☆☆☆

アドリブ・ソロ



 バインダーが4冊。この10年ほどの間に採譜したソロの譜面が収められている。ソロコピーはプロとして活動を始めたころからの習慣に近い。ギターの和泉くん言わせれば「趣味ですから」ということになる。今でもオヤッと思うソロを聞くと採譜してしまう。それが何の役に立つかと訊かれれば、たぶん徒労になると答えるしかない。だいたいソロのコピーなど全体を通して再現できるものはない。どこかで引っかかるというか、謎の小節が必ずある。コルトレーン然り、ロリンズ然り、マイルスに至っては「どうしてここでこんな音を?」というものが散見されて謎は果てがない。もちろん理路整然としたソロもないわけではないが、そういったものはソロとしては案外つまらない。勢い余って行っちゃった感のあるものの方が面白い。アドリブソロの教師をしている仲間もいるわけだが、そこで習うのは基本的なことであって、そこから先は各々で工夫するしかない。チェット・ベイカーもインタビューで語っているように、そこからってのが大変なのだ。たとえばビバップの語法を習う場合、それは結果的にコード進行の流れを説明するようなものになる。覚えたフレーズを並べるだけだから、どちらかと言えばパッチワークになってしまう。それでは先がない。スタジオワークのソロの録音で楽しかったのは、コード進行の中から新しいメロディラインを工夫することだった。そういった意味では、採譜した多くのソロの中にヒントが限りなくあった。
 ミュージシャンになり立ての頃、情報は恐ろしく少なかった。理屈もよく分からず、しかしながらレコードを聴いて情報をかき集めることが大事だった。採譜を始めたのは止むに止まれずというものだった。オープンリールのテープデッキを買ってからの2年間ほどは、毎日雀の鳴き始める朝方まで採譜に明け暮れた。あらゆる楽器のソロを採譜した。意地になってやっていた。そこまで採らなくてもというものまで採譜した。当時の鉛筆書きの楽譜には小さな間違いも多い。しかし少々の間違いは問題ではなく、おおまかに全体が見えることが大切だったから気にせずに続けた。名を知るプレイヤーのほとんどがターゲットになった。採譜しなかったプレイヤーを探す方が大変なほどだ。自分はさて置き、毎日のようにステージに立った多くのプレイヤーたちが、昨日と違うアプローチの為にどれだけ苦心したかが採譜した多くのソロに隠されている。その中には明らかにコードから逸脱したものも多いし、分析しても分からないものもある。それぞれの冒険は底なしに近い。しかしながらそのような冒険がジャズを作ってきたに違いない。その妖しさに惹かれて今に至っていることだけはよく分かるってなわけだ。

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ウェイン


 昨夜遅く、ピアノの大石氏から興奮した体のメールが入った。ショーターの「Emanon」に嵌まって聴き続けているという。ウェイン・ショーターの「Emanon」はジャズインストゥルメンタル部門で今年のグラミー賞を獲った。御大は今年85歳。授賞のステージにはお馴染みのバンドメンバーに囲まれて車椅子で現れた。そうか、そんな歳になってしまったのかと感慨も深い。アルバムは3枚組で、チェンバーオーケストラとの作品が一枚、あとはライブだ。ウェインのソロにはクリシェというものがまったくない。伝統的なジャズのリックとかとは無縁の世界を描くようになって久しい。ようするに創造力というものが枯渇しない独自の表現を発信し続けているのだ。当方としてはずいぶん前から、すでに神の領域に入っていると思っている。



 ウェインには2度も接近遭遇した。コラムにも書いたから重複するが、一度目は忘れられない日になった。歌手の上田さんは某宗教の信奉者だった。ある日電話がかかってきて、その団体の集会があるのだけど是非来いと言う。いつもはそのことに関しておくびにも出さないし無理強いする方でもなかった。それが強い調子で来いと言う。あまりの勢いに押されて、勧誘ではないことを確認した上で渋々承諾することになった。中目黒にある蕎麦屋の二階、蕎麦屋の家族の住居が会場だった。狭い階段を上がっていくと二間の仕切りを取って無理に広くした畳の間があって、そこに17、8名の人が座っていた。正面にいるこちらを向いた人の姿に本当に驚いた。ハービー・ハンコックとウェイン・ショーター、ベースのバスター・ウィリアムスの3人が座布団に正座していたのだ。演奏するというものではなかったが、この面子がそこにいるというだけで圧倒された。万事如才ないハービーがお題目を唱えることで救われているというような話をしたのだが、彼らは宣伝塔として都内何箇所かを一日回ることになっていたらしい。想像もしていない展開に度肝を抜かれ、呆然としている内に会合は終わった。その後、上田さんが紹介してくれて握手などしたのだが、言わなくてもいいのにコイツはサックス吹きだと言ってしまった。するとウェインは目を輝かせてVサインをヒラヒラと振り、ニーッと笑いかけてこちらの顔を覗き込んだ。こちらとしては「いやー」と俯くしかなく、別に悪いことをしているわけではないが、きまりの悪い思いをしてしまったのだ。その少し前にホームランの新記録を作った王さんに会ったことがあって、その時に見た王さんの目とウェインの目はとても似ていた。目に力があるというか、見ていると引き込まれてしまいそうに深い輝きがあった。たぶん突き抜けた人というものは同じような目をしているに違いない。当時のウェインはウェザーリポートが終わったころだった筈で、40代半ばだったかと思われる。

 それから10年ほど経って、彼のグループの五反田簡易保険ホールでの公演を聴きに行った。ソロ活動は過渡期で、グループは決してベストの状態ではなかった。どの曲も途中から倍のテンポの速い展開になり、続けざまに繰り返されると単調になってしまう。その日は寝不足も祟って途中居眠りしてしまった。終演後、サックスの植松さんにばったり会って立ち話をしている内に会場から出るのが少し遅くなってしまった。エレベーター乗ると、後からドヤドヤと乗り込んできたのがウェインたちだった。もちろん10年前のことなど覚えている筈もないから、彼の後に立っていた。そこで気付いたのだ。彼は僕より背が低いことを。たぶんウェインは160を切るくらいだ。こちらだって、すでに小さいオジさんとして認識されているわけだが、アメリカでその身長はかなり小男と捉えられているだろう。しかし、横幅があるせいか、ステージ上ではちっとも小さい人に見えない。それが芸の凄まじさで補われているのか、彼ならではの魔法なのかは分からない。

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KONTRA - PUNKTE


 南青山に児童相談所を建設すると聞いた住民が猛反対をしているらしい。要約すると、「私らはここ青山に住む選ばれた人間であって、そのブランド性の高い地区に貧乏臭い施設を建設するとは何事か。だいたい私たちの住む地域に貧乏人が集うような施設を造ること自体が大きな間違いだし、私らのそばに貧乏人を近付けないで欲しい。私らは違うんだ・・・言うまでもなく」ってなことらしい。何をほざきやがるというものだろう。馬脚を現した金持ちの卑しさというか、セレブ意識というものはここまで恥ずかしいものらしい。都は児童相談所だけではなく、家畜糞尿処理施設とかごみ焼却施設なども住宅の近くに作って嫌がらせをして欲しい。

 何十年も前に買ったシュトックハウゼンの「コントラ・プンクテ」のスコアがある。高校時代に武満徹、間宮芳生、三善晃、各巨匠に薫陶を受けて以来、現代音楽は常に気掛かりなジャンルだった。しかしながら現代作曲家の作品のスコアは手軽に入手出来るものでもなく、ベートーヴェンやモーツァルトと違って恐ろしく高価だった。日本版はショスタコーヴィッチの交響曲10番あがあるくらいでほとんどないに等しかったから、海外からの取り寄せが唯一の入手方法だった。17才の頃、博多に赴任していた父にねだってバルトークのスコアを買ってきてもらったのだけど、あまりの値段の高さに父は目を剥いて驚き、なんてものを買ってこさせるんだと怒った。ベートーヴェンのスコアが300円ぐらいで売られているころに海外出版のものはその3倍から5倍はしたのだから無理もない。30代後半は輸入楽譜専門の店にたびたび赴いてはスコアを買い漁った。シンフォニーのスコアは1万円を下らないものも多かったから、一度店に入ると3万から5万円が消えた。何のために買っていたかは自分でもよく分からないが、ま、趣味の領域だった。



 ジャズもポップスも生業の中では身近で、その中に身を置いていたのは確かなのだが、それらとは別にいつも傍らにあったのがバルトーク、ベルク、オネゲルなどの作品群だった。ジュニア・ウォーカーのサックスを身をよじって聞き入っている時代にもそれらは共にあった。迷走ともいえる遍歴だが、自分にとって彼らの作品は重しのようなものではなかったかと今は思う。人は極度の集中力を以てすれば、ここまで緊密な音を紡ぐことが出来るという証のようなものだと感じていたのかも知れない。晩年の狂おしいまでのコルトレーンのソロを採譜すると、同じような集中力で事を成していたのが分かる。



 コントラ・プンクテはフルート、クラリネット、ピアノを含む10の楽器のための作品で、点描的な手法で織りなされている。こないだレコードからCD化したものを車の中で聴いていて、いきなり何かが降ってきたようにハッとした。シュトックハウゼンが何を表現したかったか分かったような気がしたのだ。改めてスコアを引っ張り出してきた。譜を追いかけることは出来ても、その意図などは長い間謎だったが、扉が少し開かれたようだった。それに伴ってベルクの叙情性もすんなり体に入ってくるようになった。いいぞいいぞってなものだ。この歳になるまで遠巻きにしていたものが突然身近に迫ってくるということが目出度いことなのかどうかは分からない。

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世界は興味があるものだけで成り立っている


 マイルスの晩年の作品のいくつか、ウェイン・ショーターのアルバム、むかし思っていたほどの神通力が失われているように感じたのは最近のことだ。その時代には輝きを放っていたアルバムも時を経てその役目が終わったのか、散漫な印象さえ受けるようになった。もちろん時を経ても何ら変わらず愛聴するものもあるが、聞き飽きてしまった側面はあるにせよ色褪せたように聴こえるものがあるのだ。それで新しい刺激を求める気分になった。
 ブランフォード・マルサリスの新譜は歌手クルト・エリングを迎えてのアルバムだ。これにすっかり魅せられた。クルト・エリングは当代切っての歌い手で評価も高いわけだが、その実力に感嘆することしきり。お気に入りはフレッド・ハーシュの小曲だが、聴く度にグッと来る。




 一つ前のアルバムは教会でのソロコンサートで、これはブランフォードらしいというか、何でもやりたい彼の特色が現れている。C・P・E・Bachの作品、スターダスト、4つの即興演奏などの中で、圧倒的なのは日本人作曲家の無伴奏ソロ曲「舞」で、彼がとんでもないところに到達しているのが分かってゾッとする。






 コルトレーンのラシッド・アリとのデュオアルバムは、亡くなって10年ほど経って発表されたアルバムだが、未聴だった。ラシッド・アリというドラマーに好感を持っていなかったせいだが、聴いて反省した。繊細で自由なドラミングに参った。トレーンとドラムのデュオはエルヴィンとの「Visil」という曲があったが、ここではよりフリーフォームで6曲が収められている(LPは4曲)。コルトレーンが感じていたことを知りたいと切望するようになった。



 J・D・アレンの新作「Love Stone」はバラードアルバムだ。ギターのリバティ・エルマンの紡ぐ繊細なハーモニーに乗っかって見事なバラードが演奏されている。その揺蕩う太い音色が圧巻で、叫ぶだけがサックスのやり方ではないことを思い出させてくれた。これはフレージングを聴くというものではなく、その音色にどっぷり浸かるというありがたい音楽なのだ。


 ウォルター・スミス「TWIO」はコードレス・トリオでゲストに数曲ジョシュア・レッドマンが参加している。主流派的な展開だが、4曲目のドラムとのデュオ「We'll be together again」がお気に入りだ。エリック・ハーランドのドラムはいいなあってな感じだ。レッドマンはいなくてもよかったかもしれない。



 マーク・ターナーの新作はピアノのイーサン・イヴァーソンとのデュオ作品。今の世代のサックス奏者の多くが支持するマークの相変わらずのきめ細やかなラインがありがたい。最初は呆気ないほどあっさりと聴こえたが、聴けば聴くほど深いなあってな案配だ。はっきりしているのは5人が5人とも独自の音色を持っていることだが、その歌い回しはもちろんのこと、どれだけ細心に音色を創り上げて来たのかと感心することしきりなのだ。
 聴くにせよ、演奏するにせよ、曲作りするにせよ、残された時間は思いきり少ないと言っていい。時間が足りないように思うのはいつものことだが、少しでも彼らのやったことを分かりたいと考えているわけだ。角田光代さんの「太陽と毒ぐも」という短編集の中に「だれにとっても、世界は興味があるものだけで成り立っている」という一節があった。サックス奏者の名は知っていてもサッカー選手の名などほとんど知らないし、バレーボールなどに至っては謎でしかない。そんなものだ。上に挙げたようなサックス奏者の名は多くの人にとっては謎に違いない。ましてや彼らがやっていることを理解しようとするのも、ほとんどがサックス吹きだろう。一般的な認知度の低い、ただでさえ狭い世界でこつこつと切磋琢磨している人たちの集まりがあって、その世界の片隅で生きているわけだが、その場所が案外好きなのは確かなのだ。

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アレサ・フランクリン


 クイーン・オブ・ソウルと呼ばれた歌手アレサ・フランクリンが先月の18日に亡くなっていたことを知った。すい臓癌で享年76才だった。



 アメリカでは絶大な支持を受ける国民的なスターだと評されているが、日本ではそこまでの人気があるとは言えない。ソウル色の強過ぎる音楽家は幾分遠巻きにされる傾向があって、それは一部のファンを除きあまり取り沙汰されることのないゴスペル系の歌手も同様だ。そもそも宗教色の強い一面がある音楽だから、お国柄の違いで仕方ない。しかしながら一瞬でもソウルミュージックのジャンルに足を踏み入れたことのあるプレイヤーなら、アレサの偉大さを知らずには済まされない。



  しかし、聞いたことのない人には「なんのこっちゃ」だろうから、3年前のケネディセンターでの映像の圧倒的な存在感を。




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