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リズム



 2017年付けで日本人の平均寿命は女性が87・26歳、男性が81・09歳だという。ま、残された時間は極めて少ない。ここらで少しピッチを上げないと間に合わないというか、何れにしても間に合わないのだが、歩みを止めるわけにはいかないし、突っ走ってしまおうという魂胆だけは健在なのだ。いわゆる即興演奏の奥義というものは底なしで果てがない。だから面白いとも言えるわけだが、長い間格闘していると嫌でも見えてくるものがある。近ごろは関連した資料、データだけは豊富で、僕らの時代のように全てを自分で用意する必要もなく、学ぶことはより容易くなった。それで、若い優秀なプレイヤーが続々と現れている。その誰もが演奏する即興演奏のラインは整理整頓されていて見事なものだ。まるで教則本のように間違いがない。しかしだ、しかしその多くのソロには本人が気付きようもないある規則のようなものが聞こえる。こないだある楽器の優秀な奏者のソロを聴く機会があった。それぞれのソロの内容は完璧に近く整理されていたのだけど、どの曲のソロでも4小節単位で流れが終わり、次の小節の頭からまた4小節間続くという案配だった。それは共演しているベテランと言える奏者も同じだった。全ての小節は理路整然とした音で埋められていたから聴いているうちに息が詰まりそうな気分になった。ようするに休符がないのだ。アマチュアの演奏家がアドリブというものに向かうと、やはり同じく焦ったように音で埋め尽くそうとするのに似ている。ただアマチュアの場合は間違った音が多い。この休符を活用できないというのは考えようによってはかなり深刻な部分がある。それはリズムの感じ方の違いというか、フレーズの起承転結によってリズムを捉えていることになるのだ。休みを入れるとフレーズのつじつまが合わなくなるというか、そもそも覚えたことを演奏しようとしているケースが多いから、途中を端折るとラインが壊れてしまうわけだ。極端に言えば即興演奏ではなく即興演奏風なことだと考えられる。例えばリー・コニッツは小節のどこからでも始められるし、同じフレーズを頭からでも裏からでも始めて自由に展開することできる。レスター・ヤングはそのようなソロの流れを提示した偉大なテナープレイヤーだったが、日本での評価は今一だ。休符は音符と同じ音価を持つ。これを体得することはとても難しい。ラインは勉強で補強できても休符は勉強できるものでもないからだ。それはとても感覚的なことでフィジカルだ。ジャズはリズムがベースで、それ無しでは成立しない。この自由が体得できると、コーラスの終わりから次のコーラスの頭を飛び越えたラインを成立させることが出来て4小節単位の縛りからは解放される。4小節単位の感覚は大切だが、そこから抜け出ることが出来ればより可能性は増すわけだ。すべての名だたるプレイヤーはコニッツと同じようにリズムに対して柔軟で、鈍重なラインに嵌まることがない。むかし板谷がよく言っていた。「そりゃあ、おまえ、なんったってさ、ソロは裏から始めるんだよ。スピード感も増すしさ、農耕民族的な縦乗りだけは避けなきゃな」あいつ良いこと言ってたんだと今さらながら思う。自分がそれを体得できているかと問われれば、「ああ、やってはいるんだが」と答えるしかない。時々小節を飛び越えたと思う瞬間があったりもするが、焦ると農耕民族的な音埋め作業に陥って嘆くことになる。
 阿川泰子さんがアメリカで録音したときの話を覚えている。現地のミュージシャンが書いた曲を歌うことになって、譜面がないから取りあえず彼の仮歌を聴いて覚えようということになったらしい。分かり辛いところがあったので、もう一度歌ってくれと頼んだそうだ。ところが、もう一度歌うとさっきと違う。「えっ」と驚いてもう一度というと、また違ったことを歌う。何回か繰り返して、阿川さんは「これは適当なんだな、だいたいちゃんとしたメロディなどなく、バックのサウンドの上で自由に歌っているんだな」と気付き、仕方なくこちらも適当に作って歌うしかなかったそうだ。極端な例だが黒人のミュージシャンにはそんな部分を持つ人もいる。とても感覚的に活動をしている人たちだ。もちろん緻密な演奏を要求する例もある。早野さんは70年代初期に来日したアート・ブレイキーのステージリハを見た。ピアニストは女性のジョアン・ブラッキーンだった。「モーニン」のリハが始まった。最初のピアノのフレーズを彼女が弾いた瞬間にブレーキーの「ノーッ」という声が響き、弾き直す、「ノー」、弾き直す、「ノー」、弾き直す、を延々繰り返し、それは30分近く続いたらしい。それでもブレイキーはリズムの権化のような巨人だったから、スウィングするリズムが全員を鼓舞して素晴らしいステージをいつも繰り広げた。彼のステージで忘れられないのは五反田簡易保険ホールでの公演だ。全体はゆったりと聞こえていた曲だったが、ドラムだけをよく聞くととんでもない速さの曲で驚いた。魔法のようなドラミングだった。あんな中にリズムに不自由なおっさんが放り込まれたら即死だろうと思えた。さて、そのリズムの件だが、たぶん日本人とはとても律義な人種に違いなく、欧米人は騎馬民族的なワイルドさが身上だと思える。日本人は狭い四畳半でポチ、ポチッと弾かれる三味線の響きに侘寂を感じ、アメリカ人は喧しくかき鳴らすバンジョーに駆り立てられ、アフリカンの黒人たちは全身を使ってクネクネと踊るリズムを最初から持っていたという違いのようなものだ。それが、いきなりリズムの吹き荒れるジャズに立ち向かおうってんだから大変なことは確かだ。かてて加えて、巨匠たちは音列でもとんでもないことをサラリとやってのけて、僕らを置いてけ堀にすることに余念がない。下の譜はロリンズの「セント・トーマス」のライブ時のソロの一節だ。かなりコーラ数を重ねてクライマックスに近くなった部分だ。もうコードとは関係なくラインが紡がれている。ロリンズはこういうことをよくやる。スケールアウトとかいうシステマチックなものではなくかなり感覚的に吹いている。和声の概念から超越して打楽器的な感覚かも知れない。違うところに行きたいんだという意思だけが伝わるってなことだ。聴いていて妙に感じるものでもなく勢いで圧倒されるわけだが、律義な国民が到達など考えもしない世界であることは確かなのだ。


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