☆☆☆

7年が過ぎ


 今日も同じスタジオにいた。7年前のあの日は午後1時からの予約だった。無理な体勢で吹いていたので、初めは揺れているのが分からなかった。窓がガタガタと音をたて、地震に気付いた。ドアまでが遠く、体が揺れてドアノブに手をかけるのも大変だった。治まってからも吹き続けていると守衛がやってきて、呆れたような顔で帰宅しないでもいいのかと言われた。
 夜7時からの仕事に間に合えばいいと考えていたが、早めに切り上げて帰宅すると怯えた猫たちの姿があった。少し早めに出ることにした。テレビには津波が押し寄せる名取川周辺の映像が生々しく映し出されていた。只事ではないとは思ったが、まさか東京にもその影響があるとは考えてもいなかった。甲州街道に出ると車の動きはピタリと止まった。普段であれば30分ぐらいの距離に6時間ほどかかった。途中から、沿道に人の姿が多くなった。写真はブレて分かりにくいが、人の波は次々に増えて縁日のようになった。新宿方面から歩いて帰宅する人たちの列だった。



 携帯電話は一切通じず、街頭の公衆電話は長蛇の列だった。中止かどうかも分からず仕事場に向かっていたわけだが、11時ごろやっと仕事の事務所と連絡が取れた。昼からやっていた録音で、朝まで録音可能だというので引き続き六本木の先の仕事場を目指した。道路は混乱していた。都心部に向かったことのないママさんたちが亭主を迎えに行く車でごった返していた。その車線を走っているといつの間にか首都高速の入り口になるというような道がいくつかあるが、そこに入ってしまった車が車線変更するために目茶苦茶なことになっている。大きな道はダメだというので、勝手知ったる裏道を走り抜けることにした。そこからはスイスイと走れたが、大きな道路に合流する地点に来るとまたもや混乱の中に入ることになった。なにしろ、交差点のど真ん中に止まっている車があるのだ。渋滞しているからって、まさか交差点の中で止まるかってなものだ。新宿周辺は一大駐車場と化していた。亭主を迎えに来て到着したはいいけど、携帯がつながらず連絡が取れない人たちが沿道に停車するものだから、2重3重に車が停まっていた。人が一斉に動き出す確率というものがあるだろうし、日常生活というものはとても繊細なバランスで成り立っていることを思い知った。通常、電車で移動している勤め人が一斉に車を使うとこんな恐ろしいことになるわけだ。この時、都心部へ出た人のほとんどが「えーっ、なんでこうなるの」と驚いたことは想像に難くない。

 下の写真は以前にも使ったものだが、六本木に着いた時はすでに8時間が過ぎていた。


 1時から録音はスタートした。この時、被災地では寒さに震えつつ夜を明かす人たちがいたことなど知る由もなかった。何年も前からある政党が福島原発の地下電源の危険性は指摘していたらしい。あのような津波はまったく想像を超えたものであり、それは指摘する方だってそうだったに違いない。しかし、あの日、歴史上の出来事はいつだって想定外で突然起きることだけはよく分かった。

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