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あの日


 あの地震から3年も経つ。詳細は次第にぼやけてきたとは言え、かつてない不穏な空気を感じながら仕事に向かったことはよく覚えている。仕事は夜の8時からだった。しかし、練習スタジオで仕事に備えてトレーニングしている最中に地震に見舞われ、取り急ぎ自宅に戻って出かけることになった。万一の事態を考え、かなり余裕を持って家を出たはずだった。ま、帰宅路ならいざ知らず、都心に向かう道が混んでいることはあり得ないと考えていた。  
 出かける前に点けたテレビからは、名取市上空からの津波の映像がリアルタイムで流れていて、とんでもない事が起きているということを知った。一生忘れられない日になるだろうという予感があって、写真はこの他にも何枚も撮っていたが、まともに写っているものは少なかった。 

 異変というか、異常な事態であると感じたのが交差点で交通整理としている人の姿だった。停電で信号機も動いていなくて、見かねた近所の人が手信号で誘導していた。

 

 この時点では車の流れに問題はなかったが、この先で大変な事態に遭遇することになった。どうして上り車線が混んでいるのかは分からなかったが、甲州街道に入ると車の流れは止まった。  普段は30分弱の距離に6時間以上かかることになった。時間通りに辿り着けないことは明らかだったが、とにかく電話がつながらず、仕事に向かう態勢のまま時間はドンドン過ぎて行った。  
 やっと電話がつながったのが11時近くで、仕事は中止になっていないということだった。スタッフは昼からスタジオ入りしていたわけで、帰ることもできない状況だということが分かった。9時を過ぎたころから沿道の人の流れが騒がしくなってきた。縁日かと思える時間帯もあった。都心部から歩いて帰る人たちだった。高井戸を過ぎ、車の流れは少々戻ったが、妙な場所で渋滞が見受けられた。そこを走っていると高速道路の入り口になってしまう車線というものがあって、入ってしまった車が車線変更するものだから雑然とした渋滞になっていた。そこで、都心部を走ったことのない車が入ってきていることに気付いた。  
 旦那を迎えに来た車も多かったらしい。しかし、電話は通じない。それで、新宿の町は駐車場のような状況になってしまっていた。電話がつながるまでどこかで待つ他ないわけだ。裏道を駆使して新宿を通り抜け六本木に辿り着いたのは一時近かった。

 
 飯倉の交差点を過ぎるとスタジオまではあと少し。

 

 写真では分からないが、実は反対車線の渋滞は凄まじいものがあった。スタジオはロシア大使館の横を入ってすぐのところにあるわけだが、先は行き止まりなのに後から付いてきた車が3台ほどいた。抜け道だと思ったらしい。    
 仕事を終えて帰路についたのが3時近く。さすがに車の渋滞は緩和されていたが、帰りの車中でも余震の揺れを感じることが何度もあって、その都度ユサユサと揺れる車内で不安に襲われた。

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