上で、実体のあやふやな道を歩く魅力に逆らえなかったと言っていい。
 卒業30周年の同窓会に参加して以来、ライブに足を運んでくれる人もいるし不義理は出来ないというので関東地区在住の人たちの同窓会に度々顔を出すようになった。これが不思議な集まりで、中学時代に同じクラスだった女史が2人いるが、他の人たちは未だによく分からない。同学年は13クラスもあった。一クラス50人としても650人いた。言葉を交わした人の数など知れているし、だいたいは同じ学校にいたかどうか名はもちろん顔など記憶にない。でも。同窓生ということで集まるのだ。学校で言葉を交わしたこともなく、顔も名も知らず、というのは他人といって差し支えない。しかし、集まると妙な連帯感が座を取り持ち、和やかに会は進行するのだ。たぶん、出席する人のほとんどが同じようなことを感じているはずだが、そこでそれぞれが見たいのは同窓生の今とか昔ではなく、高校時代の自分なんだろうと思う。一緒に過ごしたかどうかは定かではないが、集まっているからには同じ学校にいたはずだし、そこに出ることで昔の自分に会えるような気がするに違いない。その集まりが明日あって久々に出ることになった。まったく違うレールの上を走ってきた違和感を覚えつつ、幾分途方に暮れながら、隠しようのない爺さん婆さんに再会するわけだけど、少し気が怯む。

拍手[2回]

コメント

お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字

カレンダー

05 2019/06 07
S M T W T F S
1
3 8
10 11 14
17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30

最新記事

(06/16)
(06/15)
(06/13)
(06/12)
(06/09)
(06/07)
(06/06)
(06/05)

アーカイブ

最新コメント

[12/10 s・f]
[09/26 s・f]
[09/26 ぐれじゅー]