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鉤裂き


 朝はパジャマ姿のまま、淹れ立てのコーヒーを大きなクッションに座ってボーッとしつつ飲むってのが定番。それまではTシャツなどでお茶を濁していたわけだが.、入院生活を機にパジャマはすっかり必需品となった。何も予定がなければ午前中はパジャマ姿のままで過ごすこともある。しかしながら家には猫がいる。無傷で済むわけもなく、だいたいあちこち鉤裂きだらけ。中にはとてもじゃないが人前で着るのも憚られる、お前はホームレスかってなものも二、三。



 今朝も突然膝に飛び乗ってパスタが食事後のペロペロの儀式を始めた。後ろ足は爪先立つような体勢。「おまえね、そんな無理な姿勢でやらなくてもさ」と言ってはみるが、このような場合無理に動かそうとすると大層な剣幕でお怒りになる。ねこは自分の非を指摘されることを極端に嫌うようで、無理であろうとなかろうと自分の方針を曲げないのだ。それで、パスタが気の済むまで我慢をすることになる。このような状態でまた一つ鉤裂きが増えるわけだ。
 以前、それまで買うことのなかったユニクロで、初めて薄手のセーターを買った。家に戻り袋から取り出して試着した瞬間、パスタがピョンと気軽にしがみついてきた。ヤな音がしてセーターはいとも簡単にほつれた。「げっ」だった。結局着ることもなく捨てることになった。それ以来ユニクロで買い物はしていない。もちろん商品に問題があったわけではないが、なんとなくケチが付いた験の悪いものになってしまったのだ。

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枕を高くして(低いけど)



 猫との生活も長きに渡り、こいつ等の日々の表情に和むことも多い。特に無防備で安心しきったような寝顔にはいつもほっこりとさせられる。うちの2名にはそれぞれにホットマットを与えていて、冬の間は食事と御不浄以外そこから離れることはない。それでグーグーとお眠りになるのだ。しかし、油断して眠りこける表情を撮ろうとカメラを向けた瞬間薄目でこちらを見ているのが分かる。きっとカメラの電源を入れる音で気付くに違いないと、遠く離れたところで電源を入れても、レンズを向けた瞬間に気付かれてしまう。どうやら「いいぞいいぞ」とカメラを向けるこちらの気配を感じるらしい。例えば深い眠りについている猫の顔の前に手のひらをかざすだけでも、必ずキッと目を開ける。そこらの感覚は非常に鋭敏にできていて、猫を騙すことはむつかしいのだ。
 それで、今日のヒットは大きなクッションの使い方で、見事に枕として活用なさっていることに思わず笑ってしまったのだ。

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扶養ねこ


 この寒い季節になるとアイツ等はどうしたんだろうと毎年のように思う。ボス猫の組長などは当時でも決して若い猫ではなかったから、もうこの世にはいないのかもしれないが、僕らの一家が忽然と姿を消して少しは困ったに違いない。


 写真でも分かる通り痩せ細った野良ではなく、食事の世話はあちこちで受けていたのだろうが、さすがに冬場になると不自由したらしく、よく顔を見せた。最初に会ったときの印象そのままに「ちび」と呼んでいたみかんの兄弟は、足しげく通い部屋にも上がり込むヤツだった。夏のある朝、寝ぼけ眼で部屋を見渡すと、ねこが3名いる。「えっ」と驚いてよくよく見ると、椅子の上で腹を出して眠りこけていたのがチビだった。どこかの家で飼われているようにも見えたが、組長と同じくまぶしそうな目でこちらを見上げてごはんを催促した。ちびはみかんと同い年だし、生きていることを願うばかりだ。



 別に置き去りにする気はなかったが、引っ越すことなど説明のしようもなく、突然消えた僕らをどう思ったのかを知ることもできない。10日置きにペットフードの店に買い出しに行き大量の猫缶を仕入れていたことも懐かしい。そんなものになるつもりはなかったが、ねこの面倒を見るおじさんであったことは確かだった。できることならこの二名は連れてきたかった。野良だった組長も、家に慣れれば甘え声のひとつも出し、すり寄ってきたりしただろうかと今でも思う。この他にも多くの猫たちが狭いベランダに顔を出しては餌を食べていった。10年近く経ってもヤツ等の記憶が色褪せることはない。

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わがまま


 今年もウチのねこ共はホットマットの上でごろりと横になり、というよりしがみつきつつ過ごす季節に突入。 暖と食さえ不都合なければこの世は極楽ってな調子で、この上にいるか皿の前にいるかのどちらか。しかしながらすっかり歳を取り老猫となったパスタは満腹感というものが希薄になっているらしく「あれっ、君はさっき食べたでしょう?」というようなやり取りが繰り返されるようになってきた。何度も缶を開け、食欲底無しかと焦る展開。これだけ食べるのだから太りそうなものだけど、逆に以前より痩せた。どうやら老いると大量に食しても吸収力が落ちるらしい。



 そのような場合でも何でも美味しく頂くかというと然にあらず。気に入らない缶詰であれば少し匂いを嗅いでそっぽを向く。「これじゃなくてさ、いつもの出せ」と厚かましく要求する。「おまえね、外にいる猫たちはこれでも喜んで食うはずだぜ」と言っても聞き分けるはずもなし。しぶしぶいつものヤツを出す羽目になるのだけど、これを見ていたみかんまでもが学習したらしく、同じようにしてみせる。みかんの場合は「ダメ元」という気分での要求らしく「これを最後まで食え」と叱ると渋々食べたりもする。老い先の短くなったねこは、人と同じように強情になり、「この先は思いきりわがままに生きてやる」とでもいう風に主張し始めるわけだ。参ったなあと思う反面、いくらかその気分を理解できるこちらもすっかり老域に達していることを自覚する。

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散歩


 もう10年も前、ねこと一緒に深夜の散歩をよくやった。ある夜、軽い運動でもしようと外に出るとパスタがついてくる。「あれ、おまえも体操すんの?」ってな感じだったが、こちらが歩くと付いてくる。どこまで一緒に歩けるかと試しにやってみた。ウチは氷川神社の裏手にあったのだけど、神社の正面まで辿り着いてしまった 。坂道を下って、ねこと歩くにはかなりの距離だ。少々驚いて抱きかかえて帰ったのだけど、そこから深夜の散歩が始まった。



 ホームページのねこページにも書いたから重複するが、深夜とはいえ、いつ人が来るか分からないからハラハラドキドキの散歩だったことは確かだ。


 すぐにみかんも参加するようになり、深夜に外に出ると2名とも喜び勇んで部屋から飛び出してくるようになった。神社の真裏の公園でしばらく遊んで帰ってくることを繰り返した。今となっては懐かしい想い出なのだ。すでに暗くなってしまった今日の6時ごろ、犬の散歩を見てそんなことを思い出した。
 都心部ならいざ知らず、ここらは田舎町だから、ちょっと裏道に入れば漆黒の闇が待っていたりする。そんな薄暗い通りを小さな犬を連れたおとうさんが犬の早さに合わせてゆっくり歩いてきた。一瞬何か分からなかったのだけど、よく見ると手には懐中電灯。つまずかないように注意しているらしい。しかし、おとうさんが照らしているのは自分の足もとというより犬の足もと。犬のために明るく照らしていることが分かって何ともほっこりとした気分になった。犬はといえば、おとうさんの方を何度も見上げては何かを確認しているようにも思えたし、楽しいことを知らせているようにも見えた。
 小さな光の輪と共に遠ざかっていく後姿に、ペットと共に生きる人の甲斐甲斐しさが滲んでいてすっかり感心してしまったのだ。

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