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フォトグラフィ


 今となってはまったく関係もなく気にすることもないわけだが、「七五三」の家族連れを見た。昔からの風習だが、そもそも何のお祝いかすらも忘れた。神社の側を通って知ったのだけど、ちょうど7才と思しき女の子が写真を撮られているところだった。傍らにはちょっとダンディなお爺さんが並ぶ。孫のお祝いに付き合っている光景だ。それで女の子がピースサインをしてパシャッと撮られたわけだ。しかし、ほのぼのとした光景ではあるが、見るんじゃなかった的な気持ちが一瞬よぎったのだ。出来上がった写真はアルバムに収められたりするのだろうが、この子が生きている限り、二十歳になろうと還暦になろうと「これは七五三のときで・・・」などという会話が交わされるわけだ。老い先長くないぞと感じている自分と、この先長く生きていく女の子のタイムラグに嫉妬したわけでもあるまいが、たぶんその時間差に苛立ったのではないかと思われる。そのように、無関係な現場に立ち会う気もなかったのに、一瞬、その時がゴーッと音を立てて流れたような気がしたのだ。



 近ごろは何かというと皆がスマホを振りかざす。実際の現場を見ることはなく、ファインダーを通して目撃者になる。有名人といわれる方々は頻繁にスマホの餌食になって不快な思いもしているに違いない。ウチには父と母の若い頃の写真も数葉残っている。見るとへエーッというような感想はあるにしても、すでに過ぎ去ったものであってとりわけ感慨があるというものでもない。潜水服を着た祖父と思しき人の写真もあるが、これなどは謎に近い。写真は今を生きている人たちのまったくパーソナルなもので、他人が入り込める余地はほとんどない。外国映画の中で家中に家族の写真を飾っているシーン見ることがあるが、あれはなかなかいい風習だと思う。写真はアルバムに収めて隠すものではなく、今生きていることを実感するためにあるように思う。自らのアイデンティティを確認するものであると考えれば、自分が何者であるのかを何時も感じていた方が少しは潤いも増そうってなものなのだ。

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忠義


 久々に見た「ハチ公バス」、渋谷区役所行き。環七から水道道路に入り山手通りを目指す。未だに忠犬として広く知られているわけだが、1935年(昭和10年)に世を去って後80年あまり、このようにバスにまで名が付けられているというのは凄いことに違いない。実際、駅に迎えに来ている姿は度々見かけられて知られてはいたが、虐待を受けたりすることもあったらしい。見かねた人の新聞への投書により、「いとしや老犬物語」として掲載され人々に広く知られていくようになったらしい。銅像は存命中(昭和9年)に設置され、除幕式にハチも参列している。



 大学教授の飼い主はハチを飼い始めて一年後に亡くなっている。僅か一年の同居だったわけだが、ハチはその死を受け入れることができなかったらしい。主人の死後3日間ほどは食事を取らなかったというから、ショックを受けていたことは確かなようだ。4日後の主人の通夜の日も、飼われていた他の2頭と共に渋谷駅に主人を迎えに行っていたという。忠犬の忠犬たる謂れだし、当時の人たちの感動を誘ったことは想像に難くない。
 大したものだと言いつつ、さてウチの猫だ。忠猫という言葉は聴かないから、飼い主に忠義を尽くす猫というものはいないとされている。懐きはするが仕えはしないのだ、猫ってものは。留守の時間が長くなると、ドアを開けたら飛び出て来てはしゃいだりはするけど、あれがまったく別の喜びであることは知っている。彼らは「ああ、ごはんが帰ってきた」と喜んでいるのだ。父ちゃんが帰ってきた、嬉しい、ではないのだ。あくまでも「ごはん」が帰ってきたのだ。そんなことは分かっていると言いつつセッセセッセと缶詰めを開けたり、水を換えたり、トイレの砂を捨てたりする飼い主というものは、結局のところ猫に仕える者であって、これは「忠犬」ならぬ「忠人」と言っていいのだ。銅像なんか建たないけど。

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変貌


 久しぶりに見る大久保通りと明治通りの交差点は、いやにスッキリしていて昔の面影は消えた。道路は広くなったし、舗装そのものもグレードアップしたのかと思えるほどだ。



 通りそのものは相変わらず韓流が主流らしいが、以前のようにおばさんたちが群を成すというものではなく若者が目立つように変わった。



 ヨン様の時代ではないわけだ。今は韓流のポップス方面の人気で若者が集まるようになったらしい。



 雑然とした趣は変わらないが、若者が集まれば町の様相は元気になるようにも見える。しかしながら客が並んでいるのは簡単なファストフードの店だったりする。軒を並べる韓国料理の店が盛り上がっているようには見えないところがおばさん連中天下の時代とは違う。町はこうやって少しずつ変化していくのだと思える。変化はここだけではない。最近は都心部に出かけることが少なくなって、月に2、3度ペースだが、行くたびにお上りさんのような気分にさせられることが増えた。道路の様子が刻々と変わる。霞町から青山方面へ抜ける道も、見慣れない大きい交差点があったりして「ここはどこだ?」と目を見張ったりする。六本木、赤坂、銀座方面は録音スタジオが多く、毎日のように通っていたから裏道も知り尽くしていたわけだが、だいたいその裏道そのものが隋分と消えた。道路の変化は著しい。どうやら再来年のオリンピックに向けて、全面的に町の改造が進められているようだ。なにせオリンピックは世界に向けて商売ができる絶好のチャンスだから、そこは抜かりなく町をリニューアルしようということだ。そもそもオリンピックはスポーツの祭典などではなく、スポーツを隠れ蓑にし、世界を相手に金をかき集めることのできる持ち回りのイベントというのが正しいのかも知れない。わが師匠は70年代初頭、代々木にお住まいだったわけだが、「オリンピックで町の様相が一変しちゃってさ、電話だってその頃一挙に普及したし、首都高速はできるし、なんだかさ凄い勢いで東京は変わったよね」と仰っていたが、それがまた繰り返されるらしい。町は生きもののように変化し、僕らはむかしの面影が消えた町に呆然として取り残され、オリンピック以前とオリンピック後というように言われる日が来るのも近い。

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こどものために



 今年もまたおっちゃんの庭に変形の菊が咲いた。ま、菊と言うよりゴッホの向日葵だ。毎年、春は薔薇、夏は朝顔というように、おっちゃんの庭で季節を感じることになっている。


 昨夜、車の中で久々にラジオドラマというものを聞いた。途中からで内容はさっぱり分からなかったが、あー、あの時代だと郷愁を誘われた。小学生のころの数年間、ラジオドラマを楽しみにしていた。覚えているのは「赤胴鈴之助」「不思議なパイプ」、それにアイヌのことを知る切っ掛けになった「コタンの口笛」などだ。やがてテレビの時代に移り、「月光仮面」が子供たちの圧倒的な支持を受けることになるが、ラジオドラマがテレビに比べて劣っていたというものではない。ラジオドラマのキャスト、当時は声優などという言葉はなかったような気がするが、彼らは大したものだった。僕らはそれぞれに映像を思い浮かべながら聞き入った。もちろん漫画原作の赤胴鈴之助だったが、子供たちの数だけの赤胴鈴之助がそこら中にいたに違いない。テレビドラマも実写版からアニメへと移行していった。「鉄腕アトム」がその先鞭をつけたはずだ。「エイトマン」というものもあった。テーマ曲を歌った克巳しげるという歌手が10年後に殺人を犯して逮捕されて、エイトマンのテーマ曲は悪い連想を導くものになった。
 テレビがカラーになる頃、もっぱら受けていたのは人形劇の「ひょっこりひょうたん島」だった。熊倉一雄や藤村有弘などという達者な方たちが吹き替え担当で何とも魅力のある番組として広く知られていた。しかしながら、僕らはこども向けの番組からは卒業する年齢になっていた。ずいぶん後になって、こちらが30代に達した頃、むかしのテレビ番組がテレビ開局何十周年とかで再放送された。その中に「月光仮面」もあった。月光仮面の悪役として仮面をかぶった「サタンの爪」という怖い役柄があった。見ていた僕らは怖気を震ったものだったが、大人になって見るサタンの爪の手は布製のグローブのような粗末なものだったし、爪に至っては銀紙が貼られた情けないものだった。しかし、そのようなものを僕らは怖がって見ていたわけだ。大人は何とチャチなものかと思っていたかも知れないが、僕らは画面に出てくるものをちゃんと補正しながら見ていたわけだ。こどもの想像力は大したものなのだ。悲しいことに僕らはある日その想像力を失うらしい。

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群衆


 写真は加工を施してあるが、やはり昨日の渋谷は大変な人出だったようだ。満員電車のような混み具合で、仮装してない人が圧倒的に多いということは単なるやじ馬が集まったものと見られる。人は賑わう場所が殊の外好きなのだ。かく言う自分も明治神宮と浅草浅草寺の初詣でに元旦早々足を運んだことがある。テレビなどで賑わう様子を見ていて、なんとなく一度体験しようと思ったわけだ。明治神宮は本殿までに4時間半を要した。列の最後尾は原宿駅から200メートルもあったから止むを得ない。2時間経過してやっと半分まで辿り着き、いい加減離脱したくなっていたが、ここまで来たのだからと我慢してお参りにこぎ着けた。とにかく賽銭箱まで近付くことは無理で、遠くから拝むだけだったが、後から賽銭を投げ込む人が多く、当然賽銭箱には届かず前にいる人たちに当たって跳ね返っていたりした。フード付きの上着の人のフードの中にも賽銭が入って行くのが見えた。浅草の場合は怖かった。人がピッタリ体をくっ付けるような流れの中で、拝殿の手前では人の波がうねるように動き、自分の意思ではどうにも出来ずにこのままみんな倒れるのかとという恐怖を味わった。その二度の経験で疲れるだけだということを学習した。



 この中の人たちにも、2度目はもういいかってなことを考える人もいるに違いない。羽目を外す連中もいたようで、その部分だけを抜き取るようにテレビでは知らせるが、実際のところ一部の人たちだけだったようだ。騒いでいる連中を見ると、一時問題になった成人式の無礼講を思い出す。質の悪い連中というものは、誰かが扉を開くのを今か今かと待ち構えていて、突破口が開けたと感じるや否や乗り込んでくるらしい。それは河川敷で禁じられていることをやる人、密漁をする人、勝手に他人の山に入って松茸狩りをする人などもそうだ。
 ハロウィンの実際を知っている外人のほとんどが冷笑交じりでガッカリしたように、「これはハロウィンなんかじゃない。騒ぎ過ぎでみっともない」なんてことを言っていた。ま、それはそうだろうけど、渋谷という町がそうさせるのか、夜の集まりというのが問題なのかは分からない。例えば東京マラソンも多くの人が参加して盛り上がるわけだが、あれは参加費が必要だからか、スポーツの場だからか分からないけど、騒ぐ人は現れず割と品良く事が運ぶ。

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