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若気の至りは周りを暗く照らす


 博多時代のことを書き出すと止まらないらしいことが分かってきた。そう言えばあんなこともあった、こんなこともあったという風に色々なことが次々と思い出される。東京でのバンド生活ではメンバーの名前も顔も思い出せないことがほとんどだが、博多のメンバーの場合は名も顔もかなり多く記憶していて、18歳からの2年間がどれほど刺激的だったかという証のようなものだ。ピアノに「じょうご」という方がいらして、「じょうご」がどのような漢字だったか、城後だったかどうかも思い出せないが、彼のロッカーの扉には漏斗の絵が貼られていた。味わい深いソロが印象的だったテナーサックスの松浪さんのロッカーの扉には赤塚不二夫の漫画の中の一コマ「テナーサックスを吹くヨーン」というイラストが貼られていた。ここでお世話になった方々の幾人かは東京で再会することになるのだけど、それは改めて書くとして、生意気盛りの18歳は問題児でもあった。「こんなアレンジはイモだ」などと平気で口走り、「それじゃあ、おまえ書いてみろ」などと先輩に言われても怯むことはなかった。だいたい簡単にビッグバンドのアレンジが出来るわけもなく、そりゃ、ま、贅沢を言わなければ少しは書けたかも知れないが、自分が目指すようなサウンドを書けるわけもなかった。それで「あいつは口先だけの若造だ」などという陰口の標的にもなっていたわけだ。東京のバンドから引き抜かれて去った方の後釜に来たドラマーは「なあ、おまえさ、オレが書いたことにしていいからさ。なんかアレンジしてみろよ」などと心配してくれた。なにせ若さの勢いだけが頼りのサックス吹きだったから、そんなことは全く気にも留めなかったし、そんなことよりも日々の楽器の鍛練にしか興味はなかった。ずいぶん後になって、博多ではソロピアノ奏者として仕事をしていた箕田さんが訪ねてきたときに「良かったねえ、良かった、本当に良かった」と何度も言うのを聞いて、そんなに問題児だったのかと驚いた。箕田さんとはすれ違う程度の知り合いだったが、彼の耳にも危なっかしい若者の話は届いていたらしい。彼が訪ねてきた当時はピットインでの活動も始めていたのだが、まさかそんな場所に躍り出るとは信じられないという風だった。しかしながら言い訳じみたことを言えば、そもそも二十歳前に周りから疎まれようと何らかの形で尖っていることの出来ない者に先はないと思える。以前、宮大工の棟梁と話をしたときに一致したのがそのような意見だった。「そうなんですよね、うち等の弟子でもね、たいして教えてもいないのに出来るヤツは最初から出来るのね。もう理屈じゃないんだよなあ。才能とかじゃなくて覇気のようなものかなあ」

 周りの危惧など知らず、お気楽な18歳を突っ走っていたわけだが、この時代に二度と経験できないであろう照明の手伝いもやった。それはチェンジバンドにいた3ヶ月ほどの間だった。メインのバンドには「ショータイム」という大事なステージがあった。照明は中央、右、左と3機の照明が設えられていた。メインはプロの照明技士が担当していたが、左右の技士2名を雇うほど店側は鷹揚ではなかった。それで、その時間に手の空くチェンジバンドのメンバーに目が付けられた。バンドの若いドラマーが手伝っていた。もう一人が誰だったのかは分からないが、突然欠員が生じて手伝ってみないかと誘われたのだ。照明機器は前世紀の遺物ともいえる「アークスポットライト」で、カーボンスロットを燃やすもの。電極のプラスマイナスに繋いだカーボンの棒を近づけ放電する光を使う。



 小さな窓のようなものがあるが、ここから中のカーボンの状態を見ながら調節する。放電する間隔があって、この間を調節するのが結構大変で、近づけ過ぎるとくっついてしまって火は消える。くっ付いてしまった場合は棒を取り出して新しいものに付け替えなければいけないのだが、さっきまで燃えていたものだからもちろん素手では無理。慣れないとこの作業は困難を極める。大きい革手袋をしていても「あっち、あち、あち」ってな感じだ。



 下のものは使っていたものとは少し違うような気もするが、前からのイメージはこんなものだった。メインの技士との会話はイヤホンとマイクが一体になったインカムで行なった。「右ライト歌手を照らせ、こっちはミラーボールを照らす」という具合に指示があり、カーボンの状態を見つつ大きな機器を傾けたり左右に振ったりした。初めのうちはカーボン焼き付けを起こしてパニックになったりしたが、慣れてくると楽しい作業でもあったし、何よりもギャラが発生することが嬉しかった。この画像はネットで探して借用したものだが、とにかく写真に辿り着くまでが大変だった。なにしろカーボン=照明という図式は失われているわけだから、その検索語だけでは見つからないのだ。カーボンの棒がカーボンロッドと判明してからいくつかのページが現れたのだ。この形式の照明は70年代初期まで使われていたらしい。まさに昭和のものだ。何だかんだで半世紀前の話だから、それだけ歳も食ったというか、懐かしさにも年季が入っているなあと思う次第。

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