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体操




 だいたい4年に一度のオリンピックでしか見ないわけだが、体操競技ほど妙なものはない。どの種目もそんな無茶なというような動きばかり。平均台の上で宙返りなどは普通に考えれば正気の沙汰ではない。しかしながらその狂気の沙汰とでもいうものを「ま、これが普通でんねん」ってな顔をして平然とやってのけるところが味噌らしい。



 動きは何にせよ真っ直ぐということが尊ばれる。垂直、水平が理想とされているわけだ。並々ならぬ訓練の果てに、限られた人だけが辿り着けるのがメダル獲得というゴールだ。現役時代にそのような栄誉を授かった限られた方々は、引退すると何とか協会というところに所属して後進の指導に携わるというか、時によっては自分のテリトリーを広げて名誉欲を満足させる甘い汁も吸いたくなるものらしい。まだ18才の選手の告発によって怪しげな動きが露見し、体操協会まっ青。70の爺さんが何をやってんだかという話だ。定年を迎えた世代のほとんどが暇を持て余すと言う。たぶんパワハラをしたとされる方も、ようするに暇なんだな。若い有望選手を見ては何とか自分の配下にして手柄を増やそうなどと考えているに違いない。70才といえば老い先は長くない。それでもまだ権力というものに惹かれ続けているのが痛ましいというか、真っ直ぐでないところが情けなくもあるわけだ。

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脇役


 女優として長いあいだ活躍された菅井きんさんが亡くなった。役者さんの印象は見た映画で決まるものだが、その判断にはこちらの思い込みも含まれる。むかし、東映映画の刑事物で、突然入った金を使って物を大量に買い、狂ったようにはしゃぐ犯罪者の身内を演じたものがあった。それは薄気味の悪い画面でもあったが、その異様さに感じ入ってこの役者さんのイメージが決まってしまった。黒澤明監督の「天国と地獄」ではドヤ街にたむろするヤク中の女を演じた。ほんの数十秒の登場だったが、この方らしい存在感があった。同じシーンでは先頃亡くなった常田富士男さんも数秒間顔を出していた。菅井さんは後年テレビドラマでの役で有名になった。あまり見ていなかったことにもよるが、あれは自分のイメージしていた菅井さんとは別の人だったように思えた。



 いわゆる脇役とか言われていた方々には唯一無二の存在感を持った方が多くいらっしゃった。古くは伊藤雄之助に始まって、大滝秀治、殿山泰司、名古屋章、常田富士男、高品格・・・・ま、きりがない。その方たちが周りを固めて映画は成立していた。挙げた人物は全員昭和の俳優だが、自分が古い人間だから仕方がない。それで、映画を観る度に「あっ、またこの人だ」ってな調子で見ていたわけだ。

 読響のコンサートマスターだったヴァイオリンの尾花氏に訊いたことがある。「あのさ、セカンドヴァイオリンのパートってあるわけじゃない。あれってさ、その内、昇格っていう言い方は変かもしれないけど、ファーストヴァイオリンになったりするの?」「いや、それはない。セカンドはずーっとセカンドのまま。最初から決まってんだよ。上手くなったからファーストにっていうものじゃないんだ」
 いつも主旋律を弾く立場のファーストのポジションに替わってみたいと思うものでもなく、その役割を不都合に感じるものでもないらしい。とすれば役者の場合もそんなものか考えた。映画での主役の負担は大きいが、その立場を羨ましく思うものでもなく脇役というポジションを演じることに不都合はないと思われる。僕らの生きてきた世界ではちょっと事情が違った。サックスセクション5人を抱えるビッグバンドでは、だいたいトップが技量的に優れたプレイヤーで2,3,4と少しずつ技量は落ちた。もちろん5人とも同レベルであることが望ましいことだが、人材層の薄さもあって大方そのような配分で成り立っていた。ま、チマチマした環境で生きていたものだから格付け的な発想があったわけだ。
 しかしながら、若い頃はリードを支える脇役として演奏していた時代もあった。サックスセクションでセカンドテナーを吹く際に必要なのはリードにピッタリ合わせることだ。アタック、音量、全てを注意深く聴いて寸分違うことなく合わせる。ところが、それも慣れてくるとリードと同じ箇所でミスをするようになった。「おまえ、一緒に間違うなよ」とよく言われたが仕方ない。神経を集中させて合わせていると、リードを聴いていて間違う寸前にそれが分るのだ。「あっ、間違うぞ」と分かった瞬間同じようにミスをしてしまっていたのだ。自分で言うのもなんだが、あれは名脇役ではなかったかと今は思う。

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装い


 数日間はひんやりした風が吹き、突然夏も終わりかと思わされたがどっこい、今日の昼間外を歩いていてあまりの暑さに気を失いそうになった。夏は依然元気なのだ。「だいたい君らは見通しが甘い」と雲が言う。



 こないだまで話題になっていたアマチュアボクシング界の統括者や周囲を呆れさせた日大のスポーツ関連の方々。どう見たって堅気に見えないところが笑えるわけだが、本人たちに自覚はあるのだろうか。虚勢を張って強がっていた若い頃、どことなくチンピラ風の雰囲気を漂わせていた事があるから他人事ではないような気もするが、強がる人はだいたいあのような身なりをしたがるものらしい。プロスポーツ関連の方々はその傾向が強い。むかし度々旅先で遭遇した野球選手のOB達は一様に派手な柄のジャケットを着ていた。漫才師と見紛うほどだった。あれも、オレは普通じゃないんだぜと言っていたに違いない。王選手だけは普通だったけど。昭和の時代、その筋の方々が乗る車はリンカーンなどのアメ車だった。とても分かりやすかった。一般の人が購うことは滅多になかったに違いない。東中野駅前の陸橋でその筋の車に停められて揉め事になっているらしき若い人の車を見た。運転上のトラブルだったと思われる。用を済ませて戻るとまだ揉めていた。恐ろしいことにその筋の車が3台に増えていた。もちろん一台はリンカーコンチネンタルで、辺りを圧倒するような存在感は「その筋見参」という看板付きだったから只事ではすまないという緊迫感があった。あの若者がその後どうなったのかは知りようもなかったが、気の毒なことだった。で、堅気に見えない装いだが、君子危うきに近寄らずというか、あのボクシングの会長のそばに近寄りたいとは普通思わないんだろうし、そこが彼らの目論見の一端でもあって、周りを威嚇しつつ君臨するための職業的な擬態の一種だと考えることもできるわけだ。

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 4年ほど前に話題になった、やしきたかじんさんの発病から死に至るまでを書いた本が古本で200円で売られていた。東京では認知度が低いこの方は、関西では視聴率王の異名をとる大スターだった。僕も彼のアルバムで一曲ソロを吹いたことで知ったわけだが、少しは縁があったことになると思い買ってきた。この本は虚偽の箇所が多過ぎると物議を醸し、裁判沙汰になったりもした。本の中で無能な運転手でしかないと書かれた元マネージャー、遺言状で遺産を一銭たりとも残さないとされた前妻との間に生まれた娘。彼らは怒り狂った。百田さんはたかじんさんが死の3ヶ月前に結婚した妻の証言を元に本を書き上げた。メモ魔とも言えるたかじんさんの残した書き付けなども参考にしたという。だけど核となっているものは妻の証言だから面倒なことになった。彼女の過去の不行跡などもバッシングの対象になり、遺産目当てに近付いたとの憶測はいつの間にか真実のように語られる始末。ようするに残した遺産があまりにも莫大であったがために、それを二年前に知り合ったような若い女が相続するのが許し難いことだと人は思うわけだ。根幹にあるのは「いい思いしやがって許せねえ」ということだ。しかしながら彼女は二年に及ぶ闘病生活をそれはそれは親身になって支えた。病院関係者が口を揃えて言うのだから本当に違いない。遺産が目当てだったとしても天晴れで、そこに対しての疑念はない。そのような生臭い話は置いといて、ここで刮目するのは癌が身体を蝕んでいく経緯にある。



 彼の病状の悪化の経過は恐ろしいものがある。喉頭ガンから始まり、次から次へと体が変調を来していく。癌が見つかった時点でステージ3だったそうだから難しかった。手術は成功するものの副作用の強い抗がん剤の治療が始まる。転移は脇の下に現れる。最終的に腹膜播種(ふくまくはしゅ)という腹膜内に米粒ほどの癌が無数にできる、治療不能な症状が現れる。
 癌は体の細胞が分裂していく過程で作られる不良品だ。人の体には免疫系のシステムがあって、白血球の中のリンパ球には1割程度ナチュラルキラー細胞がある。これが癌細胞を駆逐するのだが、その力が低下することによって癌は威力を増す。ここらのメカニズムは解明されていない。老化が原因なのか、ストレスから来るものなのか、一切分かっていない。
 大阪の義姉は婦長クラスの看護師として長年務めてきたが、癌で亡くなった。姉は抗がん剤の治療を受けなかった。姉に言わせれば「毒を体に入れるようなものだから幾らかの延命効果はあっても辛いだけだし」ということだった。多くの患者を見てきた姉の言葉は重いものだった。癌が死に至る病であることは確かで、4人に一人が癌で亡くなるという。
 10年ほど前、行き付けの病院で血液検査を受けた。3日ほど経って、仕事から帰ると切羽詰まったような声で医者から留守電が入っていた。取り急ぎ病院に急行すると医者が深刻な顔をして言う。「PSA値がとても高いんですよ。これはね、前立腺癌の疑いがありますから明日新大久保の病院に行って下さい。紹介状は書いておきましたから」
 思わぬことに絶句した。空から黒いヴェールが降りてくる感じだ。その夜、大きな不安に襲われて中々寝つけるものではなかった。色んなことを考えた。ここで終わりかよ、ってなことだが、やり残したことが多過ぎるような気もしたし、こんなものだったのかなと諦観の境地になったりもした。次の日の朝、泌尿器科の待合室には誰もいなかった。暗い部屋で前夜からの続きが頭を駆け巡る。エコー検査もしたはずだ。診断は灰色だった。医者によれば、行き付けの病院に行ったのが熱を出した翌日というのが問題だという。この検査は熱を出した後にやっちゃいけないんだが、数値が通常4ぐらいのところが50だから焦っちゃうのも仕方ないかなどという。しかし、一度この数値が上がると落ち着くのに3、4ヶ月はかかるから、8月になったらまたいらっしゃいということになった。一抹の不安の残したまま4ヶ月を過ごすことになってしまったのだ。4ヶ月後、「もう来ないで下さい」と言われたときの嬉しかったこと、病院を出て見上げた空まで「おまえ、よかったなあ」と言われた気がしたのだ。
 それからは前にも増して音楽に勤しむようになりました、ってこともないのだけど、癌細胞を駆逐するナチュラルキラー細胞を増やすにはストレスを溜めず、大いに笑い泣くこと、とにかく夢中になれることをやるに限るらしい。

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帰省


 音楽制作にのめり込むと日付や時間の感覚というものが変調を来すらしく、今日もスタジオの予約を忘れていて行き損なった。どうしてか分からないが、今日を土曜日だと思っていたのだ。それで頭の中では明日の日曜日に予約していると思い込んでいた。この数日シーケンサーのデータに取り憑かれたように作業していた所為だと思われる。ま、決して認知症とかではない。念のため。
 さて、実はお盆だ。帰省ラッシュだ。実家は九州にあったから車でのラッシュなど知らないといいたいところだが、一度だけ大変な目にあったことがある。湘南の平塚に住んでいた義姉を訪ねたのがその日だった。15日、下りの東名はガラガラですんなりと行けたのだが、帰りがアウトだった。聞きしに勝るラッシュだった。新宿に辿り着くのに何時間もかかってしまった。
 新幹線もとんでもないことになる。指定席を買っていれば問題ないのだろうが、自由席で移動しようと考える人は多い。確か自由席は4車両ほどしか設定されていないはずだが、客が殺到して通勤ラッシュ並になっていた。今もそうなのかは知らないが、乗車率200パーセントとかいった類いだ。指定席を買っていたものにとっては「そんなに乗せるなよ」と言いたいところだが乗せるのだ、これが。



 あれが自分も帰省した帰りなのか仕事の帰りなのかは覚えていないのだが、東京行きの新幹線の指定席に乗っていた。ちょうど今の時期だ。大阪で後から後から乗車してくる客は自由席の車両だけでなく、グリーン車もお構いなしにほとんど全ての車両の通路にまで押し寄せていた。もうトイレに行くのだって無理な状況だ。座っている人たちは誰だって快く思っているはずもなく、しかし迷惑そうな表情は押し隠して余計なトラブルを避ける心積もりだけを守っていた。通路に立つ人達は失意と後悔と疲れでヘトヘトだったに違いなく、でも「仕方ないじゃないか」という居直りで無理にでも毅然とした風を装っていた。一人一人の心の中を吹き出しで描写することができるのならポジティブなものは無く、ほとんどがネガティブでおぞましいまでに険悪な空間だったと思われる。誰もが苛立ち、そのはけ口は東京に着くまで得られなかった。座っている席のそばに母親に連れられた小さな子供がいた。こどもに3時間も立っていろというのも酷な話だ。替わってあげようかと思わないでもなかったが、しばらくすると子供がぐずり始めた。「ねえ、いつ着くの?」と泣きそうな声で言う。苛立ちが限界に近かった母親が鬼のような形相で子供を睨みつけるのが見えた。ああ、嫌なもの見ちゃったなあってな感じだ。瞬間、替わってあげようかと思う気持ちは彼方に消し飛んだ。げんこでゴツッとやられたようだった。こどもは偉かった。泣かなかった。すぐそばの険悪な空気を感じつつ3時間をやり過ごすことになった。こどもは途中でしゃがみ込んだりしてなんとか頑張っていた。あれは乗車率200パーセントではなく、苛立ち不快率200パーセントとすべきだと思う。

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