☆☆☆

ジェイクさん


 スタジオ・ミュージシャンとして活動していた時期、サックス奏者として君臨していたともいえるジェイクさん(ジェイク・コンセプション)の存在は高くそびえ立つ壁のようなものだった。年代的には一回り上の世代で、僕がこの業界に足を踏み入れた頃には押しも押されもせぬ第一人者として誰もが認める存在だった。抜群のセンスで多くの楽曲の間奏のソロを録音された。
 スタジオ・ミュージシャンとして仕事は、CMの録音から始まった。新人はそこで力を試されるような風潮があった。そこから劇伴に移り、その後歌手のレコーディングなどにつながるというのがだいたいの流れだった。もっとも、僕の場合は20代の終わり頃から幾つかの歌手の間奏ソロで仕事はしていたのだが、生意気盛りでもあったし、業界のしきたりを無視するような言動もあって馴染めぬままに退いていた。数年後にホーンスペクトラムのレコーディングに参加するようになって、やっとスタジオ・ミュージシャンとして正しく歩き始めたといえる。
 もちろんジェイクさんをライバルだなどと思っていたわけでもないが、同じサック奏者として覇を競う立場であったことは間違いなかった。当時のジェイクさんはトランペットの数原さん、トロンボーンの新井さん(チャンピオンと呼ばれていた)と組んで鉄壁のホーンセクションとして知られていた。そのセクションにテナー奏者として参加した日のことを覚えている。曲は途中からアッチェレランドして行く箇所もあり、合わせるのが困難を極めた。しかもニュアンスが微妙で一度やっただけでは把握しきれなかった。そこで、恐る恐るジェイクさんに訊いた。「ここはどうやって?」するとジェイクさんは数原さんの方を指し、彼に合わせろというようなことだった。ようするに聞いて判断しろってわけだ。「げっ、厳しいな」と思ったことは言うまでもない。そのセクションでの仕事はいくつか続いた。ある日はセクションが終わった後、コンソールルームから「テナーだけ残って下さい。ソロがあります」と指示があった。ジェイクさんを差し置いてソロだ。たまたまテナーのソロが必要だったわけだが、あまりありがたい展開ではなかった。みんながスタジオから出てしばらくしてソロの録音が始まった。いくつかのテイクを録りプレイバックしているときに気付いた。スタジオの大きな扉の端にジェイクさんの足が見えたのだ。新人とは言え、同じサックス奏者のソロがどんなものか聴いていたに違いなかった。「怖っ」ってなものだった。



 写真はネット上から拝借したものだが、このように穏やかな表情を見た記憶はない。恐ろしいほどの厳しさを放ちながらサックスを手にしている姿しか思い浮かばないのだ。やがてジェイクさんとの仕事をする機会はほとんどなくなり、別のエリアで活動を続けることになっていった。取り入って仲間にして頂くというようなことは考えもしなかったし、たまにスタジオですれ違うことがあっても挨拶程度だった。ずいぶん後になって、久し振りにジェイクさんのサックスセクションで吹く機会があった。その時、ジェイクさんは「俺のセクションを手伝わないか」と声をかけてくれ、即座に快諾したのだが、結局は一緒に演奏する機会は訪れず、そのままになってしまった。最後にお会いしたのがいつだったかは覚えていない。たしかビクターのスタジオでソロ入れに来ていらしたはずだ。隣のスタジオで仕事をしていたが、仕事が終わってスタジオを出ると、すでにお帰りになった後だった。少しは認めてくれていたらしく「あいつは自分の音を持っているし、それが大事なんだ」というような言葉を人伝てに聞いた。

 彼は1959年23才の時にフィリピンから来日して活動を始められたそうだが、その若い時期を知る方から話を伺ったことがあった。後にビクターのインペクとして仕事をされたトロンボーン奏者の野々村直造さんは、オーケストラの一員としてご一緒されていた時期、あまりにも生意気な若造だったので呼び出して殴ったそうだ。「決闘を申し込んだんだよ」ということだったが、野々村さんは、確か武道の達人でもあって敵うわけもない。それで、その当時のジェイクさんの腕前を訊くと「ああ、それは抜群でさ」ということだった。

 直接の指導を受けたわけでもないが、仕事の現場で学んだという意味では、師匠だと認識していた。そのジェイクさんが先週亡くなったとの知らせを受けた。詳細は不明だが81才だった。
 大きな一つの時代が幕を下ろしたと痛感する。

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ハンカチ


 デパートでもどこでも、近ごろの公衆トイレには洗った手を入れれば温風が吹き出す乾燥機が置かれていることが多い。手を拭くものをお持ちでない方も用を足した後は手を洗いましょう、ってな無言の指導とも思える。



 しかしながら、実際にこのようなものが頻繁に活用されているかといえばそうでもない。それは銘々がハンカチを取り出して拭くからではなく、だいたい8割ぐらいの人が手を洗わずに出て行くのだ。中には指先だけをチョッチョッと濡らし、手を振りつつ水滴を落としながら出て行く人もいるが、彼の中では義理を果たしたような気分らしい。手を洗う行為そのものが法に定められているわけもなく、それは自由なんだけど、ウヤムヤな日常の行動の一コマであることは間違いない。時々、そのような人たちを追っかけて「きみさ、手を洗わないで出て来たでしょう。きったねえなあ」などと咎め立てしたとしたらどんな反応を示すのだろうと思う。やらないけど。
 それは、まあ、もちろん、自分が若いころにハンカチなるものを常備していたかと思い起こせば、どうだったかなあと曖昧な返事になるのは確かだが。

 ハンカチがいつもポケットに入っているようになった切っ掛けがある。30代半ば頃からやたらツアーの仕事が増えた。地方都市に出かけて演奏するだけのことで、どこに行ったとしても記憶に残るのは空港、駅、会館とホテルの毎日でしかなかった。観光に行くわけでもないから、街の様子などは公演終了後に繰り出す夜の一部分しか知らないし、名所旧跡などはほとんど知らないといってもいい。その繰り返しで次第に煮詰まってくる。どの会館のステージも上がってしまえば同じだし、暗い客席に向かって演奏していることに違いはない。そんなある日、公演前に街に出る機会があって、持ってくるのを忘れていたハンカチをついでに買ってきたことがあった。新しいハンカチをポケットに忍ばせるだけのことなんだが、これが非常に新鮮で案配いいことに気付いたのだ。それ以来、新しいハンカチは欠かせないものになった。毎日、新しいハンカチをポケットに入れてステージに上がった。ツアーが30本あれば30枚のハンカチを用意するだけで、気分を変えてステージに上がれるようになった。ステージの数だけ増え続け、夥しい数のハンカチの所有者となった。気分を変えるだけのもので、決して奇麗好きとかいうものでもなかったが、そのようなことで煮詰まり気味の気分を一新したりしていた。

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気が早い算段



 気が付くと12月ってな案配で一年の速いこと速いこと、一日の長さは同じはずなのに年毎にスピードアップしているような思える。何もしなかったわけでもなく、一挙に新曲を10曲近くこさえる荒技もやってみたりした。力が入り過ぎ、見事にコケたりして、そのダメージの回復に思ったより時間がかかったが、なんと復活の目処だけは立てた。その目処にしても一時は白紙撤回しようと考えたりした。横浜方面は相性が悪いらしく集客に苦労することが多いものだから、少し弱気になったりしたわけだ。ピアノの大石氏は「そろそろ、どう?」と声をかけてくれたりしたが、もう一度違うメンバーでの音出しにチャレンジすることにした。決してマゾなどというおぞましいものではないが、自分を窮地に追い込んでハラハラするのが好きな性分らしい。以前もうまく行くかどうかは五分五分の無謀なデュオを頭に持ってきたりした。リスキーなことから始めることによって、いやが上にも集中力を高めるってな算段で、危ない賭けのようなものだった。もっとも痺れたのは歌とデュオでバッハをやった時。二声で織りなす優美な世界のつもりだったが、演奏側も聴く側も緊張していたらしく、終わると客席からホーッと安堵のため息が漏れた。
 一月のライブはいくぶんシンプルな曲を増やしてメンバーがノビノビと演奏できるように計らい、4月に大石氏とのクァルテットにつなぐことを予定している。また好き放題に曲が作れるわけだ。

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顛末


 先日のライブのドタバタ振り、ほとぼりも幾分冷めたところで何が起こったかを検証というか、少々愚痴めいた話でもあるが、もやもやと気の晴れない事態だったがゆえに書き記すことにした。
 まず、リハーサルの時点で、ベーシストは譜面をそれまで検討していなかったようで、初見に近かったのではないかと思われた。油断があったのかもしれない。少し蒼ざめた様子にも見えていたから気にはなっていたのだが、全体をリハーサルしなければいけない状況では個々に構っている暇はない。で、本番の2日前に電話があり、そこで初めてデモテープを聞いた事が分かった。たぶん、その状態では相当な重荷を感じていたかと思われる。  そこに至るまでに、いくつかの手は打っていた。初めての顔合わせというものには思わぬリスクが付きまとう。それで、リハーサルを1週間を置いて2回に別けて行なう段取りにした。最初のリハーサルで判断しようとする狙いがあった。バンドの音は一音聞けばすべてが分かるから、そこでダメならすべてを白紙に戻し、気心の知れた面子で切り抜ける策だった。しかし、これはベーシストの意向で拒否され、退路を断つことになった。リハーサルの時点でいくつかの危惧はあったが、退路を断ってしまった以上後には引けなかった。で、2日前の電話では「なんとか善処する」という確約もあって、任せるしかないと判断した。
 さて、当日。初っぱなの曲から弾けていなかった。いったい何が起こったのかと耳を疑うようなぎごちないサウンドが聞こえた。先導したドラムも困惑の表情だった。これはラインが落ち着くまで放置するしかなかった。しかし、キーボード奏者は対処できず、自分のパートを弾き始めた。サウンドはガタガタになり、何も改善されぬままに過ぎ、2曲目も同様に続いた。もはや素人バンドと言えた。で、エキストラで用意していた簡単な曲で安定を図ることにした。ま、安定はしなかった。キーボード奏者は焦りからか怒りからか無闇矢鱈と弾き続け、無神経なバッキングに終始するような案配だった。手は尽くしてみたが、吹き辛いというより、ほとんど障害物競走のような状況で1セットを終えた。ま、20代のピットイン時代からライブステージは数多く経験しているが、ワーストと断言できる代物だった。で、まさか一人に向かっていうのも憚られ、みんなに向けて注意を促した。すると、キーボード奏者が「こんな譜面では出来ねえ」とキレたのだ。こちらとしては、おまえがキレてんじゃねよ、ってな話だったが、営業中の店の中で大声でキレる神経は只事ではなく、話し合いですむようなレベルではなかった。で、少し落ち着いたところでキーボード奏者に帰る選択肢を与えた。こちらとしては2人の面倒なサウンドを我慢するのには限界があったし、コードレスにする方が楽だと判断した。結果的にはキレてくれてありがとうってな展開だったわけだ。ライブは、常にこれが最後かもしれないと思って臨んでいるわけだが、あの1回目のステージが最後では悲し過ぎる。で、より良い結果を求めての判断だった。
 ベーシストはいないものと考えて演奏するのは辛いものもあったが、少なくともステージ上には平和が訪れた。2部はすべての曲でドラム、ボイスパーカッションとトリオで演奏しているようなものだった。ま、安易な人選が災いしたわけだが、この歳になって、あの試練は何だったのかと考えてしまう。ベーシストは「オレは歳だから」と何度も言う。しかし、私より五つも若いのだ。何を言ってやがるってなものだ。

 そこで、自分の弱さというか甘さも痛感することになった。実際、演奏活動を続けるにあたって、バンドのメンバーなど誰でもいいという考えもあった。自分さえしっかりしていれば何とかなるというように楽観的な見通しだった。それは間違っていないと考えるが、不測の事態も許容量を超えてしまうと対処できないことを知った。人選の際に認知症の危険も考慮しなければいけないってのもありがたくない。
 で、出来事を天啓のようなものだと感じた。何か最後に考えを改めるところがあるらしいと気付いたわけだ。いま、この時点で活動を続けるだけのためならば、依頼できる演奏家は何人もいるが、それでは以前の繰り返しになってしまう。もっと新しくディープな地点に辿り着きたいと考えているわけだが、それは夢物語かも知れず、もちろん再開の目処も立てていない。

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図らずも


 久々のライブはとんでもないドタバタで始まった。たしか、3日ほど前に5時間ほどリハーサルをしたはずだが、それが無かったかのごとく、ぎごちないサウンドで始まってしまった。そういう場合、サウンドに関わる部分で単音楽器は無力に近い。こりゃ,大変なことになった、ってな感じで2曲目までが過ぎた。コードが違うところに飛ぶ現象も頻発して為す術もなし。で、急遽曲を入れ替えることになった。入れ替えるだけでなく、ボイスパーカッションのフリーなソロに持ち込み、そこにサックスだけが絡んでなんとか体裁を取り繕うという手段で乗り切ろうとした。その部分がキーボード奏者には気に入らなかったらしく、何をやっているのか分からないなどと言う。他の楽器を参加させない強行手段だったわけで、その部分はフリーなスペースだ。で、リハーサルのことなど忘れたなどと言い出すに及んで、お帰り願うことにした。
 で、2部はコードレスの編成でやることになった。少々根性が必要だったが、これは自由で楽しく吹けた。結果的には人選ミスであって、誰が悪いという問題でもないが、少々甘く見ていたのではないかという疑念は残った。というか結局は付いてこれなかっただけのような気もしているわけだ。1部に関して言えば、今まで経験したことのない残念なライブ・ステージだった。

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