☆☆☆

狂気ではないけれど


 終わりではないが、3曲を形にしたところで一段落。つかの間の休憩といったところ。近所の花自慢オヤジさんの庭にも目が行くようになった。


 砂を噛むような気分だったものが、少しは潤いというものを感じるようになったわけだ。ま、油断はできないわけだが。曲を作る時は、沸いたイメージを次々とパソコン上のファイルとして残していく。キーボードを弾いてメモをする感覚だが、少々の音のミスなどは気にせずにファイルを保存し続ける。仕上げは後回しで、新しい思いつきが優先される。新しい発想を求めて彷徨い続けるという方が近い。「なんだこれ」とガッカリするものも数多く残る。というか、そっちの方が多い。あまりにもファイルが増え過ぎたところで整理する。可能性のあるものをいくつか残し、これ以上の発展は望めないというものを消去する。そんなことを5時間ぶっ通しでやったりすることが、ほぼクレイジーな作業であることは間違いない。可能性のあるものが出来たとしても、どこか「もっといいもの」を期待する欲求の方が勝っていてなかなか着地できない。
 昨夜、思いついた一つのフレーズがいきなり形になって曲としての体裁が見えた。それが2曲続いた。そこで、気になっていたファイルまで仕上げてみた。3曲になった。仕上げる予定のものが5曲ほどあるから、なんとかなりそうだってな気分になったわけだ。と言いつつも、新しいものを求める気分は抑えがたくあるわけだが、それは止められない。
 こんな作業はとにかくパワーが必要だということを痛感する次第。辛いことでもあって、それを知っているからなかなか腰を上げないことになる。先日、合間を縫ってヴォイスパーカッションの方と個別のリハーサルをやってみたが、ヴォイスパーカッションの限界も見えて、ドラムの援軍を要請することになった。で、思うのは、作る方も大変だが、その譜面を見せられてこちらの意図を計りつつ音を出す共演者も大変だということだ。作る時はそんなことなどまったく気にしていないわけだから、ま、ある意味迷惑だろうと察することができる。
 しかしながら、この人騒がせな作業こそがミュージシャンとして生きることを決めた動機であることは確かなのだ。

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ラストラン


 久々の更新は、まず食い物の話。今年はバジルの鉢植えがさらに増えた。大量のバジルソースができることは間違いなく、毎年恒例の、中華街に走って松の実を大量に購入する日が待ち遠しかったりするわけだ。



 曲作りの日々は続いているが、スムースにはかどっているとは言いがたい。それは老いた脳味噌をかき混ぜるような作業であるからほとんど闘いに近い。なんとなく予感はあったものの、もう少しは楽かと期待していた。もちろん断片はいくつも浮かび、それを仕上げていくわけだが、なかなか合格点には達しない。判断は何らかの閃きがあるかどうかで決める。20年前の楽曲にはあったものが、今はなかなか出てこない。それが歳を食ったせいだということは認めたくないものの、そうなんだろうなと気付かざるを得ないってな状況だから仕方ない。
 近年は周りにいた後輩が次々を姿を消していく。ギターの鳴海氏が数年前に亡くなっていたことを知ったのは2ヶ月ほど前だが、そのショックは日を追う毎にじわじわと突き刺さってきた。付き合いはなくなっていたとはいえ、一時はかなり頻繁に交流があったから色々な出来事が後から後から思い出され、いなくなった重みのようなものを感じるようになった。彼が参加したツアーにはドラムの青山氏もいたし、バックコーラスにはシンディもいた。3人が控室で顔を揃えたこともあったに違いない。その3人が消えてしまったという現実がのしかかる。だからと言って彼らの分も頑張ろうなどというものではなく、ただ死を待つだけの先の展開など真っ平だし、もう一度原点に戻って立ち向かってみようと考えるようになった。そこから創作活動を本格的に再開することになった。
 鍵盤の上にすべてはあって、それはとてもシンプルなことなのだが、なかなか手が届かないもどかしさに苛立ちつつ、ああでもないこうでもないと苦戦することに幾分慣れた。出来上がるものが誰にでも受け入れられるかどうかは知らないが、自分の聞きたいものを作るってな話だ。若造のようなことを言っているわけだが、まだ助けてくれるミュージシャンがいて、今をおいて最後のチャレンジに向かう好機はないと考えているわけだ。

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びーた(旅のバンド語)


 夜桜。ま、花が少ないと不気味でしかない。むかし見た菅原文太主演の映画「山口組外伝 九州進攻作戦」のせいで、夜桜というと夜桜銀次の名が真っ先に浮かぶ。ま、普通にヤクザ映画だったわけだが、夜桜の墨を入れていたらしい。



 わが愚息が幼いころ、頻繁にコンサートツアーに出かけていた。多くの歌手の方々のバックバンドの一員として仕事をしていたわけだ。出かけるたびにその土地のキーホルダーをお土産として買ってきていた。兜とか城のものが多かった。たぶん百コ以上は持っていると思う。大切にしているらしく、いつぞやキーホルダー余っているのはないかと聞いたところ、兜とか城ではなく自転車屋でもらったとかいうたいそう粗末なものをくれた。
 しかしながら、彼がコンサートをのぞきに来たのは一、二度しかない。一度目に来たのは初期のRCサクセションの大学祭での演奏だった。大音響で繰り広げられるステージの様子はそれなりにインパクトがあったらしく、ロックンロールというものがお気に入りになった。せがまれて横浜銀蝿のシングル盤を買ったくらいだ。ロックンロールと言えなくて、しばらくはドッジローンと言っていたが。もう一度は中野サンプラザでの山下さんのステージだったかと思う。その後、また違う歌手のコンサートに来るかと誘ったら、「誰だか歌手のさ、後でプープカ吹くだけだろ」と軽く断られて笑ってしまった。ま、仰る通りであって、こちらとしても仕事であり、演奏する喜びはあったにせよ、毎日同じようなことを繰り返すことが楽しかったと言えば嘘になる。ツアーでは長い時は一週間ほど出たっきりになることもあった。旅先でオフ日があったりするのだ。名古屋で3日間というのがあって、2日やって一日空くというパターンだ。その場合、自己負担であれば帰ってもよしというルールもあった。その場合はためらわずに帰るのがお勧めだった。ホテルと会場の往き来だけの生活は案外疲れるもので、5日も続けば気分は澱んでくるのだ。その気分のまま旅先でのオフ日というのは、さして何かやることがあるわけでもなし、唯々暇をつぶす算段だけで一日をつぶすことになる。で、気分転換のために一度帰京するわけだ。で、次の日の会場の入り時間に合わせてまた来ればいいのだけど、帰った人たちはなんとなく顔つきがリフレッシュされるらしい。その顔つきを見て、いささか疲れ気味のドラムの青ちゃんが「あ。やっぱりオレも帰ればよかった」と残念そうに言ったことをよく覚えている。

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明暗


 今日、また昔の演奏仲間のギタリストが亡くなっていたことを知らされた。一昨年の夏に亡くなっていたという。ツアーでご一緒したこともあるし、製作に関わっていた録音に呼ばれたこともあった。ミュージシャンの付き合いというものは前後の脈絡などなく、たまたま仕事の現場で一緒になってというところから始まる。意気投合すればライブなどもやったりするが、それにしても仕事の現場が変わりそれぞれが違う道を歩き出せば、次第にフェイドアウトしていくことがほとんどだ。



 そのギタリストの場合も例外でなく、会わなくなって10年以上過ぎていた。昨日の新宿御苑でその景色のコントラストに目を見張り、思わず撮った写真が上のものだ。暗い木立の隙間から見える明るい桜と人々の姿。人生斯の如しというか、人の脳裏に刻まれるある時の映像というものはこのようなものではなないかと思わせられたわけだ。それぞれの景色に繋がりはなく、次の木立の隙間からはまた違う瞬間が見えるのだ。



 記憶を探れば、ディテールが見えるかも知れないが、だいたいはボンヤリしたものでしかない。なにせそのような映像は歳を喰えば喰うほど増えていき、誰もがそのような記憶を抱えて生きることになるわけだ。今日の知らせを聞き、この記憶の一断面が見えたような気がした。

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Farewell


 ここ数年、訃報を遅れて知ることが多い。ドラムの青山氏、ギターの松原氏もそうだし、ラジオから流れた古沢良治郎さんの音楽を聞き、曲終わりで司会者が「亡くなられた古沢さんの・・・」と言うのを聞いて驚いたこともある。菊地 雅章さんが亡くなったことを知ったのは一年ほど後の事だった。



 今日はピアニストの辛島文雄さんの訃報を知った。2月24日にすい臓ガンで亡くなられたという。九州大学在学中から演奏活動を始め、知りあったころはジョージ大塚さんのグループで活躍されていた。年齢的には一つ先輩にあたる。誰が運転していたか、いつだったかも覚えていないが、一緒の車に乗り合って帰ったことを覚えている。辛島さんはコアなジャズ・ミュージシャンであって、その後エルヴィン・ジョーンズのグループにも参加されたし、スタジオ・ミュージシャンとして生きるこちらとは接点はほとんどなく、新宿ピットイン時代から疎遠のまま月日が過ぎた。音楽的にも厳しい方という印象で、特に何かを言われたというものでもないが、どちらかといえば怖い存在だった。しかしながら、新宿ピットイン時代に知りあった方々というものは、同じ釜の飯を食った的な戦友意識というものがどこかに残っていて、ま、なんとなく遠巻きに見ているような案配だった。
 スタジオミュージシャンたちが集まって六本木のピットインで、今で言えばフュージョン系のライブをやっていた時期があった。グローヴァー・ワシントンJrの「ワインライト」の頃だ。何かの曲でソロをして終わり、客席の方を見ると、後で立って見ていた人が通路をズカズカと歩いてステージに向かってくる。すぐ気付いた。辛島さんだった。こちらとしては何かお小言でも言われるのかと構えていると、すぐ目の前まで来て「おまえ、今のソロよかったよ。いや、ほんとうだよ。」と褒め言葉を投げ掛けられて呆気にとられたことがあった。それが最後だったような気がする。ずいぶん昔の話だ。あの厳しい辛島さんが褒めることもあるんだと嬉しかったことを覚えている。で、怖い方というイメージがとても良い人に変わったのは言うまでもない。冥福を祈りたい。

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