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 台風の余韻で暖かい日だったが、見上げれば紛れもない秋の空。小学生のころ夏休みの自由課題で雲を取上げたことがあった。思い立って始めたはいいが、毎日の雲の様子を描くのは退屈なことだった。夏はだいたい積乱雲、いわゆる入道雲がほとんどだったし、日誌のページは変化のないつまらないものになった。それで、雲の名を少しは覚えたが、今日の空の雲が高積雲なのか巻積雲なのかはよく分からない。うろこ雲というのが巻積雲なのだが、うろこ雲状の高積雲というものもあるらしい。しかしながら秋の雲であって、夏にこのような雲を見ることはない。

 ノーベル賞の受賞者がまた日本から出た。知らない学者だ。医学の世界では有名な方だったらしいが、ノーベル賞の受賞で突然注目される。文学賞の大江健三郎氏や川端康成氏は知られていただろうが、物理学、化学、医学の分野での受賞者がそれ以前に話題になっていたという話は聞かない。受賞者の名前が発表されてもほとんどの人の反応は「それ、誰?」に違いない。受賞理由の説明があってもさっぱり分からない。特に物理学賞に至ってはチンプンカンプンと言っていい、しかしノーベル賞だ。それは立派なことに違いないというので褒めそやす。私らには理解できないことを成し遂げたことを評価するのであって、大方の人たちはよく分からないけど目出度いことだと言うのだ。よく考えれば妙なことだ。分からないことだから、数ヶ月もすればみんな忘れてしまう。日本に学者がどれほどいるのかは知らないが、結局のところこのような賞を受賞しない限り知られることはない。ノーベル賞というのはそういうものらしい。ま、金メダルも同じようなものだけど。

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八日目の蝉


 相変わらず読み続けている角田光代さんの小説も、そろそろネタ切れが近いようだ。今は代表作のように言われることもある「八日目の蝉」に突入した。しかし、これは映画化されていたなあと思い出しビデオを借りてきた。小説の回りくどい言い回しに少々疲れたわけだ。映画は井上真央と永作博美という女優が中心になっている。この2人の女優さんが私的には似ているように思えて見分けが付かなかったりするのだ。しばらくは独り2役かと思っていたほどだ。それで映画を観終えて再び活字に戻った。すると映画の印象が邪魔をして、活字の中でも2人が現れて混乱し、映画なんか観るんじゃなかったという展開になってしまった。

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9月の梅雨


 このところ雨ばかり降る。それもザーザー景気のいいものではなく、ショボショボのこぬか雨がくどくどと降る。おまけに今日は寒い。なんてえ天気だ、こんなんだったら灼熱の8月が懐かしい。なにせ、暑いとはいえ空にはいつも太陽があった。灰色の空は好ましくない。


 
 ライブが近くなるとトレーニングにも思わず熱が入ったりする。いつもと変わらないとは思っていても、ついつい練習ではなく本番さながらの集中で吹いてしまうらしい。これは早い話が疲れる。3時間吹きっぱなしだからなおのこと、さすがに今日は少々後悔した。今も指にこわばったような感覚が残っている。ちったあ休憩を入れましょうってなことだ。

 貴乃花親方が相撲界から身を引くとかなんとか。相撲界に限らず、スポーツの世界では小競り合いが多い。パワハラ告発もブームのように見える。そもそも体育会系だ。縦割りの組織での上下関係に理不尽なことが多いのは当たり前のように思わされてきたし、しごきなども日常だというのが僕らの世代の常識ではなかったのか。それを含むのが競技の世界だったものが変わりつつあるらしい。ちょっと小突いただけでもダメだということになれば、小学校の教師が体罰規制でこども相手に気遣いを余儀なくされたように、体育会系の世界もゆるく軟弱な有り様に変わってしまって、競技への集中力を高めた極度の緊張感は失われていくに違いない。などと余計なお世話も焼きたくなるというものなのだ。

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楽譜とCDと



 さて、PCの打ち込みで音楽を作るときは音源が充実していた方が何かと好ましい。それで次々とキーボードや音源モジュールが増えていくわけだが、昔使っていたサンプラーを再度立ち上げた話は書いたばかりだ。古いSCSIの機器を入手して準備は万端のはずだった。しかし、この外部ディスクを操作するマニュアルが見当たらない。操作方法をまったく覚えていないから困ったことになった。音出しは出来たが、立ち上げる度にフロッピーから音源を供給するのでは手間がかかり過ぎる。そうなのだ、この時代の機器はフロッピーが大活躍だったのだ。フロッピーから読み込んだ音源をハードディスクに移すというのが大事なところなんだが、それが覚束無いわけで意気消沈と相成った。こうなれば家捜ししてマニュアルを見つけるしかない。
 前々から整理しなきゃと思っていたから、いい機会だってなものだ。本棚には僅かな本と数多くのスコアなどの楽譜類、CDが詰め込まれている。マニュアルそのものは30ページ足らずの薄い冊子だからどこにでも紛れ込む可能性がある。で、大捜索が始まった。なかなか見つからないのは仕方ないが、懐かしい譜面などが現れてついつい見入ってしまう。その時間の方が長くなる。しかしながら譜面類のその多さに我ながら驚いてしまった。曲集に関しては日本の出版社から出ているものはほとんどなく、すべてアメリカのサイトから取り寄せたもので100冊近くある。中にはビートルズの全曲完璧スコアもあるのだ。どういう経緯で買ったかは覚えていないが1万円ほどで入手した。オーケストラスコアも同様。使う当てがあるわけでもないのに、もうこれは収集癖と言ってよい。ただ一曲だけのために買った映画音楽の曲集もある。それで探していることも忘れて曲集を検分しているようなことになった。それが一段落して思ったのは、結局のところ譜面とCDに囲まれて生活していること。例えば更に歳を食って楽器も吹けなくなり、耳も遠くなって音楽から遠ざかる日が来るとすると、楽譜もCDも処分するに違いない。そうなると何もなくなっちゃうなあというのが実感だ。結局マニュアルは見つからなかったのだけど、何もない部屋でボーッと過ごす自分の姿が見えたような気がして少々複雑な気分だけが残った。

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レースしているわけでもないのに


 郊外に越してきて10年ほどが経つ。未だに慣れないのは車の運転で、都心部に比べれば大雑把というか下品だ。運転する人に共通するのは信号で止まりたくないという心理だが、それもここいらでは際立っている。どちらかと言えば都心部の方が運転マナーはいい。それは道路事情にもよる。例えば赤坂の大きな交差点で、信号が黄色で横断を決行したとすると、交差点そのものが大きいものだから道半ばで完全に赤になってしまう。途中で黄色に変わったものならいざ知らず、黄色で突っ込んで行くのは無謀ともいえる。しかしながらこの町では黄色は「まだ行ける」という判断になるらしく、右折車は赤になってから焦ったように何台か連なって曲がって行く。ま、それがここでのルールらしいから仕方ない。先日、東中野の駅前で元アイドルのおばさんが信号無視の揚げ句に自転車を撥ねて逮捕と相成った。赤信号で止まりたくなかったのか、まだ行けると判断してしまったのかは分からないが、無茶な運転であることは間違いない。うまく自転車を除けることが出来たとしても逮捕されてしかるべき運転だ。その上、飲酒だという。酩酊で判断が狂ったのかどうかは知らないが、事故を起こした瞬間「しまった」と思っただろう。たぶん日常的に飲酒運転を繰り返していたものと思われる。今回も事故さえ起こさなければ誰にも分からなかった。むかしの演奏仲間には毎夜のように飲酒運転で湘南方面に帰るヤツがいた。危ないことこの上ないのだが、ケラケラ笑いながら「ほんじゃ、また」などと言って帰っていった。彼が飲酒運転で捕まったという話はついぞ聞くことがなかった。ま、そんなものらしい。
 今の人たちはこぞって大きな車に乗りたがる。まるで小型バスのような車が流行らしい。車幅感覚がつかめないらしく、特におばさん系の車には擦った痕のある車も多い。それに車そのものの性能が著しく向上し、スピードは出るし故障も少なく至れり尽くせりの装備も整っている。それは取りも直さず凶器としての完成度が上がっていることを意味する。




 黒澤明監督の「天国と地獄」の戸倉警部の台詞の中に「自動車」という言葉が度々使われていた。「わたしは自動車で移動する」というように。1963年(昭和38年)当時、今のように「車」と省略せずに「自動車」と言っていたらしい。マイカーブームは1964年のオリンピック以降に訪れる。それに先駆けていたのは1960年のマツダクーペと1958年のスバル360で、小型過ぎるほど小型だったが、手の届きそうな価格で誰もが車を所有できるという夢を与えた。たいしたスピードが出るわけもなく、のどかな時代の優しい車たちだった。
 ぼくらの2世代ほど前のバンドマンの車の話には笑えるものが滅法多い。スタジオミュージシャンとして多忙を極めたころ、移動が面倒だというので各スタジオにドラムセットを置いていたというチコ菊池さんの話に大笑いしたことがある。
「ほら、車ったってさ、当時のオレらの乗れる車はだいた中古車でさ、それも恐ろしく安い車を見つけて買ってくるんだよ。いわゆるポンコツ。それでさ、乗せてもらった車は助手席の床に穴が空いててさ、道路が直に見えるんだよな。ま、それでも問題ないんだけど、困ったのは雨の降る日でさ。むかしは今のようにどこでも道路が舗装されているわけだじゃないだろ。水たまりが出来ていたりすると、運転しているヤツが「来るぞ」ってなことを言うわけよ。で、水たまりに突っ込む前に足を上げるんだよ。そうしないと水しぶきがひっかっちゃうからさ。助手席に乗って走っていると、オレらの車の前方に凄い勢いで転がって行くものが見えるんだよ。よく見るとタイヤなんだよね。タイヤじゃねえかなんて言っていると車が次の瞬間ガタンって傾いちゃってさ。外れたタイヤが転がっていってたんだよね。もう大笑いでさ」
 植木さんの話も若いころのものだった。「友達の車に5人ぐらい乗って、さあ帰ろうって車を出したのはいいけどね、ハンドルがおかしくなっちゃったらしくてね、右に切れないのよ。真っ直ぐと左折は出来るんだけどさ。みんなを送って行かなきゃならないし、走らないわけじゃないから行こうぜってことになってね、左折だけで走ることになったんだよ。左折しか出来ないから目的地はすぐそこなのに大回りすることになったりするんだよ。みんな必死で考えるんだよね。先が袋小路で戻れなくなるからそこは曲がっちゃダメだとかね。それでクルクル左折だけでみんなを送り届けたんだからたいしたものというか、今思い出しても楽しかったなあ、あれは」
 穏やかな時代の話だけど、車なんてものはたいしたスピードなど必要ないし、長距離ならともかく、そこらを走るのにスピードを出して走っても所要時間に大きな差があるわけじゃない。一刻を争うような事態になっているとも思えず、みんな気を取り直してのんびり行こうよ、ってなことだ。

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