☆☆☆

サックスが好きなのかどうかは、よく分からないけど



 小学校時代の同級生女史から来た今年の年賀状に「まさか70になるなんて考えもしなかったのに・・」と書かれていて笑えたわけだが、間違いなく僕らは古希と呼ばれる領域に達してしまう。奏者としての活動もめっきり減り、ライブをやっても集客状況は悲惨なことになってきたし、ま、大方の役目は終わったのだろうと思ってはいる。では、それでも毎日のように楽器に触れて鍛練らしきものを続けるのは何故かと訊かれると、趣味的なものだと言えばそうだけど、実のところ答えようがない。継続は力なりとは言うけれど、その継続に思ってもいなかった心のパワーが必要なことは確かで、何とか奮い立たせるだけの自分への申し開きというか、折り合いのポイントを見つける重要さも確認できる。近ごろは吹奏楽部が女子のための部活動になっていて、サックス吹きも女の子ばかりが取り沙汰されるようになってしまった。僕らが若いころも日野皓正さんがそうだったように、ジャズは時代のファッションとして脚光を浴びるジャンルだった。服飾メーカー「ヴァン」の広告塔として、ラッパを手にしたサングラスの日野さんの写真をあちこちで見かけたし、それは、ま、格好良かったから、上京して初めて渋谷の「オスカー」でクインテットを聴いたときは感激したものだ。それに取って代わり、ここ数年は若い女性のサックス奏者が、さらにファッションとしてジャズの世界を賑わせているわけだ。もちろんその傾向は日本だけでなくアメリカでも優秀な女性奏者は多い。韓国系のグレース・ケリーとかメリッサ・オルダナとか枚挙に暇がないほどだ。特にケリーは多くの巨匠たちが支持する通り、並外れたセンスを持った音楽家だ。注目される奏者の中にはへーっと驚くデータの豊富なプレイヤーもいるが、ちょっと待て的に違和感を感じることも多い。ま、否定的に言うものでもないが、おっさんの居場所は実力不足も相まって無くなったような気がしたりするわけだ。
 で、ここに来ても、自分の鍛練の向かっている先に見えているものが増殖し続けていることは確かなのだ。アメリカの若手から中堅どころには目を見張るような奏者が多い。その誰もがデータではなく、新しい道を示している。アルトサックスのパトリック・バートレイはスタンダードなものからオリジナルまで抜かりない。すでにベテランの域に達しているウォルター・スミスのテナーも素晴らしいし、ベン・ウェンデルの巧みさには舌を巻く。彼ら多くの規範になっているのは、どうやらジョシュア・レッドマンらしい。他にもJ・D・アレンとかリンカーセンター・オーケストラのテッド・ナッシュ、シャーマン・アービー、なんだかキリがない。そこに加えて、全盛期のズート・シムスとかマッコイ・タイナー、ブラッド・メルドーなどにもやられっぱなし。はっきり分かるのは、こうやってあれこれと感心しつつ驚きつつ死んでいくのだろうなってなことだ。

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アレンジ



 近ごろ、忌ま忌ましいほど我が侭になってきた猫のパスタ。朝、起こしにやって来て食事の催促は毎日のことだが、皿を見ると昨夜の食べ残しが入っている。「おまえ、これ食べてないじゃん、なんで残してんだよ、これ全部食わなきゃ新しいのはあげない」と叱る。このやり取りはたまにある。そこらの事情というか、言っていることは理解しているらしく、取りあえずは恨みがましい目きをしつつ、とても不満そうに引き下がる。しかしこの後が大変なのだ。食べ残しは新鮮さが失われていて嫌なのか、意地でも食べないという姿勢を崩さない。それは夕刻を過ぎても続く。時おり哀願するような声を上げるが、ここで甘えさせては元も子もなくなるってんで無視する。だがしかし、夜9時ともなると父ちゃんの決意も揺らぎ、仕方なく新しい缶を開ける羽目になる。ま、猫の粘り勝ちなんだけど、あーあ今日も負けたなと気落ちするこちらを横目に「ぬふふふ、今日も勝った勝った」と言わんばかりにパスタは勝利のごはんに食らいつく。

 7月のライブは歌がメインのプログラムで、そのアレンジ譜を演奏するのは実に10年以上振り。譜面データはほとんど残っているから問題ないのだけど、あるはずだと思っていた楽曲のシーケンサーデータが数曲しか残っていないことが分かった。「げっ」と焦る。ライブ時の録音は幾つか残っているが参考にするには不十分過ぎる。ま、新たにデータを作るしかない。アレンジのイメージを伝えるためには必要で、その音データを事前にみんなに送ればリハーサル時に事が早い。問題は、新たにデータを打ち込みつつ、絶対にアレンジを変えたくなるに決まっていることだ。昔のアレンジの不備に気付いてあれこれいじることになるなあと少々気が重く、曲によっては全面的な変更も出てくるに違いないと、さらに気が重い。ま、手抜きでライブなど何の意味もないから全力で、猫の手も借りずに立ち向かう。

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リズム



 2017年付けで日本人の平均寿命は女性が87・26歳、男性が81・09歳だという。ま、残された時間は極めて少ない。ここらで少しピッチを上げないと間に合わないというか、何れにしても間に合わないのだが、歩みを止めるわけにはいかないし、突っ走ってしまおうという魂胆だけは健在なのだ。いわゆる即興演奏の奥義というものは底なしで果てがない。だから面白いとも言えるわけだが、長い間格闘していると嫌でも見えてくるものがある。近ごろは関連した資料、データだけは豊富で、僕らの時代のように全てを自分で用意する必要もなく、学ぶことはより容易くなった。それで、若い優秀なプレイヤーが続々と現れている。その誰もが演奏する即興演奏のラインは整理整頓されていて見事なものだ。まるで教則本のように間違いがない。しかしだ、しかしその多くのソロには本人が気付きようもないある規則のようなものが聞こえる。こないだある楽器の優秀な奏者のソロを聴く機会があった。それぞれのソロの内容は完璧に近く整理されていたのだけど、どの曲のソロでも4小節単位で流れが終わり、次の小節の頭からまた4小節間続くという案配だった。それは共演しているベテランと言える奏者も同じだった。全ての小節は理路整然とした音で埋められていたから聴いているうちに息が詰まりそうな気分になった。ようするに休符がないのだ。アマチュアの演奏家がアドリブというものに向かうと、やはり同じく焦ったように音で埋め尽くそうとするのに似ている。ただアマチュアの場合は間違った音が多い。この休符を活用できないというのは考えようによってはかなり深刻な部分がある。それはリズムの感じ方の違いというか、フレーズの起承転結によってリズムを捉えていることになるのだ。休みを入れるとフレーズのつじつまが合わなくなるというか、そもそも覚えたことを演奏しようとしているケースが多いから、途中を端折るとラインが壊れてしまうわけだ。極端に言えば即興演奏ではなく即興演奏風なことだと考えられる。例えばリー・コニッツは小節のどこからでも始められるし、同じフレーズを頭からでも裏からでも始めて自由に展開することできる。レスター・ヤングはそのようなソロの流れを提示した偉大なテナープレイヤーだったが、日本での評価は今一だ。休符は音符と同じ音価を持つ。これを体得することはとても難しい。ラインは勉強で補強できても休符は勉強できるものでもないからだ。それはとても感覚的なことでフィジカルだ。ジャズはリズムがベースで、それ無しでは成立しない。この自由が体得できると、コーラスの終わりから次のコーラスの頭を飛び越えたラインを成立させることが出来て4小節単位の縛りからは解放される。4小節単位の感覚は大切だが、そこから抜け出ることが出来ればより可能性は増すわけだ。すべての名だたるプレイヤーはコニッツと同じようにリズムに対して柔軟で、鈍重なラインに嵌まることがない。むかし板谷がよく言っていた。「そりゃあ、おまえ、なんったってさ、ソロは裏から始めるんだよ。スピード感も増すしさ、農耕民族的な縦乗りだけは避けなきゃな」あいつ良いこと言ってたんだと今さらながら思う。自分がそれを体得できているかと問われれば、「ああ、やってはいるんだが」と答えるしかない。時々小節を飛び越えたと思う瞬間があったりもするが、焦ると農耕民族的な音埋め作業に陥って嘆くことになる。
 阿川泰子さんがアメリカで録音したときの話を覚えている。現地のミュージシャンが書いた曲を歌うことになって、譜面がないから取りあえず彼の仮歌を聴いて覚えようということになったらしい。分かり辛いところがあったので、もう一度歌ってくれと頼んだそうだ。ところが、もう一度歌うとさっきと違う。「えっ」と驚いてもう一度というと、また違ったことを歌う。何回か繰り返して、阿川さんは「これは適当なんだな、だいたいちゃんとしたメロディなどなく、バックのサウンドの上で自由に歌っているんだな」と気付き、仕方なくこちらも適当に作って歌うしかなかったそうだ。極端な例だが黒人のミュージシャンにはそんな部分を持つ人もいる。とても感覚的に活動をしている人たちだ。もちろん緻密な演奏を要求する例もある。早野さんは70年代初期に来日したアート・ブレイキーのステージリハを見た。ピアニストは女性のジョアン・ブラッキーンだった。「モーニン」のリハが始まった。最初のピアノのフレーズを彼女が弾いた瞬間にブレーキーの「ノーッ」という声が響き、弾き直す、「ノー」、弾き直す、「ノー」、弾き直す、を延々繰り返し、それは30分近く続いたらしい。それでもブレイキーはリズムの権化のような巨人だったから、スウィングするリズムが全員を鼓舞して素晴らしいステージをいつも繰り広げた。彼のステージで忘れられないのは五反田簡易保険ホールでの公演だ。全体はゆったりと聞こえていた曲だったが、ドラムだけをよく聞くととんでもない速さの曲で驚いた。魔法のようなドラミングだった。あんな中にリズムに不自由なおっさんが放り込まれたら即死だろうと思えた。さて、そのリズムの件だが、たぶん日本人とはとても律義な人種に違いなく、欧米人は騎馬民族的なワイルドさが身上だと思える。日本人は狭い四畳半でポチ、ポチッと弾かれる三味線の響きに侘寂を感じ、アメリカ人は喧しくかき鳴らすバンジョーに駆り立てられ、アフリカンの黒人たちは全身を使ってクネクネと踊るリズムを最初から持っていたという違いのようなものだ。それが、いきなりリズムの吹き荒れるジャズに立ち向かおうってんだから大変なことは確かだ。かてて加えて、巨匠たちは音列でもとんでもないことをサラリとやってのけて、僕らを置いてけ堀にすることに余念がない。下の譜はロリンズの「セント・トーマス」のライブ時のソロの一節だ。かなりコーラ数を重ねてクライマックスに近くなった部分だ。もうコードとは関係なくラインが紡がれている。ロリンズはこういうことをよくやる。スケールアウトとかいうシステマチックなものではなくかなり感覚的に吹いている。和声の概念から超越して打楽器的な感覚かも知れない。違うところに行きたいんだという意思だけが伝わるってなことだ。聴いていて妙に感じるものでもなく勢いで圧倒されるわけだが、律義な国民が到達など考えもしない世界であることは確かなのだ。


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閃光


 ガーデニングに精を出すおっちゃんの家の庭に今年も薔薇の蕾が現れた。毎年不思議に思う。冬の間、生け垣には薔薇の蔓もなにも見えないのだが、この季節になるとムクムクと現れて生け垣を「さあ、出番だ、出番だ」とでも言うように覆い尽くす。



 さて、今の若者とは趣味も流儀も、あらゆるものが違ったと言っても差し支えない僕らの時代のプレイヤーの話だ。紀伊国屋の裏手に構えていた新宿ピットインに朝の部があった時代、プレイヤー志願者の大半は大学のジャズ研の出身者というか、まだ在学中の連中だった。卒業したものもいたことはいたが大半は中退であり、30代に自ら命を絶った早稲田出身のトロンボーン奏者板谷に言わせれば、「中退ってのはさ、ちゃんと届けを出したヤツでね、ほとんどは末籍なんだよ、入学した事実も消えているわけな」とのことだった。そんな学士系の中で異彩を放っていたのがテナーサックスの小田切氏だった。ホームページの70年代でも触れているように、彼は僕のバンドに短期間だけどいたことがあって、かなり打ち解けるところまでの付き合いがあった。なにしろサックス2本がフロントのクインテットは面白く刺激的だったから気に入っていたのだが、メンバーの彼女とデキたとかなんとか、リーダーにしてみればくだらない諍いで離脱してしまった。とにかく他と一線を画する生真面目さでジャズと取り組んでいた人だった。ある日の昼の部のピットインを覗きに行くと、店の表で何やらサックスを真剣に吹いている男がいる。誰かと思えば小田切氏で、中でやっている楽曲のテーマの吹き方に納得していないらしく、それを復習っているところだった。もちろん中では演奏が続いていたのだけど。なんとも彼らしいと笑ったものだ。なにしろあるレコーディングで彼はアドリブの書き譜を用意していた。共演者の一人に「それは、あんまりではないか」と指摘されると「残るものだから、いいんだ」と突っぱねたと聞いた。その頑なさが彼だったのだけど、その不器用な生き方も含めて僕は好きだったし、バンドを辞めてからも気になるプレイヤーの一人だった。消息を聞かなくなった頃知ったのは意外な話だった。その後、何を思ったのか、彼は実家の福島に引っ込んでしまっていた。そこを訪ねたあるプレイヤーの話は驚くようなものだった。部屋の畳を全部剥がし、防音のために壁や窓に打ち付け、裸電球の下で練習に励んでいたという。なんと壮絶な訓練かと、彼らしい突き詰め方だとは思いつつも、いささか呆れたりもしたものだ。猛特訓を経て東京に戻り、演奏活動を再開した。しかしながら仕事は何でもやるという姿勢ではなかったから、かなりの生活苦はあったようで、食うや食わずの毎日を強いられていたことは想像に難くない。一緒にやっているころも、新宿のタローに出演する際はレトルトのボンカレーを持って現れ、店の賄いのごはんを貰って食っているような案配だった。人一倍の負けず嫌いに加えて、探求心も人並み外れていたから、そのような性分がジャズに立ち向かわせていたのだろうけど、とても真似の出来るようなことではなかった。そんなひた向きな生き方は呆気なく終焉を迎えた。人伝ての話では風邪をこじらせて肺炎を起こし、体力の無さも相まって彼にダメイージを与えて亡くなってしまったのだ。訃報を聞いたときは何と痛ましいことか、悲惨なことかと腹が立った。彼は生き急いでしまったのだと思う。当時の録音物の幾つかは残っていて、若くして世を去った彼は殉教者のように扱われていたりするが、それらの言葉を見る度に苦々しい思いがする。そんなに格好いいものではない、むしろ無様に近いものであって、彼は生きることに執着して、彼が格好悪いと思う仕事でも何でもこなして生きるべきだった。当時、かなりのレベルに達していた彼が生き続けていれば、もっと凄まじい演奏を聴かせてくれたに違いないし、その可能性を放棄してしまったことが残念なのだ。生きていれば、僕らと同じような爺になっていた筈なのに。

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一所懸命


 うちのバンドでベースを弾く久末さんは、若いころテナーの名手の宮沢昭さんとステージを共にしたそうだ。ある日「ところで君は幾つになったの?」と訊かれて「28才です」と答えると、「そうかぁ、28かぁ、その歳で日本一とか何とか、そういう評価されていないというのはだな、これから先、とんでもなく大変だぞぉー」とほとんど脅しのように言われたそうだ。実際、宮沢さんはそのような立場であったらしい。宮沢さんは嫌味でも何でもなく、偽らざる心情を語ったのだと思われるが、それが本当のところなんだと察した久末さんは、その直球に「げっ」とのけ反るように驚いたそうだ。



 それは、ま、誤りではない。むかし、忘れもしない武蔵小杉の「大統領」というキャバレーで箱バンをやっていたことがある。ギタートリオにサックスが2本の編成だった。ギタリストは割合調子のいい人物で、ヤマハ関連の学校にコネクションがあった。どう言いくるめられたかは知らないが、トラとして頼まれてやってきたのが渡辺香津美氏だった。すでに名は知れ渡っていたが渡辺さんはまだ二十歳そこそこだった。ま、騙されたに違いない。とんでもなく巧かった。ソロはもちろんのことだが、バッキングのサウンドとリズムの小気味よさ、圧倒的な力を発揮した。その時のベーシストはその夜のショックで程なくしてミュージシャンを辞めたほどだ。しかし、人物は穏やかで偉そうにするでもなく、むしろ楽しそうに仕事をして帰った。その日は大サービスのストリップショーが入っていて、お姐さんがバンドの方を向いて「サービス」などと言って見せたりするものだから、彼は顔を赤くして下を向いていた。その後、彼とは度々会うことになるわけだけど、「大統領」にトラで来たことが彼の汚点になっているのかいつも少し照れ臭そうにしていた。彼だけではない。名を知られる演奏家のほとんど、100パーセントと言ってもいいが、20代の前半で頭角を現すのだ。誰かが言う「巧いヤツは最初から巧い」ということだ。あたしの場合は、ジャズだけで生きていく覚悟など持てなかったし、たまたま縁を持ったスタジオワークが性に合っていたのか、ズルズルとそちらに流れていった。ジャズに挫折したとは思っていなかったが、そうだったのかも知れない。
 ここ数年、若いプレイヤーにバンドを手伝ってもらったことが幾度かあった。彼らの主な活動はライブで演奏することで、食っていくのは大変だろうと思えた。特にジャズのライブなどお勉強会のようなものだから、それだけで生計を立てるのは無理に違いない。彼らの台所事情は知らないが、付き合ってみてプロ意識の違いを度々感じた。それは時代が違うとかいう問題でもない。ある30そこそこのドラマーはレゲエを知らなかったらしく、妙なリズムで叩いていた。それを指摘すると後日電話がかかってきて、何を聴いたらよいのか教えてくれと言う。それで話しているうちに、まだ何も聴いてもいないことが分かった。あれこれ聴いてみたのだけど決定盤を教えてくれ、ということではなく、端から指定されたものを聴けばいいかという案配に見えた。ようするに自分で探して掘り下げるという過程は省略していきなり解答から入るってわけだ。なんと横着なってんで自分で探せと答えた。次のライブでも聴いていないことが見え見えだった。次のスケジュールの都合を連絡した際に、先日のライブで嫌な顔をされたことへの不満を口にした。「あっ、こいつまだ聴いていないな」という顔をしたらしい。それは申し訳ないってな感じだったが、次の言葉でガッカリして先のスケジュールはキャンセルした。「一所懸命やっているんですから」。一丸という人が書いた相撲の漫画「おかみさん」で、若い力士が慰めあうように一所懸命を繰り返すと、部屋付の髪結い床丸さんが怒鳴る。「一所懸命、一所懸命と気安くぬかしおってぇぇ・・。ただ一所懸命だけですむ段階はとうに過ぎとろうがあ!!」ま、この言葉に尽きる。
 もちろん彼らの生き方が間違っているなどとは言えない。しかしながらライブ関連のエリアだけで演奏している者の陥りやすいぬるま湯的な盲点がある。金になる仕事はとても厳しい。一切の言い訳は通用する筈もないし、結果が全てでジャッジされる。ダメだったら確実に次はない。今日はダメだったけど次は頑張ろうってのはないのだ。金になる仕事が全てではないけど、その厳しさは体験しないと分からない。出来ないことは自分で解決するしかない。そこのところは説明できるものでもなく、お引き取り願うことになってしまったのだ。宮沢さん流に言えば先はないに違いない。

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