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健康


 食用の菜花を買ってきた。特別美味いものでもないが、この苦味を味わうと春が近い。まとめるのが大変だが天麩羅にしたり、お浸しにしたり、卵と炒めてみたりする。



 期日が今月中だと知り、あわてて市が行なっている健康診断、成人病検査に行ってきた。僅か500円で血液検査から何からやってもらえるから、逃す手はない。しかし、病院はいつも待たされる。今日も診断まで一時間も待った。
 テレビで健康に関する番組を見かける。「放っておくととんでもないことになる」などと脅す手合だ。以前かかりつけだった町医者はこの手の番組が嫌いだった。「あれは迷惑な話でね、冗談じゃないんだ。無責任に脅すもんだから、あの手の番組見て心配しちゃうお年寄りが多くてね。次から次から押しかけちゃうんだな。」ということだった。当時、薬局で出会うお年寄りは薬の山をもらって帰る人が多かった。薬の袋はパンパンに脹れ上がり、ほとんど四角い形になって立ってしまうほどだった。何の薬が入って入るのかは分からなかったが、彼らは安心を頂いて帰っているようにも見えた。
 水泳選手が白血病を患って最前線から退き、往年のアイドルが舌ガンで闘病生活に入ったと報道される。注目される立場にある人たちは、仕事や競技から退くことになるから公表せざるを得ないのだろうけど、だれも闘病に力添えなどできるわけもなく、知らせることが気の毒にも思える。年老いてヒトは体のあちこちに変調を来すようになっていくわけだが、病と闘うときは一人であって、そこが哀しい。

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春先


 身を切るような寒さは遠ざかり、春めいた日が多くなって、ねこ共々ありがたい。ブログタイトルも菜の花に替えた。さてその菜の花だ。高校の校舎から北は田園地帯で遠くには山が見えた。はっきり時期が思い出せないのだが、春先に北側が黄色く染まった。佐賀という町に住んで最初に驚いたのは蓮華だった。田んぼ全体が赤く染まった。正確には赤紫だけど、そこら中が赤く染まった景色は壮観だった。蓮華の根が土を肥やす効果があり、農家の方が種を蒔かれていたことはずいぶん後になって知った。その赤と菜の花の黄色、どっちが先だったかが思い出せないというか分からない。田が赤紫に覆われ、それから畑が黄色に染まったような順序だったような気もするが、今となっては謎になってしまった。しかしながらはっきりしているのは、桜が今思うほど偉くなかったことだ。たしかに桜の樹もそこら中にあって咲き誇ってはいたが、其処彼処に咲くものの田んぼ全体の赤とか畑全体の黄色には敵わないように見えていたから印象は薄かった。ようするに多勢に無勢だった。

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ウェイン


 昨夜遅く、ピアノの大石氏から興奮した体のメールが入った。ショーターの「Emanon」に嵌まって聴き続けているという。ウェイン・ショーターの「Emanon」はジャズインストゥルメンタル部門で今年のグラミー賞を獲った。御大は今年85歳。授賞のステージにはお馴染みのバンドメンバーに囲まれて車椅子で現れた。そうか、そんな歳になってしまったのかと感慨も深い。アルバムは3枚組で、チェンバーオーケストラとの作品が一枚、あとはライブだ。ウェインのソロにはクリシェというものがまったくない。伝統的なジャズのリックとかとは無縁の世界を描くようになって久しい。ようするに創造力というものが枯渇しない独自の表現を発信し続けているのだ。当方としてはずいぶん前から、すでに神の領域に入っていると思っている。



 ウェインには2度も接近遭遇した。コラムにも書いたから重複するが、一度目は忘れられない日になった。歌手の上田さんは某宗教の信奉者だった。ある日電話がかかってきて、その団体の集会があるのだけど是非来いと言う。いつもはそのことに関しておくびにも出さないし無理強いする方でもなかった。それが強い調子で来いと言う。あまりの勢いに押されて、勧誘ではないことを確認した上で渋々承諾することになった。中目黒にある蕎麦屋の二階、蕎麦屋の家族の住居が会場だった。狭い階段を上がっていくと二間の仕切りを取って無理に広くした畳の間があって、そこに17、8名の人が座っていた。正面にいるこちらを向いた人の姿に本当に驚いた。ハービー・ハンコックとウェイン・ショーター、ベースのバスター・ウィリアムスの3人が座布団に正座していたのだ。演奏するというものではなかったが、この面子がそこにいるというだけで圧倒された。万事如才ないハービーがお題目を唱えることで救われているというような話をしたのだが、彼らは宣伝塔として都内何箇所かを一日回ることになっていたらしい。想像もしていない展開に度肝を抜かれ、呆然としている内に会合は終わった。その後、上田さんが紹介してくれて握手などしたのだが、言わなくてもいいのにコイツはサックス吹きだと言ってしまった。するとウェインは目を輝かせてVサインをヒラヒラと振り、ニーッと笑いかけてこちらの顔を覗き込んだ。こちらとしては「いやー」と俯くしかなく、別に悪いことをしているわけではないが、きまりの悪い思いをしてしまったのだ。その少し前にホームランの新記録を作った王さんに会ったことがあって、その時に見た王さんの目とウェインの目はとても似ていた。目に力があるというか、見ていると引き込まれてしまいそうに深い輝きがあった。たぶん突き抜けた人というものは同じような目をしているに違いない。当時のウェインはウェザーリポートが終わったころだった筈で、40代半ばだったかと思われる。

 それから10年ほど経って、彼のグループの五反田簡易保険ホールでの公演を聴きに行った。ソロ活動は過渡期で、グループは決してベストの状態ではなかった。どの曲も途中から倍のテンポの速い展開になり、続けざまに繰り返されると単調になってしまう。その日は寝不足も祟って途中居眠りしてしまった。終演後、サックスの植松さんにばったり会って立ち話をしている内に会場から出るのが少し遅くなってしまった。エレベーター乗ると、後からドヤドヤと乗り込んできたのがウェインたちだった。もちろん10年前のことなど覚えている筈もないから、彼の後に立っていた。そこで気付いたのだ。彼は僕より背が低いことを。たぶんウェインは160を切るくらいだ。こちらだって、すでに小さいオジさんとして認識されているわけだが、アメリカでその身長はかなり小男と捉えられているだろう。しかし、横幅があるせいか、ステージ上ではちっとも小さい人に見えない。それが芸の凄まじさで補われているのか、彼ならではの魔法なのかは分からない。

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時の流れは容赦なく


 周りにいた多くの演奏家は好むと好まざるとに関わらず芸能界の隅で生きていた。演奏家として目指すゴールはそれぞれにあったが、取りあえず食っていくための生業としては芸能界のお世話になるしか方法がなかったのだ。それで、キャバレーなどから出発した僕らは多くの歌手のバックでステージを共にすることになった。もちろん、キャバレー時代もショーで出演される歌手との交流が毎日のようにあった。西川口のキャバレーでは懐メロに属する大御所たちが頻繁に訪れた。ディック・ミネさんの次の週は淡谷のり子さんという案配で、淡谷さんに「先週はディックさんでした」と言うと「また大風呂敷広げていったんでしょ」と返ってきた。彼ら相互の交流が目に見えるようでおかしかった。忘れていたが、当時のメンバーの一人から聞かされたのは今陽子さんとの仕事だった。所沢の先の小さな町で、スーパーの前がステージだったらしい。歌手の営業は時々驚くほど切なかったりするのだ。豊島園の中にもステージがあって、そこで行われたのは雪村いずみさんのショーだった。シャンソン歌手として後に大ブレークした金子由香利さんは銀座にあった「ボヌール」という店に度々出演された。前に立っているサックス奏者は、肩に手をおく小道具のように扱われることもあって、その芝居っ気たっぷりの所作もお洒落な雰囲気を醸し出していた。ご一緒した方々は枚挙に暇がないわけだが、ご一緒した筈なのに詳細をまったく覚えていない方もいらっしゃる。15日に亡くなったキングトーンズの内田さんもそんな一人だった。新宿三丁目近くにあった彼の店に行った記憶もあるから、一度や二度の付き合いではなかったはずだが、どのようなステージを共にしたのかはまったく覚えていない。ただ、ヒット曲と彼らのグループの出発点でもあったプラターズの曲を演奏したことだけは確かだ。ずいぶん後になって、内田さんの歌唱力というものが並外れたものであり、簡単に体得できるものでないと実感した。ステージのことは覚えていないが、普段の内田さんがとても生真面目な方に思えたことは覚えている。


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若いこと


 立松和平原作の「光の雨」の映画DVDはずいぶん前に買って捨てることなく持ち続けている。それは時代背景が自分の青春時代と重なり、直接の関わりなどある筈なくとも、そこからフラッシュバックする多くの事柄がその時代へ誘ってくれるような気もするわけだ。連合赤軍の浅間山荘に至るまでのことが描かれているが、ここでは映画を撮る過程という劇中劇のような形で実際の事件をいくらか緩和するように進行する。これがもどかしくもあるが、そのような形を取ることで事件の生々しさは却って際立っているようにも思える。実際この事件の報道がテレビで流されているころ、まったく関心などなく遠い出来事であり他人事以外の何ものでもなかった。山荘の立てこもりはテレビで一日中生中継されて関心がなくても見ることになったが、そこに至るまでの山岳アジトでの事件はずいぶん後になって知った。数十年経ち、このDVDでやっと全貌を知ったわけだ。



 彼らの迷走は銃砲店から銃を盗んだことから始まっている。銃など100丁あっても国家権力と争うことなど無理なはずだが、彼らは武器を手に入れたことでいやが上にも高揚し、これで殲滅戦を闘い抜くのだと思い込んでしまった。幼いといえば幼いし、無知だったともいえる。銃を守る為に山にこもる決断から悲劇はゆるやかに進んでいく。最初に殺されたのは山から脱走した男女の2人だった。この殺人が彼らの意識を変えたのか、死というものが隣り合わせの逃避行から緊迫した狂気へと導かれていく。首謀は森と永田だが、森恒夫は早い時期に逮捕後の獄中で自殺した。それぞれの被害者の死の日が特定されているのは原作者がリサーチしたものと考えられるが、それぞれの死に至る原因については言いがかりに近く、自己批判から総括という名目で僅か2ヶ月ほどの間に12人が犠牲になっている。森と永田の狂気に全員が絡め取られていったのだ。これに意味付けなどなく、ただ陰惨な殺人行為だけが残ったわけで、彼らが当初目指した革命などとはまったく関係がない。ゴールディングの「蝿の王」は飛行機が墜落して無人島に漂着した少年たちの物語だが、ここでの少年たちも率いるリーダーの狂気に巻き込まれていく。根は同じようにも思えるし、極限の場所に立たされると人は壊れていくものらしく、誰にでもそこに至る可能性はあるというところが怖い。70年代初め、世はシリアスが美徳とされるような風潮があった。文化全体も硬派だったし、ジャズもエンターテインメントというよりは宗教に近いものがもてはやされた。時代が若者を導いていたわけだ。そして今、テレビはバラエティ番組全盛というかそれしかない的にふざけたものを取上げる。そして若者の中には受け狙いが優先される向きが出てきてバイトテロなどということが起こる。人を殺すようなことは起きないが、幼さは同一かも知れない。

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