☆☆☆

音楽家


 昨夜は横浜でのライブで、山あり谷ありの展開が面白く、吹ける楽しさは充分に味わったわけだが、終わってから少々面倒な事になった。ピアニストの大石氏は全体のルーズなサウンド傾向というものに業を煮やし、次からはデュオでやりたいと言い出した。原因はドラムの音量がでかくなり過ぎて繊細な部分が消し飛んだこと、そもそもリズムの捉え方の違いに疑問を感じていたことなどだ。ま、それは分り過ぎるほど分かる。しかしながら聴いてくれる人たちがそこまで聴き分けているはずもない。もちろん、より良くサウンドするものを聴いて比較すれば誰にだって分かるが、そこが難しいところだ。トランペット奏者は幾つかの曲でソロに困っている様子が見てとれた。収拾がつかないそういったソロというものは長くなる。こういった展開は奏者に間々起きる。ようするに聞こえてないものを演奏しようとするのだ。見えているものだけを拾って演奏するという行為は、これがなかなか難しく、何とか格好つけなきゃという焦りも加わってぬかるみに落ちたりする。ま、駆け出しの若いころに散々経験した流れだ。アドリブのソロをすることに際しては、相当な訓練を必要とすることは当たり前のことだ。その訓練も様々なアプローチがある。誰か有名な人のソロの断片を覚えて再構築するとか、ただただ教則本的な訓練を続けるとか、知っていること以上の演奏を望まない流れとか。たゆまぬ訓練は和声の流れ、いわゆるコードの説明をする展開になりがちだ。いかに巧くコードの説明するかに汲々とするというのが案外多い。それはクールな展開ではない。実のところそのようなソロは面白くない。魅力的なソロは和声の上部に聞こえる音から作られるメロディだ。ある楽曲の全てのコードの流れを16分音符で表現する訓練、それはメカニカルなもので実際のソロに役に立つものかどうかはさて置き、手も足も出ない状況では先はない。本当はそこが出発点でもあって、そこから創造という大きな壁に向かって歩を進めることになる。そこからが楽しいことなのだ。それが見えて初めて音楽する楽しさが分かってくるわけだ。それは引っ叩くことだけで演奏を完遂しようとするドラムの場合も同じことで、全体の流れを聴かずただただ打音を送り続ける場合は、音楽的な展開からはほど遠い。上手に叩くことが目的ではなく、音楽的な演奏家を目指すことが大切なのだ。もちろん、そのような立ち位置に身を置くには楽器のマスターがもっとも重要で欠かせない。そういう自分だってまだまだ成長過程にあるわけだから大したことは言えないのだが、導くことも頑張らねばと考える。むかし、60年代に来日したアート・ブレイキーのバンドのサックス奏者ウェイン・ショーターについて、それを聴いた武満徹さんはこう仰った。「彼は・・・・素晴らしい音楽家だったなあ」

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