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開会の儀


 猫のトイレの砂がなくなったってんで、いつものホームセンターへ向かった。2通りの道筋があるが、一方が渋滞している。日曜日というのもあるが、これは事故かなというような渋滞に思え、迂回路に廻るとここも更なる渋滞。ノロノロ運転が続く。人は虫と同じなのか、気温が和らぐとゾロゾロと這い出してくるらしい。あきらめて近くのスーパーで購入することにした。

 さて冬季五輪。開会式の模様を見た。やはりプロジェクションマッピングを使ったりしていて、リオと同じような感触がある。開会式の費用は北京が日本円で100億、ロンドンが33億、リオが3億というデータが残っている。金を多くかけたからといって圧倒的に記憶に残るというものでもないらしい。東京では開会式の入場料が25000円から15万円と言われている。10万人の客を入れて10万円ぐらいぼったくれば100億かけても大損することはないかもしれないが、開会式っていったい何?というような疑問も湧こうというもの。国の威信を懸けたマスゲームというか、国威発揚の儀式というか、そんなことを説明されても分からないし的な当該国の事情も折り込まれる。そのような傾向がルーティン化されているらしい。



 さて東京でも同じようなことをするのだろうか。私たちはアジア諸国を侵略した苦い経験があります、などとは決して言わないだろう。慰安婦問題?とんでもない、知りませんよそんなことってなものだろうし、核の被害国ですよなどとも言えない。そのようことには一切触れずに、世界平和などと発信することになるに違いない。それは政治的な問題であり、スポーツの祭典に相応しくないという理由で、拉致被害者を返せなどとも言えない。ま、早い話が建前で取り繕う儀式だともいえる。祭だから派手にするのはいいのだが、どこかにナショナリズムの匂いを感じると多少ゲンナリするのも確かなのだ。



 北と南の選手が肩を組んで聖火台へ上る瞬間など、これは政治的なパフォーマンスで、見ていてこちらとしてはどのように反応していいものか困ったりするわけだ。


 個人的な意見だが、開会式などというものは、選手入場の後見たこともないような大きなくす玉が出て来て、ファンファーレと共にパッカーンと開くぐらいがちょうどいいのではないかと考える。

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Embraceable You


 ジャズの雑誌として有名なダウンビート誌を、ついこないだまで10年近く購読していたが、次第に置き場所に困るようになり、デジタル版に変えた。最初にこの雑誌を買ったのは博多にいるころだった。今でも70ページぐらいだが、当時は薄っぺらい40ページほどのものだった。しかし、その頼りないページ数にも関わらず、アメリカのジャズ界で何が起きているのか知ることの出来る貴重な情報源だった。ミュージシャンのインタビュー記事も豊富で、辞書を片手に読解しようと必死だった。雑誌にはジャズを学ぶ人のための講座のコーナーがあって、ソロのコピー譜が掲載されることも多かった。



 チャーリー・パーカーの「Embraceable You」は1970年の4月号に掲載された。まだPCなど普及していない時代だから、ミュージシャンが採譜した手書きの譜面だった。 ソロコピーは自分でもずいぶんやったが、速いパッセージを採譜するのは大変で、恐ろしいほどの忍耐力を求められた。


 情報の少ない時代だから、このようなコピー譜はありがたいものだった。キーはinCで書かれているからアルト用に移調して書き写した。パーカーはEmbraceable Youを何度も録音していて、それぞれに素晴らしいが、このテイクは名演の誉れ高いものだった。



 久々にこれを聴き、「ああ、そうだよな、そうだったよな」と感慨深かった。ビ・バップのスタイルは上京してから就いた菊地師匠に2年間ほど叩き込まれた。基本的なパッセージを全てのキーで吹けるようになるというようなことだ。しかし、そのように訓練されたことは入り口に過ぎず、その基本からいかに発展させて自分のラインを作るかが要だった。それがむつかしい。誰かに就いて習っていると、様々な断片を繋ぎ合わせることに腐心するようになってしまうのだ。ソロを格好がつくように構築するにはそれが早道であって、それを始めると自分の想像力をかき立てるということをしなくなるわけだ。このパーカーのソロは元のメロディの断片も僅かで、彼自身のアイデアが詰め込まれている。見事に自分の歌としてのインプロヴィゼイションで、彼独自の世界が紡がれている。アドリブ・ソロは油断しているとフレーズだけを追い求めるようになり、自分の歌を作り上げるということから遠ざかってしまう。あーあ、この原点の気分を忘れかけていたかもしれないと反省しきり。改めてパーカーの偉大さをシミジミと聴いてしまったのだ。

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リュック


 明日から冬季五輪が始まるらしい。またもや連日「メダルだ、メダルだ」と騒ぎ立てるに違いないワイドショー番組の毎与太にウンザリさせられるわけだ。しかしながら、この冬のオリンピックに関しては圧倒的に若い人たちのものであって、おっちゃんおばちゃんはスゴスゴと引き下がるしかない。スキーでジャンプしつつクルクル回転するなど正気の沙汰とも思えないし、おっちゃんなどには荷が重過ぎるようにも見える。技より瞬発力でっせってな感じだ。
 さて、その若い人たちなんだが、何時ごろからだろうリュックを背負うようになったのは。世代的な感覚で言えば、リュックは遠足などで使うものであり、出番は年に一度か二度だった。近ごろはバックパックとも言うらしく、そもそもリュックサックってのがドイツ語だということも最近知った。中に何が入っているのかは知らないが、だいたい大きく膨らんでいるところを見ると、かなりのものが詰め込められているに違いない。「毎日遠足かよ」ってなものだが、これを毎日背負って歩くのは大変じゃないのだろうか。個人的には若いころから楽器を下げて歩くという習慣があったものだから、それ以外は身軽に済ませる癖が身に付いた。財布だって持ったことがないぐらいで、金は裸でポケットに突っ込むってな案配だ。そんな風だったからあの大きなリュックに何が入っているのか想像もつかないのだ。以前リュックの中身を見せて下さいというような番組を見た事があって、その時のリュックの中身は飲みさしのペットボトルやヘッドフォン、充電器に書籍といったようなものだった。どうしても持ち歩かなければいけないというようなものではなかった。で、ま、スマホが幾つも入っていたりする人もいて笑っちゃったのだが。

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とりあえずスマホ


 このところ久々に何度も電車に乗る機会があって、乗客の生態が変わったなあとつくづく思わされた。10年以上前からその傾向は始まっていたが、さらに加速して驚いた。ずいぶん前に山手線の新宿駅で降りて中野方面行きに乗り換えた。乗ってきた山手線のドアがプシューと閉まり、動き出した車内を振返って笑ったことがあった。つり革を持ってこちらを向いて立つ人のほとんどがスマートフォンを片手に画面を食い入るように見ていたのだ。反対側でも座席に座っている人もそうだったろうし、それは異様な光景だった。




 ひと昔前は電車の中で新聞を読む人もいたし、週刊誌を読む人もよく見かけた。代表的な新聞で夕刊フジというものもあったが、さすがに売り上げは低下しているらしい。電車に乗ってきて座席を確保した人、7人掛けの椅子の4人ほどが最初にやることはスマホを開くこと。それはあらかじめ決められていることのようで、待ちかねたと言わんばかりに迅速に行なわれる。あんちゃん的青年はゲームでもやっているのか画面から目を逸らすことはなく、表情はかなり真剣に見える。以前のように手持無沙汰で空虚な時間は失われ、電車の中でも有意義な時間を過ごすということになるのだろうか。ようするに早い話が時間つぶしだ。人は何もしない時間を勿体ないと考えるらしい。何かをしていないと落ち着かないわけだ。それで手のひらサイズの小宇宙がとても大事なものになったようにも見える。その小宇宙が発信するものの受け手として人は現代の社会に組み込まれていて、思考形態も徐々に変化しているに違いない。オイ、爺さんもスマホに代えろ、代えろと何度も犬テーテーからパンフレットが送られてきたが、なにしろ通話とメールさえ出来れば問題はないこちらとしては無反応。近ごろはあきらめたのか送ってこなくなった。そういう反応のこちらとしては、座席に着くなりスマホを広げる様子はとても奇妙に見えるのだ。

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リペアー


 今日はテナーのオーバーホール、いわゆる全タンポ、バネ、フェルト交換するリペアーに出すために久々に新大久保の高橋楽器へ。昨日の内に出したかったのだが、この付近の日曜日は恐ろしく混雑するので今日に変えた。韓流の街としての勢いはまだ続いていて、月曜日でも人通りは多い。昔は歩いている人もまばらで静かなものだったが、やたら若い女の子が目立つ。ヨンさまに端を発したブームは形を変えて今も続いているらしい。街が賑わうのは結構なことだが、駐車場の問題をなんとかして欲しい。今ほど厳しくなかったころは大久保通りに路駐して楽器を出すぐらいは簡単にできた。しかし、今はほんの5分ほどでも油断できない。それでコインパーキングの利用と相成るが、20分300円はありがたくない。小走りで楽器を届け、中走りで戻るってな案配だ。



 ここの店主はほぼ同年代だが、最初に来たときは先代の時代だったし、彼がいた記憶がない。たぶん、後継ぎとして働き始めたのは何年か先のことだったように覚えている。それで、今でも彼を高橋楽器の兄ちゃんとして見ていたわけだ。しかし、今日「あたしもね、来年古希の大台ですよ」と言うと、息子である職人が「うちの親父はついこないだ70になりましたよ」などと返ってきて驚いた。そうか、もう兄ちゃんでもなんでもなく、先代と並ぶオヤジさんで間違いないのだ。最初にこの店に来たのが二十歳の時で、その時の先代が40代後半かというところだったと思われる。あれから50年が経ってしまっているわけだ。知らない内に、というか知ってはいたが数えない内に。全ての楽器のリペアーはここでやってもらっていて、他の店に出したことは一度しかない。定休日で都合がつかず違う店に出したが、なんだかしっくり行かなかった。全幅の信頼を置いていると言ってもよく、ここでリペアーしてうまく鳴らなかった場合は吹き手に問題があるのだと思っているのだ。
 オーバーホールの後は少々響きが変わる。というのもあちこちの不都合を技術的にカバーして鳴らしていたわけだから、奏者側が是正を余儀なくされるのだ。クラシック界では名の売れた奏者が「あたしなんざ、もう何年もタンポ交換などしたことがないですよ。ほら、手に汗をかく体質じゃないから金属が傷むのも少ないし、第一ね、そんなに無茶な吹き方していなければ、楽器ってのは案外鳴るもんですよ」と曰い、「えっ、そうですか」と目を丸くして驚いたことがあったが、そんな強者だっているのだ。ただ、微細なものでもどこかから息が漏れる、ようするにどこかのキーのパッドがずれて洩れている場合は、全キーを押さえた最低音が鳴りにくくなる。先日のライブで「こりゃあ、限界かな」という瞬間があった。それで、今日の駆け込みになったわけだ。その修理代金だが、ま、だいたい、その10万円前後かかる。オーバーホールでなくとも、年一度微調整に出す毎にその半分はかかるから、楽器が多いとしかめっ面にもなろうというものなのだ。

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