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八日目の蝉


 相変わらず読み続けている角田光代さんの小説も、そろそろネタ切れが近いようだ。今は代表作のように言われることもある「八日目の蝉」に突入した。しかし、これは映画化されていたなあと思い出しビデオを借りてきた。小説の回りくどい言い回しに少々疲れたわけだ。映画は井上真央と永作博美という女優が中心になっている。この2人の女優さんが私的には似ているように思えて見分けが付かなかったりするのだ。しばらくは独り2役かと思っていたほどだ。それで映画を観終えて再び活字に戻った。すると映画の印象が邪魔をして、活字の中でも2人が現れて混乱し、映画なんか観るんじゃなかったという展開になってしまった。

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ライブ


 さて昨夜のライブに足を運んで頂いた方々に感謝します。遠方から泊まりがけで来て頂いた柳亭さんにはさらに深く感謝する次第です。



 今回で少しは先が見えるかと期待していましたが、好事魔多しというか、少々の行き違いの末、またまたドラマーが抜けることになってしまって振り出しに戻るってな案配。ようするに、ライブ前には新しい楽曲についてはシーケンサーで打ち込んだデモテープを送っているのだけど、それを聴いて対処できない場合は対応不能になる。例えば、自分の作った楽曲の説明にレス・マッキャンの路線だと説明したりするのだが、知らないと言われ、林英哲の名が出て来た辺りで接点は消えるってな具合だ。そういえば和太鼓的なアプローチをしようとする傾向があったわけだが、根のところのベクトルがそうだったらしい。結局、何曲かはピアノとのデュオ形式で対処した。ソロに入るといきなりピアノと2人だけになるというような展開で全体のグルーブを確保する。そのやり方の方がずっと楽だったってのも悲しいことなのだ。この先どれほどのライブを重ねることが出来るのかは謎だが、一回一回のライブがますます貴重なものになってきた。

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毎日リセット


 台風が南方の熱気までしっかり運んできたらしく、今日は夏が戻り汗ばむ陽気になった。昨夜遅く、猫のみかんが外に出たいというので、無理は承知で窓を少し開けてみた。轟音と共に風と雨が飛び込んできた。猫はビックリして後ずさりし、目を丸くして窓を見つめる。このような強風を知ると、雨露しのぐ家というものの存在がどれほどありがたいものかを痛感する。それにしてもあのような風の中、野良猫たちはどうやって凌いでいるんだと心配したりする。



 ってなことを言いつつ、遂に大台まであと少しの誕生日を迎えてしまった。ちっとも目出度くない。誰でも同じように歳は取る。しかしながら他の人がどうなのかは知らないが、老いたという実感があるわけでもない。どちらかと言えば、二十歳の頃から何も変わってはいない。定年とかいう区切りを付けられることのない職業の所為だとも思える。有り体に言えば浮世離れした生き方ということにもなろうが、同じ世代の友人たちが言うように夢を追いかけているわけではない。夢など追いかけてはいなくて、今ここにある現実を追いかけるというか、それはとても具体的だ。この音の後にこの音を繋ぐとこうなって、というような感じで、それを全部把握した上で自由になりたいと思っているわけだ。これがなかなか手強くて、そう簡単に自由は手に入らない。それで、夢を追いかけているというより何かをいつも探しているというのが近い。もちろん気力は不可欠だ。探す気力を失うことなく続けられれば万万歳という案配なのだ。

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アレサ・フランクリン


 クイーン・オブ・ソウルと呼ばれた歌手アレサ・フランクリンが先月の18日に亡くなっていたことを知った。すい臓癌で享年76才だった。



 アメリカでは絶大な支持を受ける国民的なスターだと評されているが、日本ではそこまでの人気があるとは言えない。ソウル色の強過ぎる音楽家は幾分遠巻きにされる傾向があって、それは一部のファンを除きあまり取り沙汰されることのないゴスペル系の歌手も同様だ。そもそも宗教色の強い一面がある音楽だから、お国柄の違いで仕方ない。しかしながら一瞬でもソウルミュージックのジャンルに足を踏み入れたことのあるプレイヤーなら、アレサの偉大さを知らずには済まされない。



  しかし、聞いたことのない人には「なんのこっちゃ」だろうから、3年前のケネディセンターでの映像の圧倒的な存在感を。




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残像



 色見本ではなく今日の空。久々に晴れ渡り、気温も上がり日中は半袖で過ごせた。台風が接近していて、残念なことに束の間の好天だった。
 近ごろ昔のこと、携わった仕事のことなどを盛んに思い出すようになった。と言ってもステージの様子とかを思い出すわけではない。僕らは基本的にステージ上では譜面とにらめっこをしているわけだから細かなことは見えていない。だいたいはステージ袖だとか楽屋だとかの記憶が多い。もっともスタイリスティックスやスティービー・ワンダーのステージのように、演奏しているにも関わらず聴衆の一人のような気分で眺めていたステージもあるにはある。しかしながら思い出すのは、どうしてか分からないが本の一瞬の些細な場面だったりする。百恵さんが引退する一年ほど前、中野サンプラザで歌謡賞か何かのテレビ収録があった。リハーサル時、百恵さんが一階の客席の中央に独りポツンと座っていた場面だけがフラッシュバックするような案配だ。深夜、神宮外苑の小さな店で遭遇したのは研ナオコさんだった。何の店だったかはっきり覚えていないが、窓口から直接ホットドッグだとかを買う店だった。彼女は男性の陰に隠れるようにしていた。まだそれほど有名ではなかったように覚えているが、三枚目的に扱われることの多かった彼女が目を見張るような美人だったことだけが残像のように残った。フジテレビの通路で会った十朱幸代さんの妖艶さに思わず振り返ったことも一瞬の映像として残っている。そのようなことは芸能界の隅に生息していれば特段珍しいことでもない。
 二十歳の頃、初めて入ったK・名和野とニュー・スターズというビッグバンドで地方のステージを何度も経験した。熊本でのステージは歌謡ショーで、当時のスター達が多く参加していた。舟木一夫さんや小川知子、千賀かおるといった面々に加えてヒデとロザンナもいた。その他にもいたはずだが覚えていない。ステージ袖で待っているとき、まだまだ子供のように見えたロザンナがしきりにヒデに話しかけていたのが見えた。衣装のこと、例えば髪飾りのようなものがどうかと訊いているようだった。ヒデは生返事で、彼女はガッカリしたような顔をした。それを見ていた小川知子らが幾分眉をひそめたようにしつつ「あの子ったら」というように囁き合っているのが見えた。当時のロザンナは19才。ヒデの気を引こうとしているのが傍目にも分かり過ぎるほど分かった。その僅かな時間のやり取りが鮮明な映像で記憶に残った。やがて2人は結婚し、10年ほど経って、生バンドを抱える日本テレビの昼のワイドショー番組にゲストとして出演した。それも本番ギリギリにスタジオ入りするという事態でスタジオはパニック寸前になった。生番組中に何曲も歌う予定だったから大変だった。それ以後会うことはなく、ヒデさんは47才で亡くなった。ロザンナさんがヒデの思い出を語るような映像を幾度となく見ることがあった。その都度、あの日の彼女の様子を思い出した。悲しみが伝わるような気がしたのだ。記憶に残っているのは女性のことばかりだが、男性歌手などのことは端っから覚える気はなくて当たり前なのだ。

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