☆☆☆

世界は興味があるものだけで成り立っている


 マイルスの晩年の作品のいくつか、ウェイン・ショーターのアルバム、むかし思っていたほどの神通力が失われているように感じたのは最近のことだ。その時代には輝きを放っていたアルバムも時を経てその役目が終わったのか、散漫な印象さえ受けるようになった。もちろん時を経ても何ら変わらず愛聴するものもあるが、聞き飽きてしまった側面はあるにせよ色褪せたように聴こえるものがあるのだ。それで新しい刺激を求める気分になった。
 ブランフォード・マルサリスの新譜は歌手クルト・エリングを迎えてのアルバムだ。これにすっかり魅せられた。クルト・エリングは当代切っての歌い手で評価も高いわけだが、その実力に感嘆することしきり。お気に入りはフレッド・ハーシュの小曲だが、聴く度にグッと来る。




 一つ前のアルバムは教会でのソロコンサートで、これはブランフォードらしいというか、何でもやりたい彼の特色が現れている。C・P・E・Bachの作品、スターダスト、4つの即興演奏などの中で、圧倒的なのは日本人作曲家の無伴奏ソロ曲「舞」で、彼がとんでもないところに到達しているのが分かってゾッとする。






 コルトレーンのラシッド・アリとのデュオアルバムは、亡くなって10年ほど経って発表されたアルバムだが、未聴だった。ラシッド・アリというドラマーに好感を持っていなかったせいだが、聴いて反省した。繊細で自由なドラミングに参った。トレーンとドラムのデュオはエルヴィンとの「Visil」という曲があったが、ここではよりフリーフォームで6曲が収められている(LPは4曲)。コルトレーンが感じていたことを知りたいと切望するようになった。



 J・D・アレンの新作「Love Stone」はバラードアルバムだ。ギターのリバティ・エルマンの紡ぐ繊細なハーモニーに乗っかって見事なバラードが演奏されている。その揺蕩う太い音色が圧巻で、叫ぶだけがサックスのやり方ではないことを思い出させてくれた。これはフレージングを聴くというものではなく、その音色にどっぷり浸かるというありがたい音楽なのだ。


 ウォルター・スミス「TWIO」はコードレス・トリオでゲストに数曲ジョシュア・レッドマンが参加している。主流派的な展開だが、4曲目のドラムとのデュオ「We'll be together again」がお気に入りだ。エリック・ハーランドのドラムはいいなあってな感じだ。レッドマンはいなくてもよかったかもしれない。



 マーク・ターナーの新作はピアノのイーサン・イヴァーソンとのデュオ作品。今の世代のサックス奏者の多くが支持するマークの相変わらずのきめ細やかなラインがありがたい。最初は呆気ないほどあっさりと聴こえたが、聴けば聴くほど深いなあってな案配だ。はっきりしているのは5人が5人とも独自の音色を持っていることだが、その歌い回しはもちろんのこと、どれだけ細心に音色を創り上げて来たのかと感心することしきりなのだ。
 聴くにせよ、演奏するにせよ、曲作りするにせよ、残された時間は思いきり少ないと言っていい。時間が足りないように思うのはいつものことだが、少しでも彼らのやったことを分かりたいと考えているわけだ。角田光代さんの「太陽と毒ぐも」という短編集の中に「だれにとっても、世界は興味があるものだけで成り立っている」という一節があった。サックス奏者の名は知っていてもサッカー選手の名などほとんど知らないし、バレーボールなどに至っては謎でしかない。そんなものだ。上に挙げたようなサックス奏者の名は多くの人にとっては謎に違いない。ましてや彼らがやっていることを理解しようとするのも、ほとんどがサックス吹きだろう。一般的な認知度の低い、ただでさえ狭い世界でこつこつと切磋琢磨している人たちの集まりがあって、その世界の片隅で生きているわけだが、その場所が案外好きなのは確かなのだ。

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アレサ・フランクリン


 クイーン・オブ・ソウルと呼ばれた歌手アレサ・フランクリンが先月の18日に亡くなっていたことを知った。すい臓癌で享年76才だった。



 アメリカでは絶大な支持を受ける国民的なスターだと評されているが、日本ではそこまでの人気があるとは言えない。ソウル色の強過ぎる音楽家は幾分遠巻きにされる傾向があって、それは一部のファンを除きあまり取り沙汰されることのないゴスペル系の歌手も同様だ。そもそも宗教色の強い一面がある音楽だから、お国柄の違いで仕方ない。しかしながら一瞬でもソウルミュージックのジャンルに足を踏み入れたことのあるプレイヤーなら、アレサの偉大さを知らずには済まされない。



  しかし、聞いたことのない人には「なんのこっちゃ」だろうから、3年前のケネディセンターでの映像の圧倒的な存在感を。




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ムーンライト・セレナーデ


 今日はスタジオの予約が午後の4時間、さすがに4時間吹きっぱなしというのはヘビーで、結局は30分早く切り上げた。とは言え、吹き始めれば3時間強は夢中になれるし、やるべきことが次々と浮かんで、体力さえあれば一日中だって問題ない。だが、ま、無理は良くない。
 昨夜、久々にDVD「グレン・ミラー物語」を観た。甘味なエピソード満載の映画は一挙に最後まで観てしまう説得力がある。なにしろヒット曲の数々が次々演奏されるし飽きることがない。



 駆け足で綴られた映画の内容がどこまでが真実かは分からない。ムーンライト・セレナーデのクラリネット・リード・スタイル誕生の経緯も謎だし、レコーディング・データを見ると「茶色の小瓶」の録音は「ムーンライト・セレナーデ」と同じ年だ。映画の最後、亡くなった後の放送で、残ったメンバーが妻に捧げる形で演奏したとされているのは事実とは異なることになる。事実に基づいて描けばいかにも事務的な報告になるかも知れず、映画的な創りだから仕方ないとも言える。しかしながらヒット曲を量産した手腕は流石だと言うしかない。たいした方だったわけで、あの時代を席巻するセンスがあったことは間違いない。

 娘のジョニー、息子のスティーブ共に音楽に進むことはなく、スティーブは銃工として生き2012年に亡くなっている。一方、ミラーの兄、甥のジョン、姪のウィンは音楽の道に進んだ。ジョンはイギリスで自分のバンドを率いていて、叔父の音楽を再演したりもしている。妻のヘレンは、グレンが亡くなった後、彼の遺産を管理するプロダクションを設立し、グレンと関わりのあったサックス奏者テックス・ベネケの助けを借りてバンドを再生させたが、運営に関しての行き違いからトラブルもあったとされている。彼女は次第にグレンの音楽からは離れていき、1966年に64才で亡くなっている。
 グレン・ミラーのバンドにはボビー・ハケット、レイ・アンソニー、ビリー・メイなどのトランペット奏者、サックスのピーナッツ・ハッコーなどが在籍した。「ムーンライト・セレナーデ」は1939年の録音だが、そんな古いものだとは思えないほどで未だに色褪せることがない。ずいぶん昔、スタジオミュージシャンとして活躍したバリトンサックスの砂原俊三さんが亡くなった葬儀で有志が集まってビッグバンドを組み、出棺の際に「ムーンライト・セレナーデ」を演奏した。グレン・ミラーの音楽は僕らの前の世代がバンドを始めるきっかけにもなっていたから適切な選曲だった。しかし、あの哀調切々たるメロディは演奏するメンバーの心を直撃した。演奏不能になりそうなほど突き上げるものがあり、周りを見ると全員の顔が涙でクシャクシャになっていたそうだ。出席できなかったが、その話を聞いてこちらまで貰い泣きしそうになった。分かり過ぎるほどにその気持ちが理解できた。

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採譜


 ホームページのリンダ・オーの情報が古過ぎるなあってんで、近年のアルバムなどを参考にするつもりで聴き出したはいいが、楽曲の構造の相変わらずの複雑さに取り込まれて採譜を始めてしまった。



 彼女の作るラインそのものは単純なものだったりするが、とにかくリズミック・フィギュアが独特で、メロディが裏から入るパターンなども多くて譜面に起こすのにとても苦労する。メンバーはドラムに黒人プレイヤーが入ることもあるが、だいたい白人のテクニカルに優れた演奏家を起用する。複雑な曲を軽々とやってのけるから、どちらかというと腹立たしい。サックスのベン・ウェンデルはジョシュア・レッドマンの影響を受けたと語っているが、7拍子だろうと何だろうとサラリと吹き抜く。あまりのレベルの高さに沈黙するしかない。リンダ・オーも最初のアルバムを自主制作でリリースしたときは25才だったが、今や34才の中堅。評価も高く、ダウンビート誌の批評家の投票では、2年ほど前からクリスティアン・マクブライド、デイブ・ホランド、ロン・カーターに次ぐ4位にランクされている。パット・メセニーのツアーに参加したことなどで知名度はかなり上がった。最初に聴いて「おっ、このベースは凄いぞ」と感じたことが間違いでなかったことに鼻高々なのだ。実際のところ、このようなタイプの音楽をやりたいというものでもないが、構造が把握できないというのも悔しく、ついつい向きになって一時間ほど費やし、出来るかどうかはさて置き採譜は終了。脳味噌が疲れたのが分かるってな案配なのだ。

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半世紀


 歳のせいか、近ごろやたらと昔のことを思い出す。その昔、レコード盤は貴重なものだった。誰もが大事にしていたし、取り扱いにも気を使った。上京するころ手元に30枚ほどあっただろうか。貨物で送ればよいのだが、住居も定まっていない状況ではそれもままならず、手持ちで運ぶことにした。底が抜けそうになるトランクに押し込め、アルトとソプラノサックスも抱えて電車に乗り込んだ。ほとんど弁慶状態だ。荷物はそれが全てだった。鍋、茶碗はもとより、家具類は処分して何も持たぬ旅立ちだった。とにかく一から始める覚悟の潔さだけはあった。
 レコード盤はソニー・ロリンズ、ローランド・カーク、ミンガスのものもあったが、フリージャズ系のもの、アルバート・アイラーやオーネット・コールマン、スティーブ・レイシー、マリオン・ブラウンなどが大半で今から考えれば偏ったものばかりだった。クラシックにしても三善晃に間宮芳生がメインだった。若さにまかせて背伸びしていたことがよく分かる。



 写真は当時から持ち続けているレコード盤の一部だが、中央のロビン・ケニヤッタはCDで買い直したもの。音楽界は少しずつ変化の兆しを見せ始めていた。左のものはスティーブ・マーカスのデビュー盤でハービー・マンがプロデュースしてジャズ界に新風を送りこんだ。このアルバムの「トゥモロー・ネバー、ノーズ」をラジオで聴いた時には、ロック系のサウンドを全面に押し出すやり方に新鮮な驚きがあった。さらに右の「BS&T」はダウンビート誌の広告で目にしていたのだけど、店頭で試聴して魅せられ、即購入した。新しい流れを肌で感じつつ上京したってわけだ。住まいが落ち着くと何としてでも足を運ばなきゃいけなかったのは新宿のピットインだった。稲垣次郎さんのバンドを聴きに行ったときのことだ。稲垣さんもスティーブ・マーカスのようなやり方でライブをなさっていたのだけど、突然現れたのがニューヨークから帰ってきたばかりの日野皓正さんだった。思い切り大きな帽子で現れた日野さんは吹きまくった。その奇抜にも見える装いと勢いに「なんだか凄いことになっているなあ」と圧倒された。
 ジャズ界に様々な新しい試みにチャレンジする者が次々に現れ、活況を呈していたころだ。スティーブ・マーカスもロビン・ケニヤッタも同じレーベル、ヴォルテックスからデビュー盤を出した。Vortex Recordsは1968年から1970年にかけて14枚のアルバムを制作した。その中にはチック・コリア、キース・ジャレット、ソニー・シャーロックのデビュー盤が含まれている。先見の明のあるレーベルだったとも言える。14枚の内3枚はキース・ジャレットのもの。さて、あれから50年近く経ってしまった。ロビン・ケニヤッタはデビュー時に比べるとおとなしくなり、伝統的ジャズに向かうかと思えばフュージョンのようなアプローチもするというように迷走しているように思えた。スティーブ・マーカスもデビュー時ほどの注目を集めることはなかった。とは言っても二人ともデビュー盤は鮮烈だったし、大きな影響を受けたことは間違いない。しかし、その後のことを調べて、「そうだよなあ、50年だからな」という現実と向き合うことになった。ロビン・ケニヤッタは2004年に62才で、スティーブ・マーカスは2005年に66才でこの世を去っていた。レコード盤でしか知らなかったとはいえ、記憶に刻まれた音を持つ演奏家が消えていたことは哀しいことなのだ。

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