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Embraceable You


 ジャズの雑誌として有名なダウンビート誌を、ついこないだまで10年近く購読していたが、次第に置き場所に困るようになり、デジタル版に変えた。最初にこの雑誌を買ったのは博多にいるころだった。今でも70ページぐらいだが、当時は薄っぺらい40ページほどのものだった。しかし、その頼りないページ数にも関わらず、アメリカのジャズ界で何が起きているのか知ることの出来る貴重な情報源だった。ミュージシャンのインタビュー記事も豊富で、辞書を片手に読解しようと必死だった。雑誌にはジャズを学ぶ人のための講座のコーナーがあって、ソロのコピー譜が掲載されることも多かった。



 チャーリー・パーカーの「Embraceable You」は1970年の4月号に掲載された。まだPCなど普及していない時代だから、ミュージシャンが採譜した手書きの譜面だった。 ソロコピーは自分でもずいぶんやったが、速いパッセージを採譜するのは大変で、恐ろしいほどの忍耐力を求められた。


 情報の少ない時代だから、このようなコピー譜はありがたいものだった。キーはinCで書かれているからアルト用に移調して書き写した。パーカーはEmbraceable Youを何度も録音していて、それぞれに素晴らしいが、このテイクは名演の誉れ高いものだった。



 久々にこれを聴き、「ああ、そうだよな、そうだったよな」と感慨深かった。ビ・バップのスタイルは上京してから就いた菊地師匠に2年間ほど叩き込まれた。基本的なパッセージを全てのキーで吹けるようになるというようなことだ。しかし、そのように訓練されたことは入り口に過ぎず、その基本からいかに発展させて自分のラインを作るかが要だった。それがむつかしい。誰かに就いて習っていると、様々な断片を繋ぎ合わせることに腐心するようになってしまうのだ。ソロを格好がつくように構築するにはそれが早道であって、それを始めると自分の想像力をかき立てるということをしなくなるわけだ。このパーカーのソロは元のメロディの断片も僅かで、彼自身のアイデアが詰め込まれている。見事に自分の歌としてのインプロヴィゼイションで、彼独自の世界が紡がれている。アドリブ・ソロは油断しているとフレーズだけを追い求めるようになり、自分の歌を作り上げるということから遠ざかってしまう。あーあ、この原点の気分を忘れかけていたかもしれないと反省しきり。改めてパーカーの偉大さをシミジミと聴いてしまったのだ。

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リペアー


 今日はテナーのオーバーホール、いわゆる全タンポ、バネ、フェルト交換するリペアーに出すために久々に新大久保の高橋楽器へ。昨日の内に出したかったのだが、この付近の日曜日は恐ろしく混雑するので今日に変えた。韓流の街としての勢いはまだ続いていて、月曜日でも人通りは多い。昔は歩いている人もまばらで静かなものだったが、やたら若い女の子が目立つ。ヨンさまに端を発したブームは形を変えて今も続いているらしい。街が賑わうのは結構なことだが、駐車場の問題をなんとかして欲しい。今ほど厳しくなかったころは大久保通りに路駐して楽器を出すぐらいは簡単にできた。しかし、今はほんの5分ほどでも油断できない。それでコインパーキングの利用と相成るが、20分300円はありがたくない。小走りで楽器を届け、中走りで戻るってな案配だ。



 ここの店主はほぼ同年代だが、最初に来たときは先代の時代だったし、彼がいた記憶がない。たぶん、後継ぎとして働き始めたのは何年か先のことだったように覚えている。それで、今でも彼を高橋楽器の兄ちゃんとして見ていたわけだ。しかし、今日「あたしもね、来年古希の大台ですよ」と言うと、息子である職人が「うちの親父はついこないだ70になりましたよ」などと返ってきて驚いた。そうか、もう兄ちゃんでもなんでもなく、先代と並ぶオヤジさんで間違いないのだ。最初にこの店に来たのが二十歳の時で、その時の先代が40代後半かというところだったと思われる。あれから50年が経ってしまっているわけだ。知らない内に、というか知ってはいたが数えない内に。全ての楽器のリペアーはここでやってもらっていて、他の店に出したことは一度しかない。定休日で都合がつかず違う店に出したが、なんだかしっくり行かなかった。全幅の信頼を置いていると言ってもよく、ここでリペアーしてうまく鳴らなかった場合は吹き手に問題があるのだと思っているのだ。
 オーバーホールの後は少々響きが変わる。というのもあちこちの不都合を技術的にカバーして鳴らしていたわけだから、奏者側が是正を余儀なくされるのだ。クラシック界では名の売れた奏者が「あたしなんざ、もう何年もタンポ交換などしたことがないですよ。ほら、手に汗をかく体質じゃないから金属が傷むのも少ないし、第一ね、そんなに無茶な吹き方していなければ、楽器ってのは案外鳴るもんですよ」と曰い、「えっ、そうですか」と目を丸くして驚いたことがあったが、そんな強者だっているのだ。ただ、微細なものでもどこかから息が漏れる、ようするにどこかのキーのパッドがずれて洩れている場合は、全キーを押さえた最低音が鳴りにくくなる。先日のライブで「こりゃあ、限界かな」という瞬間があった。それで、今日の駆け込みになったわけだ。その修理代金だが、ま、だいたい、その10万円前後かかる。オーバーホールでなくとも、年一度微調整に出す毎にその半分はかかるから、楽器が多いとしかめっ面にもなろうというものなのだ。

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横浜ライブ


 「ヘイ・ジョー」に駆けつけて頂いた方々には、深く感謝する次第です。
 
 久々のライブで疲れたというか、疲労困憊というのに近い。初めての面子だから仕方ないが、平和なサウンドを得るために、あれこれと注文を付けるだけでもエネルギー消費量は高い。



 しかも例によって全体の音量がとてつもなくでかい。何度注意を喚起しても大きくなってしまうから、彼らにとっては自然なことらしい。まるでドラムの伴奏をしているような状況に陥り、遠い昔に散々やったブローをする羽目になった。ま、避けたい展開だが仕方ない。忌ま忌ましいことに、大きな音でブローすると新たな発想などは浮かばない。バンド全体が叫んでいるようで、会話とは程遠く、言ってみれば皆でお互いに邪魔しつつ演奏しているようなものだ。しかしながら、そのようなやり方がライブハウスの日常と化している。もちろん良い情況ではないが、それは一人や二人の力で変えられるものでもないし、日本の現状はそのようなものだと言って差し支えない。例えば、タワー・オブ・パワーのリハーサルが目の前で行なわれている際、横の人と会話できると聞いた事がある。PAを通していない彼らの演奏は生音で見事にバランスが取れているのだ。それはロックのディープ・パープルなどでもステージ上は静かで会話が成り立つのだ。PAを通した彼らの演奏を聴いて、ロックは音がでかいものだと思ったらとんでもなく、ブレッカーとマイニエリのステップス・アヘッドのライブだってステージ上は恐ろしいほど静かだったという。
 日本でのライブのやり方が爆音系に傾いていった流れは、小さなライブハウスでも演奏者それれぞれの側にモニタースピーカーを置き、生音でバランスを取る重要性に気付かず、それで良しとしてしまった事にある。誰もが心置きなく大きな音で喚くことが可能になり、それを変だと思わなかったわけだ。アンサンブルという核の部分が無視され、お互いに聞き合って注意深く作り上げる過程がなくなった。皆で喚いてどうするんだってな話だ。
 次のライブではPA無しの演奏にチャレンジすることを考えている。小さな音で表現するのは難しい。よほどしっかり演奏できていなければ粗が全部見えてしまう。それが怖くて誰もが爆音に向かい。無駄で余計なフィギュアをそこら中に鏤める。静寂が怖くて余計な音で埋めてしまうのだ。
 ライブで演奏する際、一音一音が誰かの心に届くことを望んでいる。青臭い言い方に聞こえるかもしれないが、それしかない。そりゃあ、ま、爆音で皆を驚かせるというか、ねじ伏せるのも悪くないかもしれないし、「上手いなあ」と感嘆させるのも楽しいかもしれない。しかしながら伝えたいことがそれだけではあまりにも寂しいと考える。
 昨夜は宮地利治を偲んで「The Very Thought of You」を演奏した。この時だけは静かな瞬間が訪れた。あれは宮地の力に違いない。

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お復習いと歯痛


 突然歯周辺の痛みを感じた。次にやって来たのが歯茎の腫れ。「えっ、えっ、なんだよ」なんだけど、たいした痛みがあるわけでもない。しばらく様子を見るかと考えていたら、少々酷いことになってきた。あわててかかりつけの歯医者に電話。治療は予約制でなかなか時間が取れないから、とりあえず抗生物質だけ処方してもらうことにした。


 楽器が吹けないほどの痛みなどはないが、少々吹き辛い。夕刻には図の青い部分のように腫れ上がって容貌に変化が現れた。「ゲゲゲッ」なんだが仕方ない。抗生剤は効き目が出るまでに3日ほどを要するわけで、ライブぎりぎりの展開にやきもきする。ここ数日は一日中楽器に向かっていた。それこそ一日10時間では収まらない。そういった根を詰めることもストレスとなり、歯痛などを引き起こしたりするらしい。
 演奏家として曖昧にしてしまっている部分というものは限りなくある。歳を取る毎に、その曖昧な部分をなんとか克服しようと躍起になる。元々曖昧になってしまっている部分だから、これだという解答はない。これもある、あれもあるというような情況だ。即興で何かを表現するということに底はない。手っ取り早いのは、若いときの誰もがそうであるように、誰かのやったことを頂く手だ。パーカーのやったことマイルスのやったこと、なんでもいい。それら結果が出ていることを頂いてしまえば、なんとか格好がつく。で、若くない。そんなことは憚られる。あれもある、これもあるを全部復習ってしまうしかない。恐ろしく時間のかかる作業で、没頭したくなくとも試してみるしかない。ヴァイオリンの尾花氏は1小節を500回繰り返して復習えばほとんどのことが出きるようになると言った。彼の場合は「正」の字をその都度書いたという。「正」が100個になるまで繰り返したらしい。しかしながら、これが即興で、となると500回というものではなくなる。どこにでも行けるように復習うわけだから無限に近い。しかも、本番ではそれらを一切忘れて、無から始めることになる。自由を獲得する道は遠いのだ。ま、なんだ、体にガタも来るわけだ。

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リハーサル一回目



 ライブに備えるリハーサルとしては、ほぼ半年振り。27才から68才までが集って音を出す。やはり若手の爆音系を抑えるために少々時間を食った。音がでかいバンドだとみんなでワーワーやっていれば何とか格好が付いているような気もするが、静かなアンサンブルだと音を出すのが怖くなる。その緊張感を教えたいわけだ。なぜ怖くなるかというと、一つのフレーズがちゃんと弾けていないことが明らかになるというか、だいたいバレてしまう。バンマスの言い分としては「音圧で誤魔化そうたって、そうは行かないぜ」ってなところだ。理想はささやくようなウィスパー・トーンで表現できることにある。ま、それには何十年もかかったりするのだ。

 6人もメンバーがいると、思いも寄らぬトラブルが起きる。今日はピアニストだった。時間が過ぎても現れない。律義なヤツだから、きっと渋滞にでも捕まっているに違いないと、先にピアノ抜きでリハーサルを始めた。30分以上経って電話が入った。お巡りと揉めているという。えっ、渋滞じゃなくてお巡りに捕まっているのかってな話だ。後で詳しく話を聞くと、スマホ片手に運転していたと嫌疑をかけられたという。停車してハンドルの上にスマホを置き、地図を確認したりしていたらしい。少し走ってまた停めてということを繰り返していたわけだ。それを携帯を使いつつ運転したと見咎めた警官は自転車で追っかけてきて、窓を叩いて停止させ切符を切ると言い出した。若宮君の主張では、あくまでも画面を見ていたのは停車中であり運転中には見ていないと抗議した。決して通話をしていたわけではないから判断は微妙だ。だいたいナビを見る分には問題がなく、携帯の画面だと咎めるってのも妙な話には違いない。携帯電話を使用していたことだけが問題になっている。さて、猛抗議を受けて警官は援軍を呼んだ。パトカーも駆けつけ、赤色灯に囲まれつつも抗議は続いた。彼はリハーサルがなければ一日中だって抗議して切符にはサインしなかったと曰う。それほど怒髪天を衝く状態。しかし、このままではリハーサル無しになってしまうってんで渋々サインをしたと、それはそれは悔しそうに言うのだ。もちろん非を咎めたお巡りがそれを覆すことはない。行司は差し違えってものがあったりするけど、彼らにはそういうシステムがない。経験から言えば、彼ら警官は咎め立てした時点で、自分の意見での罪状を認めることを強要する。多くの冤罪はそのようなことから発生するともいえる。覆せないから押し通すわけだ。今日の件に関しては災難だったというしかない。

 さて、リハーサル。4時間や5時間で辿り着くところがパーフェクトであるわけもない。この先幾度できるかは分からないが、より良いところに皆が進んでいくことを期待しつつ、リーダーというものはパワーが必要だなあと痛感する次第。しかしながら、ドタバタしつつも、この初期の状態が圧倒的に楽しい過程であることは確かなのだ。

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