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ミーン、ミーン、ミーン


 今年の暑中見舞いの葉書の図案はイラスト化した蝉だった。蝉だ、夏だってなものだった。10年ほど前は猫のみかんがひっきりなしに蝉を捕まえて持ってきてくれたから、夏になると子供の頃のように蝉に触れた。




 ま、だいたい蝉はやかましい。以前の住居はエントランス部分がやけに反響する造りになっていて、そこの壁際で鳴く蝉の声に肝を潰したこともあった。蝉の声には聞こえず、なんだかとんでもないトラブルに見舞われたかと思った。蝉の鳴くのは求愛行動で、雄だけが鳴くらしい。あの鳴き声は種の保存のために鳴いているわけで、やつ等にとっては切実なものらしい。鳴き声はよく知ってはいるが、遠くから見るだけで、どのように鳴いているかは知らなかった。このところ車を点検に出しているのでバスを移動手段として使っている。この暑さだ。バス停の側の木陰で待っていると、突然悲鳴のような蝉の声に襲われた。至近距離だ。どこだ、どこだと探すと、目の前の枝にいた。かなり近い。1メートルもない。それで、蝉の鳴く様子をつぶさに観察することになった。短い体の尻の部分をプルプルと上下させながら音を出す様子に見とれてしまったのだ。蝉は腹と羽をこすって音を出すなどと言うが、羽は背中に付いているし、ほんとかな的疑問を感じつつ見ていた。至近距離で見ても音の出るシステムは分からないのだ。腹の部分には空洞があって、そこで共鳴させて大きな音が出るらしい。そいつは中々頑張っていて、6、7回叫んで業務終了。鳴き終わると最後のジッという声も立てずに速やかに飛び去った。はい、ごくろうさんってな感じだったが感動した。さて、その蝉だが、耳があるという話は聞いたことがない。たぶん自分の立てるでっかい音は知らないわけだ。しかしながら、自分の体に感じる振動で、「今日もよく鳴っているなあ、絶好調だな」などと思っているのかも知れないのだ。

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泥棒


 むかし、ビッグバンドの動きが活発な時代、あちこちの店の楽屋を訪ね歩いて販売する楽器屋がいた。歌舞伎町にはコマ劇場前の広場を囲むようにして3つのダンスホールがあった。コマ劇場の下には「コマダンス」、映画館ミラノ座の上には「ミラノダンス」、それに挟まれて「ステレオホール」。このダンスホールを回るだけでも3つのフルバンドがあるわけだから、大きな儲けはなくとも多少は商売になったに違いない。よく買ったのはサックスのリードで、馴染みになった服部さんからは楽器も何本か買った。もちろん貧しいバンドマンだったから月賦だ。しょっちゅう移動するバンドマンに月賦でものを売るというのもリスクが大きかったのではないかと思われるが、服部さんは鷹揚だった。今のように携帯もない時代だったし、居所が分からなくなればそれまでよの世界だ。服部さんとの付き合いはその後20年以上も続いた。フリーで活動するようになってからは、市ケ谷に構えていた店舗というか、事務所のようなものだったが、そこに赴いてリードを買ったりした。知り合って間もないころ、楽器を月賦で買った際は、毎月の給料が出る日は決まっているわけだから、その日出ている店に服部さんが集金に来た。あの日はダンスホールだったが、どこかははっきり覚えていない。ステージ裏の長い通路のような場所を控室のように使っていた。壁にはハンガーを掛けられるようになっていて、そこに着てきた上着などをかけてステージに上がった。ステージが終わって降りると服部さんがにこやかに待ち構えていた。そこで、かけていた上着から1万円を取り出そうとしたのだが、ない。確かに虎の子の1万円を入れていたはずなのにないのだ。青くなった。当時の1万円は自分にとって大金だったし、すぐ都合できるものでもない。平謝りするしかなかったのだが、その時点では落としたに違いないとうな垂れた。ずいぶん後になって、その時一緒にいたミュージシャンから思いがけない話を聞いた。「あれさあ、あの時のボーヤ覚えてる?」と言う。ビッグバンドには必ずバンマスを助けるような形で、小間使いのような役目のバンド見習いがいた。譜面の管理から、旅に出た際にはドラムなどの荷物も運ぶし、楽屋でも使いっ走りのようなものでこき使われる立場にあった。バンド見習いとは言ってもプレイヤーになるのは稀だったし、歌手を目指す人もいた。「オレはさ、あのボーヤが怪しいと睨んでいたわけだよ。だってそうだろ、オレらがステージに上がっているときにはさ、楽屋にはあいつしかいねえわけだし、だからさ、落としたんじゃなくてあいつが抜き取ったんだよ。まあ、証拠はないから迂闊なことは言えねえしさ。黙ってたんだけどさ、あれからみんな現金なんか持ってステージ上がるようになったから、事件はなかったけどさ。えっ、あいつ? ボーヤ辞めてさ、なんか演歌歌手かなんかの付き人みたくなったらしいんだけどさ、留守番している時にさ、風呂場で一酸化炭素中毒かなんかで死んじゃったらしいんだよ」
 その時すでに彼の顔をはっきり思い出せるものではなくなっていたが、もしかするとそんなことだったかも知れないと当時を振り返り、ボーヤも相当貧しかったはずだし、魔が差したというか、楽屋でメンバーの上着をまさぐる様子などを想像し、腹が立つよりも暗い気分になってしまったのだ。
 サックスのマルタのツアーにホーンセクションで参加した時は楽屋でやられた。浜松のホールだった。サックスのケースカバーにポケットが付いていて、そこに現金を3万円ほど入れていた。ステージの途中でそのポケットに入れていた譜面が必要なことに気付き、楽屋に急ぎ譜面を出してきた。ケースをドア近くに放置したままだったのが拙かった。浜松には車で行っていて、帰りは泊まりではなく一緒に帰りたいというトロンボーン奏者も同乗して東名高速に乗った。最後のサービスエリアで、ポケットに入れていた現金を取り出そうとすると、ない。金が消えている。同乗者がいたからよかった。かなり嫌な顔をされたが、彼に借りることにした。そう言えば楽屋付近に怪しいヤツがいたこと、「こいつ、なんなんだろう?」と思ったことまで覚えていた。マルタのツアーは彼の事務所が仕切る形で行われていた。興行のプロが行なう場合は、楽屋にはケータリングサービスが付き、楽屋への出入りには監視人が付く。しかし、浜松の場合はそういったものは用意されていなかった。丸田氏にしてみれば大きなライブハウスのような感覚だったのかも知れない。油断大敵、怪しいヤツ等はそういったことを敏感に察知するらしい。次の公演先で、マルタは全員を集めて事件のことを話し、注意を促す事態になった。



 小倉のキャバレー「チャイナタウン」には1年ほどいた。後輩のトロンボーン奏者の宮地も一緒だった。ここの店には珍しい業者がやってきた。靴を作ってくれるという。それも足の寸法を事細かく採寸し、足にピッタリ合うものを作るという。ようするにオーダーメードの靴だ。そんなに高価ではなかったし、オーダーメードの靴なんてそう持てるものでもないから作ることにした。この靴は素晴らしかった。ステージだけで使用することにしたものだから、型くずれもせず、その後何十年も履き続けることになった。宮地はしばらく同居していたが、少しは余裕も出来、自分の部屋を借りた頃だった。彼の靴もかなり傷んでいたし、一大決心でオーダーしていた。靴が来た日、彼は新しい靴を履いて喜々として帰って行った。次の日、彼は古い靴を履いて店にやってきた。「あれっ、どうしたんだ。新しい靴置いてきたのか?」 すると宮地は泣きそうな顔と声で「盗られた」と言ったのだ。彼が借りた部屋というものが、昔よくあった靴を脱いで廊下に上がり、廊下沿いに左右別れて部屋のあるアパートだったのだ。アパートと言うより「・・荘」というようなものだ。共同の靴箱に並んだ靴どもの中で一際輝く新しい靴は目立っていたに違いない。同じ住宅の住人の仕業に違いないだろうが出てくるわけもない。「あ、その、ま、なんだ、帰りにラーメンでも食っていくか?」と、慰めにもなんにもなりゃあしない言葉をかけるぐらいしか思いつかなかったってわけだ。

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鯖を買いに行って


 贔屓にしているというか、定期的に足を運ぶ食材店がある。酒類の販売などでも見かけるが、プロ御用達を謳っているチェーン店だ。飲食店舗経営者などが買い出しに来る店のようなイメージを持たされるが、決してそんなことはなく、そのような人を見かけたことは1年に一度あっただろうかってなものだ。



 ここに来るのは「ノルウェー産冷凍鯖」が主な目的で、安い割には美味いコーヒー豆なども買ったりする。なにせ、病院で「魚主体のお食事にしましょう。それも青魚がお勧めです。」とくどいほど言われ続けたので、すっかり洗脳され、一時は毎日のように魚を食べていた。まあ当然のように飽きる。そこで冷凍のハンバーグなんてものもたまに買ったりするわけだ。

 その店が数カ月前に閉店になった。これは一大事なのだ。チェーン店とは言うけど、そこら中に散らばっているわけではない。最も近いところで車で30分の所だ。閉店じゃ仕方ないので、月に一度ぐらいだからまあいっかと、はるばる買い出しに行くことになった。別店舗に行ったことはあるが、そこは初めての店だった。自動ドアがスーッと開いて、店舗内に入った瞬間「あれ、ここはなんか違うぞ」と感じた。店内が明るく思え、働いている人たちが普通の主婦然としたおばさんに溌剌とした若者、それまでに行っていた店とは明らかに違うのだ。趣がやけに上品で柔らかい。会計の際にそれが確信的になった。応対が丁寧に思えた。それまで通っていた店が下品だったというものでもなく、従業員はそれなりに仕事をしていたはずだが、どことなくやさぐれて見えていたのが何の違いかは判然としない。どこか投げやりにも見えるざっくばらんな人たちが集まっていたのかも知れない。行く度に感じていたことだったが、それがこのチェーン店の形なんだろうと理解していたわけだ。しかし、まったく違う雰囲気の別店舗で、それがあの支店の特徴だったのだと気付かされた。店長がそのような人で、なんとなく同じような人たちが集まってきた可能性もある。そう言えば、閉店するころは客も少なかったし、あのどんよりした店の雰囲気が客を遠ざけていったのかと納得する。同じ品揃えでも店というものは同じにはならず、店内の空気というものがすべてを決定するのかと感心した次第。

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灼熱の競技



 灼熱の日が続くが、夏というものはこうでなきゃ的にありがたい。ネットでSummer画像を検索すれば、開放的な明るい画像が次々と現れる。



 猫どもはすっかりばててグロッキー気味だが、とうちゃんは案外元気であれやこれやと忙しい。そうだ、忘れられかけてる古い曲をやろうなどと、譜面を探し回って検討したりしているわけだ。「To Each His Own」「I'll See You In My Dreams」などだが、インストでやるのは少々工夫が必要かも知れない。

 で、この暑い夏だ。2年後のオリンピックの演出関係も決まったようだが、気温が朝から30度近くまで上がるこの時期、ほんとに大丈夫なんだろうか。競技によっては命がけになってしまうのではないかと心配になったりするのだ。新競技場は、初めのうちは客席の下部から冷風が吹き出すようなことを言っていたが、あれも予算の関係で中止になった。まさか、日中に開会式などやらないと思われるが、観る方だって覚悟が必要なわけだ。しかしながら、日程の決定に関してはIOCの意向だとされているが、フィールド競技は死闘になるわけで無茶なことは間違いない。

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余韻


 昼過ぎ、住宅地を通り抜けていて、久々に蝉しぐれというものを聞いた。近ごろは蝉の声を聞くことが少なくなったようにも思えていたが、どっこい、いるところにはちゃんといてワーワーと喧しく叫んでいたってわけだ。下を通るときに大きなくしゃみをしても誰も気付かないだろうというレベルだった。



 昨日、大路くんの件で何人かのプレイヤーと電話でやり取りした。誰もが「えー、知らなかったんですかー」と驚きの声を上げた。そりゃあ2年にもなろうとしているわけだから無理もない。夜遅くリコールが来たのが本田雅人君だった。大路くんのことから始まり、音楽のことサックスのこと、近年では珍しく2時間近くの長電話になってしまった。彼も50代半ばに差し掛かったという。お互い様々なサック奏者を聴いていることは確かで、その受け取り方は同じではないにしても、どのように聴いているかということは興味深いものなのだ。わが意を得たり的展開になれば俄然話は盛り上がる。彼の記憶によれば、このような話をするのは10年ぶりらしい。「渕野さん、変わらないですね、10年前といっしょですよ」などと言われ、成長がないのかと不安になったりもした。情報が入らなかったことについて、彼に言わせれば「色んなところに顔を出して友達を増やさなきゃ」ってなことにもなるらしい。そうかも知れない。なにせ人の多いバンドでの演奏は避ける傾向があるからしょうがない。ついでに、セッションの機会を作りたいという話になってちょっと引いてしまったのだが、ま、なるようになる。かなりディープな話も出来たのは、ひとえに大路くんのお陰かも知れないという話になって電話を切った。

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