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一年の3分の一終了


 みかん、新たに購入したカゴのふかふかのマットがお気に入り。しかも春、だいたい猫というものは一日中寝ているわけだが、この時期の日だまりの中でうとうとするのは至福の時間に違いなく、代わりたいぐらい。



 近所のおっちゃん家の小薔薇は咲く寸前に見える。おっちゃんによると、今年は虫がついて大変だったらしく、薬のせいで葉がうな垂れて見え、そんなことを仰る方ではないのだが、内心「クッソー」ではないかと思われる。



 駐車場の車の上に覆いかぶさるように桜の樹がある。毎年、咲いているときには美しいなあでいいし、花びらが落ちたら落ちたで風情があって不満はない。しかし、その後がよくない。花びらが落ちた後に、ガク片とか花柄とかいう花を支えていたヤツ等が残るわけだが、それが4月の終わりごろに降り注ぐのだ。いわゆるゴミであって風情もへったくれもない。ワイパーの上に溜まる枯れたそいつ等を取り除くのが日課になる。最初、そんなことは知らずにウォッシャー液を出してウィンドウの掃除をしたら、幾つもの筋が広がった。ゲゲッてなものだった。
 浅田次郎さんのエッセイにおもしろいことが書かれていた。「おんな」「おとこ」という呼び名についてだが、某国営放送などでは基本的に「女性」と呼称するが、犯罪などに関わった際には「おんな」と言うそうだ。浅田さんは女性という呼び方が好きではなく「おんな」でいいのではないかと仰るわけだが、今や「おんな」は負のイメージを表す言葉になってしまったと嘆かれている。そういえば、犯罪を伝えるニュースなどで「警察はおんなの行方を追っています」などと聞くのは確かなのだ。それはもちろん「おとこ」の場合も同じで、報道の場ではそのような取り決めがあるのだろうか。

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血の巡り


 この部屋でのトレーニングを始めて10年が経つ。近ごろは物覚えが悪くなったというか、毎回スタートラインから吹き出しているような気がする。以前はそうではなかったようにも思える。今日は昨日の続きであり、少しだけでも前進があった。なにしろ、深く考えずとも、その場の思いつきが有効だった。要するに瞬発力などが失われているらしい。血の巡りが悪くなったともいえる。



 昨年の秋、手術をした。2ヶ月に一度の通院は続けていて、目的のほとんどは薬を処方してもらうことにある。血がサラサラになるのを促進する類いの薬だ。心臓に爆弾を抱えているというか、再発だけは避けたいから真面目に通院しているわけだ。型通りの血圧測定などをして、女医が普段は滅多にやることのない聴診器を取り出して、それも珍しく腕の脈のあたりに当てた。先生の顔色が変わった。それを見てエッと驚く。「変な音がする」と仰る。その後エコー検査で確かめると同じような診断だった。
 それで、大きな病院の血管外科の医師に紹介状を書いて頂き、次の日に行った。まず若い医師の診断があって、主治医の指示を仰ぐことになった。人間の血液の動脈は心臓から血液を送りこんで循環させている。静脈はそれ自体で血流を作ることは出来ない。動脈からの圧力で静脈の動きは作られている。そこで問題が起きていたらしいのだ。動脈から大量の血液の流出があるという。実際、その音はかなりはっきり確認できて、「ザー、ザー」と不気味に聞こえる。シャンク音と言うそうだ。主治医はベランメー調で仰るのだ。「まあ、ね、手術が必要かどうかってえのは微妙なところでね、今なにやらそれで症状が現れているってなもんでねえしさ、決めるのはあなた次第だな・・・」「日常の生活にはなんの支障もないんですけど、放っておくと何か問題が?」「そこなんだよな、たださ、あなたの場合は心臓への負担という点でリスクはあるかもしれない、ってのは言えるわけさ」「エーッ、どうすれば?」「こちらとしては手術をしろとは言えないんだな・・嫌だといえばそれまでだけど」。しばらく考えて手術をすることに決めた。それで、この手術の大変さを詳しく聞くことになった。ちょうど右腕の脈のあたりだが、この場所は血管と神経が複雑に絡み合っている場所。執刀はかなり神経を使うことや、万が一の失敗のことまで。失敗の可能性はほとんどないが、それでもゼロとは言いきれないなどと脅される。しかし、決めたからには後には退けない。一週間後の手術に決まった。症状は何かに強くぶつけたりして起こることもあるらしいが、気付かなかっただけで、たぶん先天的なものではないかということだった。正式な病名は忘れてしまったが、動脈瘤とかいう名だった。
 診断箇所は一センチにも満たない小さなエリアで、実際の手術跡は5ミリほどの痕跡が薄ら残っているぐらいのもの。そのなかの微細な血管の一部を括ろうというのだ。ほとんどミクロの世界で、米粒に写経する変なこと自慢というものがいたが、それに勝るとも劣らない。

 手術前日から2泊3日の入院。あの若い医師が執刀するのかと不安もあったが、ここまで来たら腹を括るしかない。手術前夜は強制的に入浴させられる。ま、それは手術のいつものパターンだ。5年ほど前の手術の経験もあって、さして緊張もせず本を読んで過ごした。だが、なかなか寝つけない。自分では平気なつもりでいたが、隠れた部分で不安を感じていたらしい。
 手術は朝早くから行なわれた。予定では長くて一時間とのことだった。手術室は八つほどあって、待機所にはその日の手術を受ける方たちが、同じように車椅子で待っている。そこを通り抜けて手術室へ。広い手術室には看護師を含めてかなりの人数がいて物々しい。5年前の心筋梗塞の手術の際は無意識状況だったが、しらふで自ら手術台に上がるのは怖気を震う。
 麻酔がかけられるが全身ではない。それは意識がある状態にしておいて反応を見ることでもあったらしい。執刀はべらんめえの主治医だった。麻酔が効いているから直接の感覚はないけど、腕にメスが入ったのは気配で分かる。ああ、薄気味悪いなあ、ってなもんだ。で、神経だ。やはり神経にまったく触れずに執刀は難しいらしく、触れた瞬間、腕がビョビョーンと凄まじい勢いで撥ねるのだ。肘をぶつけたときにビリビリとするのを「ファニーボーン」というそうだが、あれが大挙して攻めてくる感じ。先生はかなり緊張してメスを入れているらしいが、それでも何度もビョビョーンがあった。30分ほど経過したところで何やらただならぬ気配がする。これだと思うものを結んだらしいが、まだ大きなシャンク音は聞こえるという。「あれっ、おかしいなあ」というところだった。それで、「大元の所には辿り着いていなくて、このまま閉じてしまうか、もう少し奥を探すかという状況なんだけどどうしますか。かなり奥の裏側に隠れているようで、これ以上続けるってえと何某かの後遺症が出る可能性も・・・・」「ここまで来たら続けて下さい、何かあっても受け入れますから・・ここまでの運ですから」
 続けることになった。ここまで痛みがなかったかというとそうではない。麻酔は筋肉部分などには効くが、血管には効かないのだ。だからメスが血管に触れる度にのけ反るほどの痛みが走る。さらに奥の方を探しているのが腕が引っ張られる感覚で確認できる。先生は息を飲んで見守る看護師たちに声をかける。「おまえら、黙ってないで何か冗談でも言ってみろ。まったくよー」
 この時、手術室の中に音楽が流れているのが分かった。部屋にいる全員の緊張をほぐすために音楽を流しているらしい。それで「音楽じゃなくて落語のテープとかないの」などと軽口を聞いてみる。「ああ、これだ、これだ」と大元が見つかったとき、すでに一時間半が経過していた。そこを括るときの痛みには涙が出そうになった。やはり執刀医としては完結しないのは嫌だったろうし、無事終わらせることが出来て嬉しそうな声を上げた。「ありがとうございました」というのが精一杯だった。
 その夜、痛みがあるはずですからと、心配そうな若い医師に痛み止めをもらった。痛みはまったく来なかった。執刀した部分がケロイド状に腫れ上がってはいたが、それも一週間ほどで消えた。退院後の再診で、主治医の腕の確かさに若い医師が感動すら覚えていることを知った。まったく大したものだった。
 退院の日、金を用意して受付に行った。日曜日で閉まっていた。「後日お支払い下さい」ということで猫の元へ帰ることになった。肩の荷が下りまくって宙を飛んでいるように身軽だった。
 あれだけの痛みを我慢したし、少しはご褒美もありだよなってんで、普段は避けているチャンポンの店に向かうことにした。ご褒美がチャンポンってどうなのよと思われるかもしれないが、塩分控えめの食生活を続ける者にとってはチャンポンがとてもありがたいものなのだ。

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怪説


 突然、南北首脳会談が行なわれて世界中がアッと驚く。中国を訪問したあたりから対外政策の変換を目指しているようにも見えていたわけで、成果がどのような形で現れるかではあっても、きな臭さは一段落。
 一方、国内ではアイドルグループの一人が強制猥褻で書類送検だとか。アイドルったって46才のおっさん。何度か見かけたことがある程度で詳しくはないが、キャラクターはともかく器用な人ではなく、自分をどう処していいか困っているように見えた。このような問題を起こす人は過去にもいたが、だいたい消えていった。過ちのイメージがことさら悪く復帰は難しい。しかし、今回は復帰を難しいとしながらも、可能性はあるらしく絶望的だとは報じない。ヘーッてなものだ。

 むかし、高校野球の解説者で池西増夫という方がいた。この方の解説は好きだった。余計なことは言わず、解説はいつも的確で、何よりもグラウンドの選手たちに対する愛情があったし、聞いていて不愉快になることはなかった。しかしだ、この方は対極にあると言って差し支えない。余計なことは言いまくるし、尊大で、何よりも選手たちに対する敬意がない。こき下ろすのも愛情だといえば不承不承納得しないでもないが、基本的に弱点を論うことが解説だと思われているらしい。アメリカでも日本でも大谷旋風が吹き荒れているわけだが、これが気にくわないらしく、3試合連続ホームランはまぐれだと言うし、メジャーのレヴェルが落ちたなどと平気で曰う。見る人たちは大谷の活躍が嬉しく、自分の果たせなかった夢も含めて、彼に期待しているわけだ。そこに水を差すようなことを言わずに、「やあ、たいしたもんだ。このままいけば凄いやね」などと言っていれば良いものを、元プロ野球のご意見番としては何か苦言を発せずには収まりが悪いようで、余計な毒を吐く。先行きのことなど一般人の知ったことではなく、これもいわばショービジネスの世界だし、野球道のようなこと言われても鼻白むばかり。このような物言いを芸風にしてしまったわけだが、御本人は疲れないんだろうかと時々思う。

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級友


 昨日の夕陽は紅く燃える太陽を実感した。ああ、ホントに燃えてるんだってな案配。



 さて同窓会だが、例年連絡を頂くものは高校のもので、それ以前になると中学のころの同窓会の連絡は一度だけあったが行けず、それ以後は行われていないらしい。小学校のころのものはない。もっとも姫路での2年間のクラスなど一人か二人の記憶がおぼろげに浮かぶだけで、ましてや隣のクラスなど覚えているわけもない。佐賀に3年生として転校したが、そのクラスは先生以外誰も記憶にない。だいたいそんな風だから小学校時代の同窓会というものは行われないようにも思える。50年ぶりかで会ったとしても、「君はだれ?あんたは?」ってな具合に、誰もの記憶が風化し初対面のような集まりは意味がないともいえる。しかし、通った佐賀の小学校では4、5、6年のクラスが持ち上がりだった。それは実験的な試みだったらしく他で聞いたことがない。二年の持ち上がりはあるようだが、三年は稀なケースには違いない。このクラスの級友たちは、全員は無理だとしても、数多く顔も名前も即座に思い出すことができる。ただでさえ子供のころの一日は長い。それが3年間だ。小学校低学年ではなかったから記憶も鮮明に残っているわけだ。リーダー格だったのは誰よりも身長のあるヤツだった。そのリーダーと取り巻きもいいヤツだったから乱暴者がクラスをかき乱すことはなかった。森山くんは強ぶる気弱な乱暴者だったが、リーダーたちが蓋をすることで出番は限られ、少々の悪さはしたが嫌われ者として定着していた。ずいぶん後、高校3年の終わり頃にダンスホールでアルバイトのように楽器を吹いていたことがあった。そこに現れたのが森山くんだった。彼は中学卒業すると関西方面に就職したらしく、お正月の帰省だった。声をかけられ驚いたのなんの、長いコートの姿は少し恐いお兄さんのようでもあり、顔つきが大人の世界で生きていることを語っていた。小学校のころはリーダーたちの蓋によって大人しかった一人は中学に入ると少しグレて恐いヤツに変貌した。彼は中学卒業後は船員になった。なんの船だったかは忘れたが世界中回るというようなことを言っていた。彼と久し振りに会った時、得意そうに「あの町では女が安く買える」などと言うのを聞きゲンナリしたことを覚えている。太田君はあがり症で人前に立とうものなら気絶でもしかねなかった。行進の練習の時に彼の歩き方がおかしいと気付いた教師がいた。可哀想に、彼はみんなが円を描いて行進している中央で一人だけ個別に練習させられた。緊張がマックスに達した彼は増す増す歩き方がおかしくなった。右手と右足が同時に出るようになってしまっていた。僕らは彼のシャイな面を知っていたから、そんなことが逆効果だと分かっていても教師に抗議できるほど強くなかった。
 小学3年生の時に初恋のような感情を持った。それは学芸会の舞台だった。その子は5人ほどで踊る「月の砂漠」の中の一人だった。舞台から離れているにも関わらず目が釘付けになり、電撃が走った。経験したことのない感情の動きに戸惑った。4年生のクラス替えは校庭で発表された。壇上から名前とクラスを告げられたものが、その枠に入るというような形だった。その子が同じクラスの名を告げられて入ってきたときには、無表情のまま心の中で万歳三唱した。今のこどものようにませたものではなかったから告白などというものはなかったが、クラスメートになれたことで、より3年間が楽しくなった。
 小沢章友は当時の親友の一人だった。家が近かったのもあるが、中学校のころビートルズをいち早く聴かせてくれて、音楽への道を開いてくれた恩人だともいえる。考え方によっては恩人というよりも災いの扉を開いてくれたと言える。彼は作家になった。直木賞だの芥川賞の恩恵に与ることはなかったが、小学校のころから既に片鱗があったらしい。クラスで学芸会の時に芝居をやった。どちらかと言わなくともお調子者であった僕は台詞の多い役どころを演じることになった。映画が好きで、いつの間にか役者の台詞回しを真似ることができるようになっていた。思い出せば相当恥ずかしいものではあったが、時代掛かった役者のように喋った。後で、別のクラスの担任に「ほら、芝居のうまかったヤツがいただろ」と訊かれて赤面したことがある。まさか、その後芝居の道に走ることなどは考えもしなかったが、舞台に立つと言う意味では同じようなものかもしれない。その芝居の台本を書いたのが小沢だったことを5年前に小沢と飲んだときに知った。彼とは新宿ピットインでの吉田美奈子さんのライブの際に50年ぶりに会ったのだ。
 リーダー格だったヤツとは同じ高校に通った。彼は小学校時代のカリスマ性を徐々に失っていった。他のヤツ等の身長も伸びてくるし、威圧感は少しずつ消えた。しかし、彼がいたことで3年間は実にうまくいっていたから、その功績は大きい。 
 「あいつ今何してる」という番組を見ることがある。見続けている内に、これは何らかの形で成功している旧友たちを追うものであって、当たり障りのない展開に飽きてきた。もちろん、犯罪を犯したなどという者がいたとしても取上げるわけにもいかないだろうが、知りたいのは明暗のすべてだと無理を承知で思う。件の高校の同窓会にしても、出席するのは成功とまではいわなくとも安定した生活を行なえる人たちの集まりであって、本当に会いたいのは他の人たちだったりする。それこそ、あいつ今何してるなんだけど会えることはない。苦労話の一つも聞いて力付けることができればと考えたりするが、それは余計なお世話に違いない。

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季節は巡り


 駐車場への行き帰り、つい花たちに目がとまってしまう。春なんだなー、ってなことを言いたくなってしまうわけだ。



 東中野に住んでいたころも、桜の季節は「ほーっ」とか「へー」などというのはあったけど、このような花を見かけたことは記憶にない。



 いわゆる大邸宅の庭先などにはあったかもしれないが、コンクリートで囲まれたような町並みでは無理というもの。

 

 猫を抱えて越してきて10年、四季折々楽しませていただいている次第。
 冬の間は生け垣にも痕跡は見当たらず、もう死に絶えたかと思わされたおっちゃんの家の薔薇も芽吹き、もうすぐそこらが真っ赤に染まるってな案配。

 
 自然の摂理とはいえ、こいつ等は四季のスパンをしっかり認識しているらしい。ってなことに感心しつつ一年の3分の一が過ぎようとしている。速い、時の経つのが実に速い。

 先ごろ毎年行われる同窓会の案内が来た。今年はパスすることにした。当たり前のことだけど、未来への展望など出るわけもなく、同窓会というものは概ね昔の話しかしない。御多分に漏れず年寄の集まりだから病気自慢とかは出るけれど、昔の話だけが共通の話題だから仕方ない。懐かしさだけで語られる昔の話は罪がない。その後それぞれに歩いてきた道は不問に処し、その短い時代だけを摘みあげて愛おしむってのが少々疲れることに最近気付いた。高校卒業30周年の集まりは超が付くほど面白かったが、やはり同窓会というものはその位の時の経過があって初めて成り立つような気がするわけだ。

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