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幸せな時


 幼いころの記憶というものは断片的で要領を得ない。前後の経緯など消し飛び、一つの映像だけが残ったりする。大型トラックの助手席で見た山道の緑の木々、トラックの高い座席から手が届きそうな間近に葉が揺れるのが見えた。葉の間から木漏れ日が次々と現れては消えた。



 近所、と言っても家々は離れていて隣は50メートル先という案配だったが、何軒か集まった集落にかわいい柴犬の子犬がいた。その犬が好きで、わざわざ出かけては遊ぶのが楽しみだった。その集落には若いトラックの運転手がいた。大きなダンプカーだったような気がする。ある日、子犬に会いに出かけるとトラックの運転手が「乗るか?」と声をかけてきた。子犬がその人の飼い犬だったかどうかは覚えていないが、子犬と一緒だったら乗りたいと言ったのだと思う。「よっしゃ」というのでどんなに頑張っても乗れない高い助手席に押し上げてもらった。彼にしてみればいつも独りじゃつまらないし、子供とはいえ同乗者がいることが楽しかったに違いない。抱きかかえるといってもアップアップするようなものだったが、子犬は膝の上に乗っかっていた。車が走り出すとえも言われぬ充足感に包まれた。子犬を独占できることの喜びの方が強かったかも知れない。そこから長い時間を子犬と共に過ごすことになった。道中でどんなことがあったのか、お兄さんはどこに行って何をやって帰ってきたのか、その一部始終を覚えていないことはとても残念な気がする。記憶に残っているのは幸福感に浸りながら車のフロントウィンドウから見た木々の緑だ。いつの間にか子犬は座席の隣に寝そべっていて、僕らは並んで寝ていたかも知れない。帰途について集落の近くに辿り着いたのは薄暗くなり始めた夕刻だった。大変なことになっていた。到着する辺りに14、5人がいた。そこら中の人が集まっていたようだった。暗くなろうってのに子供が帰って来ないと母がみんなに言ったに違いない。この時間から捜索するのは大変だと色めき立っていたのだ。そこにのこのこ子供を乗せたトラックが帰ってきたのだから、騒ぎは若者に対する容赦ない叱責に変わったのだ。彼はみんなにこっぴどく叱られていた。携帯電話などない時代だから連絡のしようもないわけで、彼は蒼ざめてうな垂れるしかなかった。軽はずみなことをしてしまったわけだが、そのとき怒る大人たちに「この人は悪くない。なにしろ今日は初めて幸せな時間というものを感じることが出来たのだから。」と言いたくても言葉を知らず、ただ怒られている彼を気の毒に感じたことを覚えている。



 たぶんこの頃だと思う。一緒に写っているのは父ではなく、後に姫路で暮らしたときに来訪を心待ちにした父の弟の光敏叔父さん。

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ろー眼


 サックスのリードをマウスピースのどの位置に合わせるかは人により様々だが、自分なりの調整というものがある。40代半ばのある日、その位置を決めるのに手間取ることに気付いた。ようするによく見えないのだ。最初は見えにくいなあってな感じだったが、もしやと思ったのは老眼だ。洒落たインテリア関連の店で、プラスティック製の折り畳み可能な簡易老眼鏡を見かけ試しに買ってみた。げっと驚くほど見えるようになった。そうか、老眼かと肩を落とすというものでもないが、確実に加齢していることを知った。それで眼鏡屋に赴きちゃんとした老眼鏡を作った。




 まだ40代だから頻繁に使うものでもなかったが、これで一安心てな案配だった。スタジオでの録音で譜面を読む際には使わなくてもすんだから、結局はリード合わせのために買ったようなものだった。後に複視の傾向が顕著になりスタジオ業務からは遠ざかることになったのだが、この時期は老年の新人というようなものだった。50代に入るとたいして使わないとは言え老眼鏡をポケットに忍ばせるようになった。そんなときに知り合ったのがヴァイオリンの尾花さんだった。「あれっ、老眼鏡使ってんの。ダメだよー。これは使えば使うほど進行しちゃうんだから。」「でもさ、見えにくいときってあるでしょ」「いや、見るの。根性で見るの。筋肉関連が衰えているわけだから見ようとするのよ。すると進行が止まるからさ。オレなんかさ、今でも使うことはないよ。少々暗くたって新聞でも読めるからさ。」へーっと驚いて仰せに従ってみた。
 今、この歳でも本を読むのに老眼鏡は使わないというか。そもそも持っていない。むかし作った老眼鏡はフレームも曲がり雑多なガラクタと一緒に引き出しの奥深く眠っている。彼の言ったことは正しかったに違いないのだ。しかし、さすがに薬の小さな瓶に書かれている成分表だとかは判読するのは容易ではない。人の体は加齢と共にあちこちが消耗してガタが来る。最も気をつけなきゃいけないのは血管だが、歯、目など小出しに症状が現れ、気が付くと正しいお爺さんお婆さんが出来上がるってことになっているらしい。

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消えること


 毎度の辛気臭い話だ。人の死というものを最初に知ったのは小学1年か2年、姫路に住んでいるころだった。姫山住宅という、今でいえば団地のようなところがあった。三軒ほどの平屋の住宅が連なった長屋のような棟が幾つもあり、そこは東町、西町というように区分けされていた。それとは別に、やはり木造で大きめの大所帯のアパートのような建物もあった。そのアパートのような建物の一室で首を括った人がいるという噂があっという間に広がった。不気味な話だったが、その部屋のそばまで行った。多くの人が詰めかけていた。もちろん子供などが近くに入れるわけもない。遠巻きにしているだけでも、暗い部屋で自ら命を絶った寝巻き姿の男の姿が見えるような気がした。「襖に血で書かれた遺言があった」という話も聞こえた。何か書かれていたのは確かだろうが、血で書いたというのは作り話のような気がする。死というものを認識していたかどうかはともかく、建物の通路の暗さやその場の放つ重苦しい空気などにショックを受けたことは間違いなく、50年以上を過ぎた今でも忘れない昭和30年代初めのことだ。 



 それからも親戚内の弔事を聞きはしたが、長寿で天命を全うした者に対してのショックは別のものだった。ミュージシャンとして働き出して知り合ったバンマスに、元シャープス&フラッツでドラマーとして名をはせた武藤敏文さんがいた。当時は独立してニュー・シャープスというバンドを率いていらっしゃった。レギュラーとして鴬谷のグランドキャバレーに出演する傍ら、不定期に米軍キャンプの仕事などがあった。どういう縁か、一度だけ誰かの代わり、いわゆるトラで鴬谷の店に行った。すると武藤さんから何かにつけて頻繁に電話が入るようになった。その頃ウチには迷惑な電話魔がいて、うっかり取ると1時間も2時間も付き合わされた。武藤さんはその間中イライラと待っていたらしく、開口一番「しかし、長い電話だよなあ」と仰った。何が気に入られたのかは分からないが、とにかく自分のバンドに来いと何度も何度も誘われた。ある夜は「何か、そうだ車買ってあげるけど、どうだ」とまで仰った。絶句した。そりゃあ、ま、気に入られて気分が悪いはずもないのだけど、ちょうど新宿のピットインに出演して盛り上がっていたころだ。大所帯の中で演奏する心境にはなれなかった。ある日は楽屋で話し合いになった。武藤さんは昔の写真アルバム持参で、海外の多くのジャズメンと共演した際のスナップを嬉しそうに何冊も見せてくれた。この場所に一緒に行こうよと熱弁を振るわれた。トラで行くのは問題なかったが、武藤さんの誘いを断るのが申しわけなく思えて少し間を空けようとした頃だった。訃報が入った。武藤さんの趣味の一つがモーターボートだった。その日は子供を乗せて東京湾に出ていたそうだ。もしかすると時間の読み違えで焦っていたのか、帰りに操舵を誤り橋桁に激突し亡くなられた。子供の安全を確認して沈まれたと聞いた。武藤さん亡きあと引き継がれた方の元でも何度か演奏したが、もう来る必要はないなと痛感して行かなくなった。亡くなってからだ。武藤さんの人柄に惹かれていたことが分かったのは。縁は不思議なものだと思う。相性というものがあって、その人の前に出ると自分の悪い部分が首をもたげて来る場合もあるし、その逆に素直になって穏やかでいられる場合がある。武藤さんの場合は後者だった。嫌味な自分はすっかり影を潜め健全でいられた。死というもの、あの時初めて何かを失う悲しさというものを知った。

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 台風の余韻で暖かい日だったが、見上げれば紛れもない秋の空。小学生のころ夏休みの自由課題で雲を取上げたことがあった。思い立って始めたはいいが、毎日の雲の様子を描くのは退屈なことだった。夏はだいたい積乱雲、いわゆる入道雲がほとんどだったし、日誌のページは変化のないつまらないものになった。それで、雲の名を少しは覚えたが、今日の空の雲が高積雲なのか巻積雲なのかはよく分からない。うろこ雲というのが巻積雲なのだが、うろこ雲状の高積雲というものもあるらしい。しかしながら秋の雲であって、夏にこのような雲を見ることはない。

 ノーベル賞の受賞者がまた日本から出た。知らない学者だ。医学の世界では有名な方だったらしいが、ノーベル賞の受賞で突然注目される。文学賞の大江健三郎氏や川端康成氏は知られていただろうが、物理学、化学、医学の分野での受賞者がそれ以前に話題になっていたという話は聞かない。受賞者の名前が発表されてもほとんどの人の反応は「それ、誰?」に違いない。受賞理由の説明があってもさっぱり分からない。特に物理学賞に至ってはチンプンカンプンと言っていい、しかしノーベル賞だ。それは立派なことに違いないというので褒めそやす。私らには理解できないことを成し遂げたことを評価するのであって、大方の人たちはよく分からないけど目出度いことだと言うのだ。よく考えれば妙なことだ。分からないことだから、数ヶ月もすればみんな忘れてしまう。日本に学者がどれほどいるのかは知らないが、結局のところこのような賞を受賞しない限り知られることはない。ノーベル賞というのはそういうものらしい。ま、金メダルも同じようなものだけど。

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八日目の蝉


 相変わらず読み続けている角田光代さんの小説も、そろそろネタ切れが近いようだ。今は代表作のように言われることもある「八日目の蝉」に突入した。しかし、これは映画化されていたなあと思い出しビデオを借りてきた。小説の回りくどい言い回しに少々疲れたわけだ。映画は井上真央と永作博美という女優が中心になっている。この2人の女優さんが私的には似ているように思えて見分けが付かなかったりするのだ。しばらくは独り2役かと思っていたほどだ。それで映画を観終えて再び活字に戻った。すると映画の印象が邪魔をして、活字の中でも2人が現れて混乱し、映画なんか観るんじゃなかったという展開になってしまった。

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