☆☆☆

プーッと吹けば


 久々に外出時間が8時間を超えた。玄関前に楽器をゴトンと置く音で気付くらしい。ねこ2名がドアの前に並んでいた。お帰り、お帰りってなものだ。しかしながら、これはとうちゃんが帰ってきて喜んでいるというものでもなく、実のところ、ごはんが帰ってきたという安堵の様子だと薄々気付いてはいるのだ。歓迎の儀式の後、2名とも皿の前にそそくさと座るから、それは明々白々。



 で、まあ、ソロの録音に行ってきたわけだ。初めて行くスタジオは響きをつかむまでに少々苦労する。力の入れ加減が分からない。音の伸びも部屋によって違うし、ミキサーの録り方ももちろん違う。それで最初のテイクは探り探りになることが多い。今日もそうなった。ファーストテイクで瞬時に判断して次のテイクに臨む。途中で没にしてしまうテイクもあるが、立て続けに5テイク以上は吹く。コントロールルームからOKが出ても「もう一回」と言いつつテイクを重ねる。そうやっている内に以前の感触が戻ってきた。うまく行ったようなテイクでも自分にだけ分かるほころびというものがある。そうやって続けているとストンと無心に近い情況になることがある。策を弄してないテイクが録れれば、そこが本日のゴールになるわけだ。
 30年前の自分の録音したものを聴いて、「もはや、今のあんたにはこれはできないだろう」と言われたような気もした。実際、30年前の音は出ない、というか出せるわけもない。それで、「そうは言うが、これなんか君には出来ないだろう」というような展開を絞り出したいわけだ。残念なのはメロディを即興で創り上げる技よりも何よりも、音が昔に比べれば軟弱なことだ。ストレート豪速球は望むべくもなく、ま、変化球だ。だから豪速球で行きたいと感じた2曲目は少々苦労した。16分音符にこだわり、8分音符で乗ればいいということに気付くまでに時間を要した。そこら辺の判断が鈍っているのは確かで、瞬発力は落ちているらしい。気付いただけでも良しとしようってな案配なのだ。音そのものを立て直すにはロングトーンの吹き伸ばしの練習しかない。やっぱ楽器は基礎練習だよな、ってなことを1時間の録音でまたまた学んだ次第。

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8小節


 オーバーホールした楽器を引き取り、帰りに練習スタジオを借りて試奏してみた。「げっ」と声が出るほど吹き辛い。メンテがうまく行かなかったわけではなく、体が付いていかない。この10日間ほどはフルで楽器を鳴らすということが出来なかった。もちろん家には出しっぱなしのテナーがもう一本あって、毎日何時間かは触れていたのだが、フルトーンで鳴らすわけにもいかず、だいたいはイメージトレーニングに近かった。その上、今日借りたスタジオの部屋の響きは恐ろしくデッドだった。楽器を鳴らすのにデッドな環境というものはとても辛い。つい力んでしまうことになるのだ。力みは大敵であっていいことなど一つもない。
 こんな話を聞いた事がある。どのような楽器にしろ、演奏家の奏でる音色には国によって違いがあるというのだ。それは住環境によって大きく異なるという。友人はヨーロッパ各地のいわゆるライブハウスのような場所で演奏した。彼が言うには、どの会場も音が響き過ぎるぐらい響いて最初は戸惑ったらしい。というのも特に北欧の建物は基本的に石造りであって、響かせようと目論んだわけでもなく、それが自然なのだという。その環境で楽器を学ぶということになる。日本は基本的に木造の環境で、今は違っているかもしれないが、昔は畳の上にピアノが置かれていた。そのあまり響かない環境で楽器に向かっていたわけだ。その違いは大きい。



 例えば畳の間でヴァイオリンを聴いたとする。響きは儚く心細い音色に聞こえる。もちろん達人が弾けばそれなりの説得力は持つが、適度な残響込みで弾かれるべき楽器であることは間違いない。ヴァイオリンの音色は単に弦に弓の弦が擦れるだけの生々しいものなのだ。その原始的な音が響きを伴うと、えも言われぬ音楽として認知されるわけだ。

 それはさて置き、デッドな空間で出した音の心細さったらない。なんだか無響室で吹いているような残念さがある。しばらく焦って続けたわけだが、明日もう一度同じスタジオでチャレンジしなきゃってな感じだ。明後日、録音の仕事を頼まれている。その歌手の愛聴盤が山下さんのライブだという。89年にそれまでのライブ音源を2枚組CD化したものだ。30年も前の録音で、見本盤を頂いてはいたが一度何曲か聴いただけで、盤を通して聴いたことなどなかった。そんなことを聞いたものだから何曲か再び聴いてみた。ま、若い。音ははち切れそうに鳴っているし、こんな音出るだろうかと不安にもなろうというもの。その情況で今日の練習、焦りも出るわけだ。自分が吹いたわけだからイメージははっきりあるのだけど、体が思い出すまでに少し時間がかかる。しかし、昔の録音を聴いて驚いたのは音色だけでなく、何事も全力だった無茶苦茶なパワーだ。今こんなことやったら死ぬなあってな感じだ。山下さんのツアーをやっているころ、勝手に決めていたことがある。だいたいは間奏のソロをやって後奏で歌にからんでというものだったが、昨日と同じことは絶対やらないということだった。似通ったものになることはあるにせよ、出だしだけでもまったく違うアプローチでということが重要だった。
 それがスタジオミュージシャンとしての活動の要だった。そのやり方は今のライブ活動でやろうとしていることとは根本的に違った側面がある。今の活動では、一曲の中で長い物語を紡ぐことにポイントがある。8小節で終わるわけではなく、何かインスピレーションが湧くことを待ちつつ紡いでいくわけだ。それで、今回も固辞したのだが、どうしてもというので引き受けた。再び8小節の世界の緊張感に戻れるのかどうかはやってみないと分からない。この歳になってなんとスリリングな展開だろうか。

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Embraceable You


 ジャズの雑誌として有名なダウンビート誌を、ついこないだまで10年近く購読していたが、次第に置き場所に困るようになり、デジタル版に変えた。最初にこの雑誌を買ったのは博多にいるころだった。今でも70ページぐらいだが、当時は薄っぺらい40ページほどのものだった。しかし、その頼りないページ数にも関わらず、アメリカのジャズ界で何が起きているのか知ることの出来る貴重な情報源だった。ミュージシャンのインタビュー記事も豊富で、辞書を片手に読解しようと必死だった。雑誌にはジャズを学ぶ人のための講座のコーナーがあって、ソロのコピー譜が掲載されることも多かった。



 チャーリー・パーカーの「Embraceable You」は1970年の4月号に掲載された。まだPCなど普及していない時代だから、ミュージシャンが採譜した手書きの譜面だった。 ソロコピーは自分でもずいぶんやったが、速いパッセージを採譜するのは大変で、恐ろしいほどの忍耐力を求められた。


 情報の少ない時代だから、このようなコピー譜はありがたいものだった。キーはinCで書かれているからアルト用に移調して書き写した。パーカーはEmbraceable Youを何度も録音していて、それぞれに素晴らしいが、このテイクは名演の誉れ高いものだった。



 久々にこれを聴き、「ああ、そうだよな、そうだったよな」と感慨深かった。ビ・バップのスタイルは上京してから就いた菊地師匠に2年間ほど叩き込まれた。基本的なパッセージを全てのキーで吹けるようになるというようなことだ。しかし、そのように訓練されたことは入り口に過ぎず、その基本からいかに発展させて自分のラインを作るかが要だった。それがむつかしい。誰かに就いて習っていると、様々な断片を繋ぎ合わせることに腐心するようになってしまうのだ。ソロを格好がつくように構築するにはそれが早道であって、それを始めると自分の想像力をかき立てるということをしなくなるわけだ。このパーカーのソロは元のメロディの断片も僅かで、彼自身のアイデアが詰め込まれている。見事に自分の歌としてのインプロヴィゼイションで、彼独自の世界が紡がれている。アドリブ・ソロは油断しているとフレーズだけを追い求めるようになり、自分の歌を作り上げるということから遠ざかってしまう。あーあ、この原点の気分を忘れかけていたかもしれないと反省しきり。改めてパーカーの偉大さをシミジミと聴いてしまったのだ。

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リペアー


 今日はテナーのオーバーホール、いわゆる全タンポ、バネ、フェルト交換するリペアーに出すために久々に新大久保の高橋楽器へ。昨日の内に出したかったのだが、この付近の日曜日は恐ろしく混雑するので今日に変えた。韓流の街としての勢いはまだ続いていて、月曜日でも人通りは多い。昔は歩いている人もまばらで静かなものだったが、やたら若い女の子が目立つ。ヨンさまに端を発したブームは形を変えて今も続いているらしい。街が賑わうのは結構なことだが、駐車場の問題をなんとかして欲しい。今ほど厳しくなかったころは大久保通りに路駐して楽器を出すぐらいは簡単にできた。しかし、今はほんの5分ほどでも油断できない。それでコインパーキングの利用と相成るが、20分300円はありがたくない。小走りで楽器を届け、中走りで戻るってな案配だ。



 ここの店主はほぼ同年代だが、最初に来たときは先代の時代だったし、彼がいた記憶がない。たぶん、後継ぎとして働き始めたのは何年か先のことだったように覚えている。それで、今でも彼を高橋楽器の兄ちゃんとして見ていたわけだ。しかし、今日「あたしもね、来年古希の大台ですよ」と言うと、息子である職人が「うちの親父はついこないだ70になりましたよ」などと返ってきて驚いた。そうか、もう兄ちゃんでもなんでもなく、先代と並ぶオヤジさんで間違いないのだ。最初にこの店に来たのが二十歳の時で、その時の先代が40代後半かというところだったと思われる。あれから50年が経ってしまっているわけだ。知らない内に、というか知ってはいたが数えない内に。全ての楽器のリペアーはここでやってもらっていて、他の店に出したことは一度しかない。定休日で都合がつかず違う店に出したが、なんだかしっくり行かなかった。全幅の信頼を置いていると言ってもよく、ここでリペアーしてうまく鳴らなかった場合は吹き手に問題があるのだと思っているのだ。
 オーバーホールの後は少々響きが変わる。というのもあちこちの不都合を技術的にカバーして鳴らしていたわけだから、奏者側が是正を余儀なくされるのだ。クラシック界では名の売れた奏者が「あたしなんざ、もう何年もタンポ交換などしたことがないですよ。ほら、手に汗をかく体質じゃないから金属が傷むのも少ないし、第一ね、そんなに無茶な吹き方していなければ、楽器ってのは案外鳴るもんですよ」と曰い、「えっ、そうですか」と目を丸くして驚いたことがあったが、そんな強者だっているのだ。ただ、微細なものでもどこかから息が漏れる、ようするにどこかのキーのパッドがずれて洩れている場合は、全キーを押さえた最低音が鳴りにくくなる。先日のライブで「こりゃあ、限界かな」という瞬間があった。それで、今日の駆け込みになったわけだ。その修理代金だが、ま、だいたい、その10万円前後かかる。オーバーホールでなくとも、年一度微調整に出す毎にその半分はかかるから、楽器が多いとしかめっ面にもなろうというものなのだ。

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横浜ライブ


 「ヘイ・ジョー」に駆けつけて頂いた方々には、深く感謝する次第です。
 
 久々のライブで疲れたというか、疲労困憊というのに近い。初めての面子だから仕方ないが、平和なサウンドを得るために、あれこれと注文を付けるだけでもエネルギー消費量は高い。



 しかも例によって全体の音量がとてつもなくでかい。何度注意を喚起しても大きくなってしまうから、彼らにとっては自然なことらしい。まるでドラムの伴奏をしているような状況に陥り、遠い昔に散々やったブローをする羽目になった。ま、避けたい展開だが仕方ない。忌ま忌ましいことに、大きな音でブローすると新たな発想などは浮かばない。バンド全体が叫んでいるようで、会話とは程遠く、言ってみれば皆でお互いに邪魔しつつ演奏しているようなものだ。しかしながら、そのようなやり方がライブハウスの日常と化している。もちろん良い情況ではないが、それは一人や二人の力で変えられるものでもないし、日本の現状はそのようなものだと言って差し支えない。例えば、タワー・オブ・パワーのリハーサルが目の前で行なわれている際、横の人と会話できると聞いた事がある。PAを通していない彼らの演奏は生音で見事にバランスが取れているのだ。それはロックのディープ・パープルなどでもステージ上は静かで会話が成り立つのだ。PAを通した彼らの演奏を聴いて、ロックは音がでかいものだと思ったらとんでもなく、ブレッカーとマイニエリのステップス・アヘッドのライブだってステージ上は恐ろしいほど静かだったという。
 日本でのライブのやり方が爆音系に傾いていった流れは、小さなライブハウスでも演奏者それれぞれの側にモニタースピーカーを置き、生音でバランスを取る重要性に気付かず、それで良しとしてしまった事にある。誰もが心置きなく大きな音で喚くことが可能になり、それを変だと思わなかったわけだ。アンサンブルという核の部分が無視され、お互いに聞き合って注意深く作り上げる過程がなくなった。皆で喚いてどうするんだってな話だ。
 次のライブではPA無しの演奏にチャレンジすることを考えている。小さな音で表現するのは難しい。よほどしっかり演奏できていなければ粗が全部見えてしまう。それが怖くて誰もが爆音に向かい。無駄で余計なフィギュアをそこら中に鏤める。静寂が怖くて余計な音で埋めてしまうのだ。
 ライブで演奏する際、一音一音が誰かの心に届くことを望んでいる。青臭い言い方に聞こえるかもしれないが、それしかない。そりゃあ、ま、爆音で皆を驚かせるというか、ねじ伏せるのも悪くないかもしれないし、「上手いなあ」と感嘆させるのも楽しいかもしれない。しかしながら伝えたいことがそれだけではあまりにも寂しいと考える。
 昨夜は宮地利治を偲んで「The Very Thought of You」を演奏した。この時だけは静かな瞬間が訪れた。あれは宮地の力に違いない。

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