☆☆☆

ターニングポイント


 人生に転機というものがあるとすれば武藤さんの誘いに応じることもその一つだったに違いない。ビッグバンドで演奏する道があった。切っ掛けは他にもあった。ゴダイゴでホーンセクションを手伝っているとき、ちょっとした揉め事が事務所とプレイヤーの間であり、ま、それは金銭的なことも絡んでいたのだけど、ホーンセクションを替えることになってしまった。しかしながら何が起きているか知らないこちらはトラブルに関与していなかったから、残って欲しいと言われた。自分のトラブルではなかったが、自分だけ残るというのも後ろめたいような気がして固辞した。しばらくして浜田省吾というロック歌手のツアーを何本か手伝った。ある夜、旅先のホテルで会食に招かれた。たしか彼のお姉さんがマネージメント担当で、ウチのバンドに加入しないかという話だった。誘いは光栄な話だったが、当時の彼のバンドのツアーは年に50箇所を超えていた。3日に一回としてもリハーサルを含めて年の半分は拘束されることになる。それはそのバンドの活動で生きる事がすべてになることを意味していた。頭を下げて断った。誘いに乗っていればロックの世界でサックスを吹くおっちゃんになっていただろう。



 ツアーを何年も続けることはあまりなかった。その中で3年続けた山下さんのツアーは珍しいことだった。そもそも自由な職業に就いたはずだった。それなのに自由を束縛されるような立場になることだけは避けたかったのだ。その山下さんのツアーも3年目が限界だった。来年も、という申し出を断ることになった。彼に感謝することはあっても嫌いだとかいうものではなく、自由が欲しいというような心持で辞することになった。ま、多くの事務所サイドからは生意気なヤツと取られたかも知れないが、フワリフワリと流れるように生きるのが好きだった。大仰にいえば、他人の音楽ではなく自分の音楽で生きることが大切だと信じていたというか、信じようとしていたのだ。あの時こうしていればという後悔があるわけではない。ビッグバンドのリード、ロックのサックス、どれもその立場にいる自分を想像できない。そんなことを言えば、スケジュールが合わなかった山口百恵さんのラストツアーや、海援隊のツアーなどに参加していれば、劇的な変化はなかったにせよ何らかの影響はあっただろうが、結局は今の場所がいるべき場所だったと思うのが正しいのだ。

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