☆☆☆

時代は頭上を越え


 紅白歌合戦(最早あまりにも古い名称)の視聴率が悪かったとか、いや視聴率が高かったのは何もない時代だっからで、今の時代で考えれば決して悪くない、とか様々な意見があるらしい。視聴率などはどうでもいいが、長時間の生バラエティであって、そもそも音楽番組ではないような気もするわけだ。歌を聴かせるというより、選ばれた嬉しさに幾分上ずりながら、全身で喜びを表現する作り笑顔というか、みんな躁状態で舞い上がっているというか、冷静に見ればけっこう見苦しい。それは過去の同番組の再放送を見ると生々しく浮き彫りになる。「ここはお祭りだし、野暮なことは言わないで、ほらみんなで楽しそうに振る舞うってのがいいでしょ」と白々しく演じているような不気味さがある。結局のところ、カラオケで歌う歌手も多い。芸能のスタンスではなく、音楽に焦点を合わせたやり方は出来ないものかと思う。振り付けなど一切禁止、衣装は自由だが基本は生オーケストラに生歌。カラオケを使わなければならないような楽曲はオーケストラでリ・アレンジする。あくまでも声だけでやれってな話だ。そりゃあ、まあ、何人かの出演者は学芸会規模で自爆することになるだろうけど。コントなどを省けば、出演歌手はもっと増えるし万万歳ってな感じだ。
 歳を取ったせいだとは思いたくないが、「これのどこが面白いってんだ」と首を傾げざるを得ない芸人が毎年一人や二人はいる。昨年はブルゾン何とかという女性芸人だった。シュールな芸だと説明され少しは納得したが、面白い芸だとは思えず、むしろ恥ずかしい芸のような気さえした。大ブレークして騒がれた「君の名は」という映画のテレビ放送を観た。つまらない映画だと非難するものでもないが、筋は粗く、挿入歌は煩わしくあれほど騒がれるものだとは思えなかった。時空を超えた恋愛物語だったわけだが、作った側だってこれほどヒットするとは意外だったかも知れず、制作側が腰を抜かしているような気もする。
 お爺さんたちには分かりませんことよ、などと言われれば否定もできないわけだが、これのヒットは新手の情報操作によるものかと疑念さえ抱くのだ。

拍手[0回]

今日は凶



 昼の暖かさは、この時期には珍しいほど心地よく、フラフラと歩いて近所の神社に初詣。夜は夜で、煌々と照らす大きな月が見えた。


 そうか冬は終わりか、ってそんなこたぁないわけだが、まさに新春ってな感じ。しかしながら、お参りした神社でお御籤などをひいたわけだが、これが「凶」げっ、なんだよこれ正月からこんなのありかと驚いた。こういったものを全面的に支持するものでもないが、気分がいいことはなく、前途多難かとうな垂れた。

拍手[0回]

新年


 明けて2018年。一夜が過ぎただけなんだけど、お目出度いかどうかはさて置き、誰もが等しく歳を取る。末尾が9だったものは、次なる大台に突入する。19は20に、29は30に、49は50にってな案配で、10分の一の確率だが、その都度「あーあ、ついに」とため息をついた記憶がある。
 暮も押し詰まったころ、スーパーの売り場などで子供の上ずった声を度々聞いた。正月が待ち遠しいのかなとも思えたわけだが、自分にも正月が楽しみだったころがあった。それは正月になれば美味いものが食える、お年玉が手に入るというような他愛ないものだったが、ことさら特別な日だったことは間違いない。元旦に開いている店などなく、町は息を潜めるように静かで、そこここで平和を噛みしめるような佇まいがあった。元旦のテレビ番組からは必ず琴の「春の海」が聞こえた。母はいつも枕元に真新しい下着を用意していた。起きるとすぐ着替え、家の新年は始まった。おせちと雑煮をいただく食事は平和の象徴そのものだった。毎年、用があるわけもないのに、だいたい一人で初詣と称して街に出かけた。雑踏から逃れ、新年の挨拶が掲げられた裏通りの商店街を抜けて帰るのが好きだった。人通りはほとんどなく、ただ自分の足音だけが響いた。あの静けさが正月だった。

 さて、今年。何か期することがあるわけもなく、これまでと同じように過ごすだけだが、年を追う毎に深く肝に銘ずるのはストレスを避けること。面倒なことからはサッサと逃げるに限る。聞きたくないことは聞かず、知りたいことだけに注意を傾け、平和を維持すること。解決できないことからは目を背け、これもサッサと忘れること。それはウチのねこ共から学んだこと。

拍手[0回]

2017年の終わりに


 いよいよ今年も残り一日。ブログは閉鎖したり復活したりと、相変わらずの気まぐれで、しょうがないヤツだったにも係わらず再び来訪頂き感謝している次第。
 しかしながら、今年は何かとトラブルも多く、まるで悪魔に魅入られたかのような一年だった。ブログには書かなかったことも多く、ライブの不始末などは些細なことに過ぎなかったとも言える。歳を食って、体のあちこちがガタガタになってきていることを実感したりしていると、とどめのように後輩の訃報が入ってきた。来年は全て上向きであることを願いつつ新年を迎える所存。どちら様もよいお年を。

拍手[0回]

醜聞


 いつの間に週刊文春はスキャンダルを狙い回す雑誌になったのかは知らない。とにかく芸能人などのスキャンダルを暴くことが重要な方針になったらしい。いっそのこと誌名を変更するべきかと思われる。似たような響きだし、週刊文春改め「週間醜聞」というのが相応しい。もちろん昔から醜聞というものは読者が好むもので、世間を大いに騒がせた1970年「週刊ポスト」の「衝撃の告白」が記憶にある。あの記事は出鱈目だったとか言われてはいるが、そのようなことに興味などなかったこちらが覚えているぐらいだから当時かなりの反響があったことは確かだった。



 スキャンダルは人々の生活に何の影響もなく、ただひと時の娯楽を提供するだけで、すぐ忘れられるに決まっているわけだが、当事者にしてみればそこからの人生を激変させてしまうわけだから罪深い。ほとんどは秘め事を白日の下に晒すという形で行われる。下半身の問題、いわゆる性的な過ちというものは、倫理の問題にすることができるわけだから、攻撃する側としてはまことに都合の良い対象になる。秘め事を暴きたて「さあ、どうなんだ、どうするんだ」と執拗に追い立てる。証拠の写真もあれば鬼に金棒、正義を振りかざして心置きなく責めることが出来て万万歳ってな調子だ。こないだは50代半ばの女優が地雷を踏んだ。しかしながら、この場合は夫であるタレントが絶妙のフォローをした。疑惑は確定とも思える証拠の数々を否定し「妻の言葉を信じる」と応対した。さて最も怒っているはずの連れ合いが認めないと言っているわけだ。攻撃側は肩透かしをくらったようなものだったに違いない。もちろん、本当のところは分からない。しかしながら彼が認めないと断言したことで攻撃する側は追い詰める動機を失った。彼にしてみれば妻に不倫された夫という汚名を晴らすことにもなり、さらには不倫した母親を持つ子供という誹りを免れた。ようするに家族を守ったわけだ。彼女のそうした傾向は初めてではなかったのかもしれないし、それがスキャンダルを探すヤツ等に引っかかったとも考えられる。週刊誌側としては愛憎劇が繰り広げられて盛り上がる算段だっただろうが、結局はいきり立つこともなくかわした方の勝ちというか、そんな反撃もあるのだと感心した。

拍手[0回]

カレンダー

01 2018/02 03
S M T W T F S
1
4 7 10
12 14 16
20 21 22 23 24
25 26 27 28

最新記事

(02/19)
(02/18)
(02/17)
(02/15)
(02/13)
(02/11)
(02/09)
(02/08)

拍手の設定は強要するものではありませんが、ヘーッと思ったら拍手、そんなアホなと思っても拍手ってな案配です。

アーカイブ

最新コメント