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故郷


 懐かしくも珍しい写真データが出てきた。2004年の11月に母が亡くなり、住んでいた県営アパートを整理する際に撮ったものだ。老朽化した建物を建て替えるためにしばらくは別の住居に移動していたが、新しくなったアパートに戻り、母にはここが終の住み処になった。戻る際には以前住んでいたものと同じ位置の部屋が用意されていて、お役所の粋な計らいに感心したものだ。北側の4階の階段から撮ったわけだが、この景色を中学、高校を通じて毎日見ていたことになる。



 もちろん見ていた景色はこれとは違う。左側の住宅のいくつかは県営住宅として建てられていたから昔からここにあったわけだが、遠くに見える住宅のほとんどはなく、広い範囲で田んぼがあるだけだった。遠くに見える山は脊振山で、電車は左から右へ移動する案配になるが、山を越すと福岡に入る。佐賀という町を故郷として認識したことはないような気がする。10年間も暮らした町ではあったが、八幡、佐賀、姫路、佐賀と転々とした自分には充分に馴染めぬままに過ぎ去った日々のようなイメージが残っている。早くこの町から抜け出そうと、そればかり考えていた。だからと言ってこの町が嫌いとかいうものでもなく、いいことは違う場所にあると闇雲に考えていたに過ぎない。若いということはそんなものなのだ。

 春にはレンゲで田が紅く染まったし、田に水が張られる時期になると夥しい数の蛙が現れた。ヤツ等がゲコ、ゲコ、ガーガーと一斉に鳴き出すとそこら中が蛙の声になった。それを邪魔しに行くのが面白くて何度か行った。小さな砂利を集めて田に投げ入れる。すると聞こえる範囲の蛙はプツンとスイッチを捻ったように押し黙るのだ。シーンとした静寂が訪れて、そこからの間が笑っちゃうほど面白かったのだ。押し黙った蛙たちは何かの異変を感じて息を潜めていた。みんなで「ウッ」ってな感じだ。しかし我慢できないヤツが現れ、遠くで控えめにゲコッと声を出す。ま、声だか何だかは知らないが蛙語を喋るわけだ。その一匹の蛙の声でみんながホッとしたような溜め息を洩らす。実際に溜め息が聞こえたわけじゃなくとも、聞こえたような気がしたのは確かだ。息を潜め肩に力が入った状態の蛙がホッとして力を抜くような気配だ。そのゲコッに安心して他の蛙がそれに続く。それもどこかで固まって鳴き出すのではなく、均等に測ったような距離で鳴き出し、次第にその間隔が狭められていくという風なのだ。元通りにみんなが鳴き出すまでに10秒もかからなかったかも知れないが、次第に数の増える様子はまるで数学だった。あれも自然の摂理に違いない。蝶が飛び、蝉が鳴き、トンボが空を舞い、蛍が川べりを妖しく照らす。蛇などという招かざるヤツ等もいたが、一年中周りに何某かの生きものがいて、そいつらを追っかけ回しつつ日が過ぎた。そんなことを思い出していると、それが故郷というものかと思い至る。上京して50年経っても佐賀の町での10年の記憶の方が鮮烈で身に染みついているようか気がする。どうやら故郷というものは場所ではなく、そこで感じた心の軌跡とかそういうものであるらしい。

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血脈



 このところ日中はほんわかと暖かい。もしやと桜の樹を撮ってみるとほんのり色付いた芽が見える。「お待たせしております」ってな感じだろうか。春だ、春だと騒ぐものでもないが、近ごろは桜が咲いたかと思うとすぐ初夏のような陽気になったしするし、この桜の花が咲くまでの一時こそが春であって貴重だとも思える。

 一ヶ月ほど前にブックオフで見つけて買っていた佐藤愛子さんの「血脈」という本があった。分厚い単行本で上中下の3巻。角田光代さんの長編はほとんど読み終え、短編集も数少なくなってきていたし、ここらでずしっと重いものでも読もうかと思ったわけだ。確かに重量は重いし、なかなか手を付けられずにいたのだけど、読み出してすぐ捕まってしまった。



 佐藤さんの父親は戦前の文壇で相当な活躍をした佐藤紅緑氏。この方は昔の人にありがちな遊び人でもあって、妻との間に4人の男の子があり、妾のイネにも一人産ませている。妾にはもう一人子供がいたが、その子も実子として認知している。それで佐藤愛子さんの母親は、紅緑が最初の妻を離縁してまで惚れ込んだ女優志望の女性シナだった。このシナとの結婚が佐藤という家を崩壊させる要因だったようにここでは書かれている。シナの舞台活動の為に奔走したようだし、とにかく彼は惚れ抜いたらしい。先妻との間の子供の長兄が八郎で、後に作詞家として知らぬ人もないほど有名になった佐藤ハチローだ。イネとの間に出来た子供の一人は後に大垣肇という劇作家になった。この本ではすべての人が実名で書かれている。さて、先妻との間に生まれた4人の男児は、親の放蕩への抗議だったのか、とにかくろくでもないヤツに育ってしまった。八郎も当初は暴れ者でいわゆる不良の最たるものだったが、文才が彼を救った。この本にはとにかく金の話が多い。次男は親からどうやって金を引き出そうかといつも考えていたようだし、紅緑はかなり苦労したようだ。女性関係のだらしなさは八郎にも引き継がれ、3人の女性と結婚を繰り返して5人の子供を儲けたが、彼の場合も男の子どもたちはあまりいい育ち方をしていない。八郎は妻妾同居などというバカなこともやっている。次々に起こる諍いごとを追うだけで3巻成り立っているようなものだけど、作り話ではなく事実が書かれているわけだから、小説というよりも手記のようであり、ずんずん引き込まれてしまうのだ。金があったからそうなったのか、そもそもそんな人たちだったのかは分からないが、金にまつわる話は切りがなく続く。佐藤愛子さんの結婚にしてからそうだ。彼女の最初の結婚は、夫が軍隊時代に覚えた麻薬依存が原因で終わるが、次の結婚は良家の坊ちゃんだった夫のだらしなさで彼女は追い込まれていく。彼もまた作家志望の若者で、その巧みな弁舌に惹かれて結婚したのだが、わけの分からない会社を作るあたりから脱線し始める。彼女は夫の抱える借金に追われる立場になっていくのだ。「血脈」でも触れられてはいるが、「晩鐘」ではその経緯が細かく書かれている。どういうわけか「晩鐘」は実名で書かれていない。彼とは籍も抜いて他人になっていたのだが、それでも金の無心に来る度に出していたらしい。愛情などすでになかったそうだけど、佐藤愛子という人はどうやら放って置けない方らしい。親分肌というか姉御肌というか、侠気の強い方であることは間違いなく、その筋に行けば相当な親分になっていたかも知れない。彼女の芥川賞の候補になった「ソクラテスの妻」や直木賞を受けた「戦いすんで日が暮れて」などは彼女の日常の体験から生まれたものだ。このような本を読むと、作り話である小説というものがしばらく読めないなあ、ってのが実感なのだ。

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迷子


 近ごろやたらと高齢者のトラブルを聞く。車で女性を押し倒した人もそうだし、ご近所との諍いで揉めている人もいる。なんでもスーパーの万引き犯は高齢者が多いらしい。万引きはしみったれたことだが、生活困窮の末ってなケースもあるだろうから情けない話ではある。それぞれは小額でもスーパー側の被害は案外大きいと聞く。よく分からないのは近所とのトラブルで揉めている爺さんたちで、ごみ屋敷とか、生活道路として定着していた道を私有地だから通さないなどと塞ぐ手合だ。こちらも高齢者に近付きつつあるというか、ま、突入しちゃっているわけだが、同級生のようなものだから、知っていれば「おまえ、何やってんだよ」と言うこともできようが、見ず知らずであればそうもいかない。彼らが豹変する切っ掛けは連れ合いを亡くした辺りからだという。たぶん孤独感に苛まれ、あらぬ方向に心が動いてしまった結果ではないかと思われる。誰かと交信したいのだけどその術はとっくに忘れてしまっていて、どうすればよいのかがすでに分からない。心境は手負いの獣のようでもあり、孤独感は深い。もう吠えるしか術はない。吠えれば誰かが振り向いてくれる。怒鳴れば誰もが怖いものを見る目つきで恐れてくれる。「こりゃあ、いいや」ってな感じで深みに落ちていく。95歳になる作家の佐藤愛子さんは「歳を取り、周りにいた人が次々と消えていくと、予想していたものとは桁外れの孤独感に襲われる」というようなことを書いておられた。そうなんだろうと予測はできるが、実際にそうなってみなければ怖さは分かるはずもない。家にはねこ2名がいて、それはそれで交流できているわけだが、それが去って周りからも人が消えていくと考えたらこんなに怖いことはない。想像しただけでも、穏やかな日々が消えていくわけだから気分は3段階ほど落ちる。そんな日がやって来て耐えられるかどうか。その日に備えてご近所に怒鳴る為の訓練をしておく、ってのは違うし、そう簡単に意地悪爺さんになれるものでもない。たぶん荒れている爺さんたちは、まったく予期していなかった立場の変化に戸惑い迷子になっているに違いない。そもそも自分は何だったのか、というように弱い自分と向き合うことが怖いのだと思われる。目下のところ、その日が来るとすれば、強くあらねばと言い聞かせつつ待つしかないのだ、これが。

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虚像


 若くしてスターに登りつめる代表がアイドルという存在だった。そこに至るまでの確固たる方法があるわけでもなく、しかしながら目指す女の子はそこら中にいた。いろんな噂を耳にした。ずいぶん昔の話だ。どんなプロダクションだったかは謎だが、ある養成所ではスッポンポンの裸で一時間畳の間に座らされる訓練があると聞いた。みんな「ええーっ」と声を上げたが、その養成所にいたという女の子と付き合った仲間が言うものだから半信半疑でも「そうなんだ」と声を顰めた。そういった訓練は羞恥心というものを取り除く目論見で行われていたという。なんと乱暴なやり方かと驚いたが、アイドルと呼ばれた人には元ヤンキー、いわゆるスケバンのような存在で闊歩していた方もいたからあり得ないことでもない。箱入りお嬢様では務まらない世界というか、何にしても度胸が大事だってわけだ。どちらにしても容姿に自信のある若い子が大勢集まるそのような場所では二十歳を過ぎるともう望みはないとも聞く。ずいぶん前にアイドルを目指していたことがあるという女性と知り合った。付き合ったわけではないが、交流があって幾度かライブにも足を運んでくれた。すでに若くなく、中年にさしかかる一歩手間だったが、若いころはさらに美しかったに違いないと想像させる華やかさがあった。しかしながらその歳になってもアイドルへの執着が消えていないのが理解できなかった。普通に生きることを拒否しているようにも見えたし、そもそも普通に生きることが分からないようにも思えた。 
 ほとんどテレビを見なかった時期に誕生したスターの一人が天地真理という人だった。見ないといっても、この方はあらゆるメディアでもてはやされたから見るともなく見ることになった。ヒット曲も知っているほどにだ。先日、彼女の全盛時の姿を見て驚いた。その可愛さは群を抜いていた。後にも先にもこんなアイドルはいないと断言できるほどに見えた。ブームを巻き起こしたのもむべなるかなってな感じだ。まさに70年代のスターだった彼女も30代半ばになるとアダルト映画に出演したりして迷走し始めた。アイドルのまま歳を重ねることは不可能だろうし、どこで転換を図るかは難しい。週刊誌は「元トルコ嬢だった」などとバッシングしたこともあったし、良からぬ噂を撒き散らすことに余念がなく、人気の陰りに追い討ちをかけた。スターというものは虚像であって、実際にどんな人なのかは知らずともいいわけだが、ほじくり返して転覆させずには置かないのがこの世界らしい。そんな流れもあって彼女は消えていった。そして60歳近くになって再びテレビに姿を現したとき、彼女はそこらにいる普通のおばさんになっていた。歳を取れば誰だって変わる。変わらないわけがない。芸能界には70を過ぎても若いころの輝きを維持し続ける方もいるわけだが、その方が異常なのだ。倍賞美津子さんは年齢に逆らうことなく存在感を失っていないが、稀な方であることは確かだ。
 天地さんは容姿のケアーにまったく無頓着だったらしく、あまりといえばあまりの変わりようだったが、見られるということを意識せずに生きるということはそんなものらしい。だが、70年代の彼女の輝きが特別なものであることは間違いないのだ。

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ポセイドン・アドベンチャー


 20代初期、夜はだいたい箱バン者であって店の中にいたから当時のテレビ番組というものは縁遠いものでしかなかった。昼のテレビは「3時のあなた」とかワイドショーの走りが始まったころだ。夕刻になると昔のドラマ番組などの再放送が多かった。その7、8年前の番組も面白く見ていたが、70年代のテレビ番組にはとても疎い。キャバレーというものはお正月に休むところもあったが基本的に年中無休だった。それで4年間ほどは世の中の動きに疎いままに過ぎていった。連合赤軍の浅間山荘の事件にしても、仕事に行く前にテレビ中継を見て、帰ってきてテレビを点けるとまだやっていた。「あれ、まだ続いてんだ」と驚くような案配だった。そのような生活の中で息抜きになったのが映画だった。ありがたいことにオールナイト興行というものが定着していて、仕事が終わってから行くことが出来た。最終上映は深夜一時ぐらいからだったから、連携はピッタリだった。食事を済ませて新宿のコマ劇場の建物の中の「新宿プラザ」か靖国通り沿いの「ピカデリー」に行くことが多かった。夏になると上映が終わって外に向かうと眩い光に迎えられた。歌舞伎町から新宿駅に向かう人は、いつも気だるくスゴスゴと群をなしていた。ロードショー館でもオールナイト興行はもう一本併映した。そうしないと一本では朝まで持たないからという配慮だった。月に一回は行ったが、この併映作品は限られていたらしく、月が変わっても同じものということもあった。それでアラン・ドロンの「ジェフ」は3回も見る羽目になった。寅さんシリーズ、仁義なき闘いシリーズ、等々多くの映画を観たわけだが、深く脳裏に焼き付いた映画が「ポセイドン・アドベンチャー」だった。この前の年にオスカーを受賞したジーン・ハックマン主演のパニックものだが、船が完璧に裏返ってしまうという設定もよかったし、なにしろアーネスト・ボーグナイン、シェリー・ウィンタース、レッド・バトンズと共演陣も見事だった。この映画を観たころはピットインの朝の部を始めたころだったから、映画の緊迫感と実際の生活の中になんらかの共通点があったのかも知れないが、ことさら深く印象に残るものだった。何年か前にこの映画のDVDを買った。当時と同じぐらい楽しめたし、たまに見ても最後まで観続けることができる。映画の面白さ云々よりも、これをリアルタイムで観た当時の20代初期の自分と再会できるような気分になるのかも知れない。

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