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鯖を買いに行って


 贔屓にしているというか、定期的に足を運ぶ食材店がある。酒類の販売などでも見かけるが、プロ御用達を謳っているチェーン店だ。飲食店舗経営者などが買い出しに来る店のようなイメージを持たされるが、決してそんなことはなく、そのような人を見かけたことは1年に一度あっただろうかってなものだ。



 ここに来るのは「ノルウェー産冷凍鯖」が主な目的で、安い割には美味いコーヒー豆なども買ったりする。なにせ、病院で「魚主体のお食事にしましょう。それも青魚がお勧めです。」とくどいほど言われ続けたので、すっかり洗脳され、一時は毎日のように魚を食べていた。まあ当然のように飽きる。そこで冷凍のハンバーグなんてものもたまに買ったりするわけだ。

 その店が数カ月前に閉店になった。これは一大事なのだ。チェーン店とは言うけど、そこら中に散らばっているわけではない。最も近いところで車で30分の所だ。閉店じゃ仕方ないので、月に一度ぐらいだからまあいっかと、はるばる買い出しに行くことになった。別店舗に行ったことはあるが、そこは初めての店だった。自動ドアがスーッと開いて、店舗内に入った瞬間「あれ、ここはなんか違うぞ」と感じた。店内が明るく思え、働いている人たちが普通の主婦然としたおばさんに溌剌とした若者、それまでに行っていた店とは明らかに違うのだ。趣がやけに上品で柔らかい。会計の際にそれが確信的になった。応対が丁寧に思えた。それまで通っていた店が下品だったというものでもなく、従業員はそれなりに仕事をしていたはずだが、どことなくやさぐれて見えていたのが何の違いかは判然としない。どこか投げやりにも見えるざっくばらんな人たちが集まっていたのかも知れない。行く度に感じていたことだったが、それがこのチェーン店の形なんだろうと理解していたわけだ。しかし、まったく違う雰囲気の別店舗で、それがあの支店の特徴だったのだと気付かされた。店長がそのような人で、なんとなく同じような人たちが集まってきた可能性もある。そう言えば、閉店するころは客も少なかったし、あのどんよりした店の雰囲気が客を遠ざけていったのかと納得する。同じ品揃えでも店というものは同じにはならず、店内の空気というものがすべてを決定するのかと感心した次第。

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灼熱の競技



 灼熱の日が続くが、夏というものはこうでなきゃ的にありがたい。ネットでSummer画像を検索すれば、開放的な明るい画像が次々と現れる。



 猫どもはすっかりばててグロッキー気味だが、とうちゃんは案外元気であれやこれやと忙しい。そうだ、忘れられかけてる古い曲をやろうなどと、譜面を探し回って検討したりしているわけだ。「To Each His Own」「I'll See You In My Dreams」などだが、インストでやるのは少々工夫が必要かも知れない。

 で、この暑い夏だ。2年後のオリンピックの演出関係も決まったようだが、気温が朝から30度近くまで上がるこの時期、ほんとに大丈夫なんだろうか。競技によっては命がけになってしまうのではないかと心配になったりするのだ。新競技場は、初めのうちは客席の下部から冷風が吹き出すようなことを言っていたが、あれも予算の関係で中止になった。まさか、日中に開会式などやらないと思われるが、観る方だって覚悟が必要なわけだ。しかしながら、日程の決定に関してはIOCの意向だとされているが、フィールド競技は死闘になるわけで無茶なことは間違いない。

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陽の光


 今日もまたとんでもなく暑い日で、道行く人たちは今にも倒れんばかりの体だし、辛うじて立っているようにも見えた。ま、こんな日に外を歩くのが間違っているわけだ。すべてはこいつのせい。太陽は地球上では照明とストーブ関係の両方を担っている。これがなければ地球上は真っ暗闇だし、誰かが計ったわけもなく想像だが温度はマイナス200度になるだろうと言われている。



 真っ暗闇でマイナス200度は、もちろん生命が存在できるような環境ではなく、だいたい想像することも出来ない無の世界だ。だが、地球はこれのおかげで、その微妙なバランスが一致したらしく、生命の誕生があり、生きものが生存できるギリギリのところでの暑さ寒さを受ける代わりに、様々なありがたみというものも享受することになった。たいしたヤツなのだ。
 しかしながら地球に届く熱量は太陽の発するものの20億分の1だという。地球から1億5000万キロ離れ、半径は地球の109倍、質量は33万倍。もう、凄いヤツだとはわかっても、実態を想像することもできない。サッカーボールと森下仁丹のような関係だ。仁丹は若い方には分からないらしいが、サッカーボールを22センチの直径として、二ミリの球体。で、そのでかい燃える火の玉が中心で照明と暖房関係を司り、その支配下を惑星はクルクル回っているわけだ。人生だって相当不可解だが、この宇宙の成り立ちをいうものの不可解さには到底及ばないとさえ思えるのだ。自然の中の美しい景色として扱われることもある太陽だが、下のような写真を見ると、なんというか恐ろしげでおぞましい。

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夭折


 なんという暑さだ、駐車場から自宅までの50メートルほどの距離でさえ、楽器を下げて歩いていると立ち眩みしそうになった。毎年同じようなこと言ってはいるが、さらに悪化しているようで、なにしろ梅雨明けはとんでもなく早かったし、まだ7月中旬だというのに例年の一夏分を過ごしてしまったような気がする。もちろん冷夏などという肩透かしを食うよりはいいが。



 昨日17日はコルトレーンの命日だった(1967年没)。奇しくも8年前の同じ日にビリー・ホリデイも亡くなっている。ビリー・ホリデイは44才、コルトレーンは40才だった。コルトレーンは知られるのが遅く、活躍したのは10年ほどだったが、聴き続けていても未だに全貌がつかめないほどの録音を残している。早死にの天才という言葉が即座に浮かぶ。モーツァルト、シューベルト、ヴォルフ、エリック・ドルフィー・・・・。同じようなことを以前にも書いた(20131022の記事)。その中の日本画家の言葉「天才というものは夭折するもの。私らのように死に損なったものは、生涯をかけてのたうち回りながら描き続けるしかない」は依然として重さを保ちながら常に頭の隅にある。こちらは古希寸前。少なくともコルトレーンより30年も長く生き長らえた。で、今の体たらくは何だというのもあるが、これでも少しは分かってきたんですよなどと言い訳のようなことも言ってはみる。しかしながらオリジナリティを求める重要性に気付きながらも、既存のもののコピーを巧みに再現されると焦ったりする脆弱さも併せ持つ。ま、それがのたうち回るってなことになるのだろうと思われる。

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 男というものは、どういうわけか度々女性とのお付き合いでヘマをしてご内儀の怒りを買ったり、職場であらぬ噂が飛び交い立場が悪くなったりする。巧みに事を運びヘマをしないヤツもいるが、どちらかと言えばずっこけて蒼ざめる羽目になる方が可愛げがあっていい、ってのは勝手な言い分だが、誰にもバレないように出来るヤツってのは油断ならないというか信用できない。



 若いころ、頻繁に付き合いのあったピアニスト兼作編曲家がいた。歳を取るごとに少しは売れたことで偉くなってしまったのか、尊大な態度で人に向かうようになり、それを見るのが嫌で少しずつ遠ざかるようになっていった。彼は「女と付き合うために仕事をするんだ」などと女好きを公言するバカだった。勝手にすればいいものを皆に言うことはない。そんなこんなで些か辟易していたころだ。
 渋谷のスタジオでの仕事を終え、渋谷駅前の交差点の先頭で信号待ちをしていた。左折して代々木公園方面に向かうところだった。いきなり、ヒラヒラと派手な衣装を翻し、踊るようにステップを踏む女性が目の前に現れた。蝶と言うより蛾のように見えた。「まあ、なんとけばけばしい」と少々呆れていると、その後からにやついたおっちゃんが登場したのだ。でかい態度もそこそこのあいつだった。「エッヘッヘッ、凄いのを選んじゃうんだな、公言するだけあって面目躍如たるものがあるなあ」などと感心しつつ、しかしながらとんでもない現場を見てしまったなあ、と笑ってしまったのだ。まさかそれを話すわけもなく、ほどなくして会わなくなっていったのだけど、広い東京などとは言っても、どこに誰の目があるか分からないものだと思ってぞっとした次第。

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