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横浜ライブ


 「ヘイ・ジョー」に駆けつけて頂いた方々には、深く感謝する次第です。
 
 久々のライブで疲れたというか、疲労困憊というのに近い。初めての面子だから仕方ないが、平和なサウンドを得るために、あれこれと注文を付けるだけでもエネルギー消費量は高い。



 しかも例によって全体の音量がとてつもなくでかい。何度注意を喚起しても大きくなってしまうから、彼らにとっては自然なことらしい。まるでドラムの伴奏をしているような状況に陥り、遠い昔に散々やったブローをする羽目になった。ま、避けたい展開だが仕方ない。忌ま忌ましいことに、大きな音でブローすると新たな発想などは浮かばない。バンド全体が叫んでいるようで、会話とは程遠く、言ってみれば皆でお互いに邪魔しつつ演奏しているようなものだ。しかしながら、そのようなやり方がライブハウスの日常と化している。もちろん良い情況ではないが、それは一人や二人の力で変えられるものでもないし、日本の現状はそのようなものだと言って差し支えない。例えば、タワー・オブ・パワーのリハーサルが目の前で行なわれている際、横の人と会話できると聞いた事がある。PAを通していない彼らの演奏は生音で見事にバランスが取れているのだ。それはロックのディープ・パープルなどでもステージ上は静かで会話が成り立つのだ。PAを通した彼らの演奏を聴いて、ロックは音がでかいものだと思ったらとんでもなく、ブレッカーとマイニエリのステップス・アヘッドのライブだってステージ上は恐ろしいほど静かだったという。
 日本でのライブのやり方が爆音系に傾いていった流れは、小さなライブハウスでも演奏者それれぞれの側にモニタースピーカーを置き、生音でバランスを取る重要性に気付かず、それで良しとしてしまった事にある。誰もが心置きなく大きな音で喚くことが可能になり、それを変だと思わなかったわけだ。アンサンブルという核の部分が無視され、お互いに聞き合って注意深く作り上げる過程がなくなった。皆で喚いてどうするんだってな話だ。
 次のライブではPA無しの演奏にチャレンジすることを考えている。小さな音で表現するのは難しい。よほどしっかり演奏できていなければ粗が全部見えてしまう。それが怖くて誰もが爆音に向かい。無駄で余計なフィギュアをそこら中に鏤める。静寂が怖くて余計な音で埋めてしまうのだ。
 ライブで演奏する際、一音一音が誰かの心に届くことを望んでいる。青臭い言い方に聞こえるかもしれないが、それしかない。そりゃあ、ま、爆音で皆を驚かせるというか、ねじ伏せるのも悪くないかもしれないし、「上手いなあ」と感嘆させるのも楽しいかもしれない。しかしながら伝えたいことがそれだけではあまりにも寂しいと考える。
 昨夜は宮地利治を偲んで「The Very Thought of You」を演奏した。この時だけは静かな瞬間が訪れた。あれは宮地の力に違いない。

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