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ニーナ・シモン


 カーメン・マクレーを聴きつつ、そういえばニーナ・シモンって歌手がいたなあと思い出した。若いころやたらと名前を見かけたが、聴く切っ掛けがないままになっていた。そうだ聴いてみようってんでダウンロード購入した。知識がほとんどないから、試聴した上でとりあえずベスト盤から聴くことにした。ディープな歌だ。カーメン・マクレーはどちらかといえばエンターテインメント系の流れだが、ニーナの場合はゴスペルやブルース、それになんと言ってもクラシック音楽の素養が隠せない趣がある。



 むかし、この人のイメージは不機嫌な人だった。それは雑誌で見た写真のイメージだったも知れないが、なんだかいつも怒っている人のような気がしていた。それは当時の雑誌が彼女を闘士のような扱いをしていたことと無関係ではない。いわゆる社会派というようなレッテルだが、元々プロテスト・ミュージックなど好きでなかったと語っている彼女も相次ぐ公民権運動の流れを無視できなかったらしい。
 彼女は1933年2月21日ノースカロライナ州トライオンにユーニス・キャサリン・ウェイモン(Eunice Kathleen Waymon)として生まれている。ニーナ・シモンは本名ではない。3才からピアノを弾き始め驚くような才能を発揮し始めた。彼女は聴いたものを耳で捉えて弾くことが出来たらしい。さらに近くに越してきたイギリス人女性からクラシック音楽を学んでいる。そこで学んだバッハ、ショパン、ブラームス、ベートーヴェン、シューベルトは彼女のルーツになった。高校卒業時、ジュリアード音楽院への入学を望んだが学校側に拒否され、アフリカ系アメリカ人としてクラシカル・ピアニストの先駆者となる夢は砕かれた。それが人種差別だったかどうかは分らないが、彼女がそう考えたであろうことは想像に難くない。そこからは地元で音楽を教えたりしていたが、生計のためにバーで歌うオーディションを受けたことから転機が訪れた。流行りの曲を即座に彼女流のジャズ、ブルース、クラシカルな手法を取り混ぜて披露することで人気を博すようになった。
 ま、駆け足で調べたことを書いたわけだけど、彼女の伝記本もあって、翻訳が大変だけどそれも入手することにした。彼女に影響を受けた人にはローリン・ヒルやU2のボノなどがいるが、自分にとって新しいものを知ることは幾つになっても楽しいのだ。

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カーメン・マクレー


 20代の初めごろ、せっせせっせとレコード盤を買い漁ったが、サックスプレイヤーのものだけで手一杯。ジャズヴォーカルのレコードを買う余裕はなかった。しかしながら当時はFM放送でジャズを聴くことも多かったから、エアーチェックでその類いのレコードはずいぶん録音した。こういうことにかけては忠実な性分だったから、オープンリールに録音しておいてカセットに編集しつつ落とすってなこともよくやった。NHKのFM放送はレコード丸1枚流すような事もやっていたから好都合だった。そんな毎日の中で意外な曲に出会うこともあった。カーメン・マクレーのストリングスにバックアップされた「Isn't It Romantic」は何のアルバムかも不明だったが、その一曲だけが流されて強く印象に残った。それはサミーデイビスとローリンド・アルメイダのデュオなどを収めたヴォーカル系のカセットの最後に入れた。カーメン・マクレーの曲だけは他のトラックと印象が違ったが、そのカセットは消されることもなく、20年ほどは手元にあった。最近になってアルバムタイトルなどが判明した。



 「Book Of Ballads」ウィズ・ストリングの名盤。ここでのカーメン・マクレーは一音一音に込められた技術力の高さ、品位、ジャズ界のプリマドンナのようだ。数曲に聴かれる圧倒的な凄みと深み。「Isn't It Romantic」の印象が強かったものだから、彼女の来日公演を聴きに出かけたのはずいぶん昔のことだ。ピアノトリオをバックにしたステージは悪くはなかったが、期待したものとは違ういわゆるジャズのステージだった。ま、ウィズ・ストリングスと違うのは当たり前だ。それに、かなり前列で拝聴したわけだが、ステージに彼女が現れた瞬間、思わず息を止めたくなるほどの香水の匂いが強烈で「一瓶丸ごと吹っ掛けてきたのかな」とのけ反ってしまったのだ。何枚かアルバムも買ってみたが、「Isn't It Romantic」の入ったものが何なのかも分からないまま数十年が過ぎた。半世紀近くを経てやっと全部聴けてメデタシメデタシなのだ。それと、もう一つ。このアルバムでピアノを弾いているドン・アブニーさんはしばらく東京で活動されたことがあって、なんと、一度だけ郊外のパブのようなところのライブで共演したことがあったのだ。「そーか、そんなところで弾いていた人だったのか」と今さらながら驚いた次第。

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 毎年、桜の季節になるとこの坂を降りる。少々遠回りになるが、花の下をくぐり抜けるのが心地よい。今年も後一回ほどでその楽しみも終わる。



 年号が変わるというので、しきりに平成最後の何とかとテレビで言う。人口比率で言えば圧倒的に長かった昭和が多いわけだが、新しい元号生まれの人が増えるにつれ、昭和生まれの立場は僕らが若いころに聞いた明治のように捉えられていくに違いない。明治生まれと聞くと古色蒼然セピア色のイメージを持ったものだ。たかが元号なんだが、それによって色分けされることが避けられないというのが哀しい。

 テレビの歌番組で「演歌の乱」というものがあって、一回目に見て感心したものだから今回も見た。演歌歌手がポップスのジャンルに挑戦するという趣向が面白い。概ね、若い歌手は柔軟でリズム感もいいから難なくこなすというか、人によっては自分の歌のようにやってのけるが、ベテランになるとそうも行かず苦戦する様子が見てとれる。ようするに長年培ってきた自分の芸から離れることが出来ないらしい。前回は大江裕という男性歌手に感心し、今回は徳永ゆうきという方にも驚いた。丁寧な歌というものはいい。彼らを聴いていると歌の力というものを感じることができる。ずいぶん昔だが、教育テレビに歌唱教室のような番組があって、講師が市川昭介さんだった。都はるみさんを世に送り出した人として知られる偉大な作曲家だ。その講義というものが素晴らしかった。素人の歌手が歌うわけだが、要所要所で止めて指導するその内容というものがすごかった。注意点はいつも的確で、それに沿うと素人歌手の歌が一変した。そのような指導の元で演歌歌手が育つのかと大いに納得したものだ。演歌のレコーディングで仮唄を作曲家の先生が歌い、その巧みな表現に感心したことは何度もあったが、市川さんとて例外ではなかったわけだ。最近になって驚いた歌手が藤圭子さんだ。人気を博した若いころはラ行を巻き舌で歌うものだからやさぐれた印象を受けていたが、この人の歌唱力というものが天才的だったと再認識することになった。実は若いころから本音のところでは洋楽志向だったらしく、そのまま歌手活動を続けることなく渡米して歌謡界から遠ざかった。その意思は娘さんに引き継がれた格好になるけど、全盛時代の歌を聴くと並々ならぬ実力を持っていたことが分かる。当時は演歌などに興味がなく知らなかったわけだが、美空ひばりさんに対抗できる人だったかもなどと思ったりする。そりゃ、ま、アイドルもいいけど、歌手は歌がうまい方がいいし、女子集団のグループなどは歌手というジャンルから別けた違うもの、例えば色物的なジャンルとして扱われるべきだと思うわけだ。

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アドリブ・ソロ



 バインダーが4冊。この10年ほどの間に採譜したソロの譜面が収められている。ソロコピーはプロとして活動を始めたころからの習慣に近い。ギターの和泉くん言わせれば「趣味ですから」ということになる。今でもオヤッと思うソロを聞くと採譜してしまう。それが何の役に立つかと訊かれれば、たぶん徒労になると答えるしかない。だいたいソロのコピーなど全体を通して再現できるものはない。どこかで引っかかるというか、謎の小節が必ずある。コルトレーン然り、ロリンズ然り、マイルスに至っては「どうしてここでこんな音を?」というものが散見されて謎は果てがない。もちろん理路整然としたソロもないわけではないが、そういったものはソロとしては案外つまらない。勢い余って行っちゃった感のあるものの方が面白い。アドリブソロの教師をしている仲間もいるわけだが、そこで習うのは基本的なことであって、そこから先は各々で工夫するしかない。チェット・ベイカーもインタビューで語っているように、そこからってのが大変なのだ。たとえばビバップの語法を習う場合、それは結果的にコード進行の流れを説明するようなものになる。覚えたフレーズを並べるだけだから、どちらかと言えばパッチワークになってしまう。それでは先がない。スタジオワークのソロの録音で楽しかったのは、コード進行の中から新しいメロディラインを工夫することだった。そういった意味では、採譜した多くのソロの中にヒントが限りなくあった。
 ミュージシャンになり立ての頃、情報は恐ろしく少なかった。理屈もよく分からず、しかしながらレコードを聴いて情報をかき集めることが大事だった。採譜を始めたのは止むに止まれずというものだった。オープンリールのテープデッキを買ってからの2年間ほどは、毎日雀の鳴き始める朝方まで採譜に明け暮れた。あらゆる楽器のソロを採譜した。意地になってやっていた。そこまで採らなくてもというものまで採譜した。当時の鉛筆書きの楽譜には小さな間違いも多い。しかし少々の間違いは問題ではなく、おおまかに全体が見えることが大切だったから気にせずに続けた。名を知るプレイヤーのほとんどがターゲットになった。採譜しなかったプレイヤーを探す方が大変なほどだ。自分はさて置き、毎日のようにステージに立った多くのプレイヤーたちが、昨日と違うアプローチの為にどれだけ苦心したかが採譜した多くのソロに隠されている。その中には明らかにコードから逸脱したものも多いし、分析しても分からないものもある。それぞれの冒険は底なしに近い。しかしながらそのような冒険がジャズを作ってきたに違いない。その妖しさに惹かれて今に至っていることだけはよく分かるってなわけだ。

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ウェイン


 昨夜遅く、ピアノの大石氏から興奮した体のメールが入った。ショーターの「Emanon」に嵌まって聴き続けているという。ウェイン・ショーターの「Emanon」はジャズインストゥルメンタル部門で今年のグラミー賞を獲った。御大は今年85歳。授賞のステージにはお馴染みのバンドメンバーに囲まれて車椅子で現れた。そうか、そんな歳になってしまったのかと感慨も深い。アルバムは3枚組で、チェンバーオーケストラとの作品が一枚、あとはライブだ。ウェインのソロにはクリシェというものがまったくない。伝統的なジャズのリックとかとは無縁の世界を描くようになって久しい。ようするに創造力というものが枯渇しない独自の表現を発信し続けているのだ。当方としてはずいぶん前から、すでに神の領域に入っていると思っている。



 ウェインには2度も接近遭遇した。コラムにも書いたから重複するが、一度目は忘れられない日になった。歌手の上田さんは某宗教の信奉者だった。ある日電話がかかってきて、その団体の集会があるのだけど是非来いと言う。いつもはそのことに関しておくびにも出さないし無理強いする方でもなかった。それが強い調子で来いと言う。あまりの勢いに押されて、勧誘ではないことを確認した上で渋々承諾することになった。中目黒にある蕎麦屋の二階、蕎麦屋の家族の住居が会場だった。狭い階段を上がっていくと二間の仕切りを取って無理に広くした畳の間があって、そこに17、8名の人が座っていた。正面にいるこちらを向いた人の姿に本当に驚いた。ハービー・ハンコックとウェイン・ショーター、ベースのバスター・ウィリアムスの3人が座布団に正座していたのだ。演奏するというものではなかったが、この面子がそこにいるというだけで圧倒された。万事如才ないハービーがお題目を唱えることで救われているというような話をしたのだが、彼らは宣伝塔として都内何箇所かを一日回ることになっていたらしい。想像もしていない展開に度肝を抜かれ、呆然としている内に会合は終わった。その後、上田さんが紹介してくれて握手などしたのだが、言わなくてもいいのにコイツはサックス吹きだと言ってしまった。するとウェインは目を輝かせてVサインをヒラヒラと振り、ニーッと笑いかけてこちらの顔を覗き込んだ。こちらとしては「いやー」と俯くしかなく、別に悪いことをしているわけではないが、きまりの悪い思いをしてしまったのだ。その少し前にホームランの新記録を作った王さんに会ったことがあって、その時に見た王さんの目とウェインの目はとても似ていた。目に力があるというか、見ていると引き込まれてしまいそうに深い輝きがあった。たぶん突き抜けた人というものは同じような目をしているに違いない。当時のウェインはウェザーリポートが終わったころだった筈で、40代半ばだったかと思われる。

 それから10年ほど経って、彼のグループの五反田簡易保険ホールでの公演を聴きに行った。ソロ活動は過渡期で、グループは決してベストの状態ではなかった。どの曲も途中から倍のテンポの速い展開になり、続けざまに繰り返されると単調になってしまう。その日は寝不足も祟って途中居眠りしてしまった。終演後、サックスの植松さんにばったり会って立ち話をしている内に会場から出るのが少し遅くなってしまった。エレベーター乗ると、後からドヤドヤと乗り込んできたのがウェインたちだった。もちろん10年前のことなど覚えている筈もないから、彼の後に立っていた。そこで気付いたのだ。彼は僕より背が低いことを。たぶんウェインは160を切るくらいだ。こちらだって、すでに小さいオジさんとして認識されているわけだが、アメリカでその身長はかなり小男と捉えられているだろう。しかし、横幅があるせいか、ステージ上ではちっとも小さい人に見えない。それが芸の凄まじさで補われているのか、彼ならではの魔法なのかは分からない。

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