☆☆☆

若いこと


 立松和平原作の「光の雨」の映画DVDはずいぶん前に買って捨てることなく持ち続けている。それは時代背景が自分の青春時代と重なり、直接の関わりなどある筈なくとも、そこからフラッシュバックする多くの事柄がその時代へ誘ってくれるような気もするわけだ。連合赤軍の浅間山荘に至るまでのことが描かれているが、ここでは映画を撮る過程という劇中劇のような形で実際の事件をいくらか緩和するように進行する。これがもどかしくもあるが、そのような形を取ることで事件の生々しさは却って際立っているようにも思える。実際この事件の報道がテレビで流されているころ、まったく関心などなく遠い出来事であり他人事以外の何ものでもなかった。山荘の立てこもりはテレビで一日中生中継されて関心がなくても見ることになったが、そこに至るまでの山岳アジトでの事件はずいぶん後になって知った。数十年経ち、このDVDでやっと全貌を知ったわけだ。



 彼らの迷走は銃砲店から銃を盗んだことから始まっている。銃など100丁あっても国家権力と争うことなど無理なはずだが、彼らは武器を手に入れたことでいやが上にも高揚し、これで殲滅戦を闘い抜くのだと思い込んでしまった。幼いといえば幼いし、無知だったともいえる。銃を守る為に山にこもる決断から悲劇はゆるやかに進んでいく。最初に殺されたのは山から脱走した男女の2人だった。この殺人が彼らの意識を変えたのか、死というものが隣り合わせの逃避行から緊迫した狂気へと導かれていく。首謀は森と永田だが、森恒夫は早い時期に逮捕後の獄中で自殺した。それぞれの被害者の死の日が特定されているのは原作者がリサーチしたものと考えられるが、それぞれの死に至る原因については言いがかりに近く、自己批判から総括という名目で僅か2ヶ月ほどの間に12人が犠牲になっている。森と永田の狂気に全員が絡め取られていったのだ。これに意味付けなどなく、ただ陰惨な殺人行為だけが残ったわけで、彼らが当初目指した革命などとはまったく関係がない。ゴールディングの「蝿の王」は飛行機が墜落して無人島に漂着した少年たちの物語だが、ここでの少年たちも率いるリーダーの狂気に巻き込まれていく。根は同じようにも思えるし、極限の場所に立たされると人は壊れていくものらしく、誰にでもそこに至る可能性はあるというところが怖い。70年代初め、世はシリアスが美徳とされるような風潮があった。文化全体も硬派だったし、ジャズもエンターテインメントというよりは宗教に近いものがもてはやされた。時代が若者を導いていたわけだ。そして今、テレビはバラエティ番組全盛というかそれしかない的にふざけたものを取上げる。そして若者の中には受け狙いが優先される向きが出てきてバイトテロなどということが起こる。人を殺すようなことは起きないが、幼さは同一かも知れない。

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液体の嗜好品


 コーヒーは毎日の生活に欠かせない。コーヒーが好きなんですねと言われれば、ま、好きは好きなんだろうけど、習慣のようなものと答える。ここ四半世紀ほどは朝方豆を挽いてコーヒーを淹れるのが日課のようなものだ。コーヒー豆が切れると「あっ、いけねえ」といった具合に非常事態宣言が出されるってな感じだ。新宿高島屋のデパ地下にあるUCCで20年以上買い続けていたが、郊外に越してからは行くのが億劫になり、近場のもので済ませたりしている。しかし、今日は久々に買い出しに出かけた。代替品は100グラム200円強の豆だが、ここで買うものは100グラム594円。ま、2倍強でお高い。ブルマンの最高級品は100グラム3500円ほどだから、それに比べればお手ごろということになる。



 「男はつらいよ」のゲストが吉永小百合さんの回で、コーヒーに関わる父親との会話があった。「こないだのコーヒーは美味かったなあ」「そりゃあ、お値段が二倍ですもの」。そうなのだ、コーヒーは値段で味がコロリと変わるものなのだ。それで久しぶりに飲んだわけだが、いつも代替品として購入している「モカ」と恐ろしく違うかといえば、なんだかよく分からなくなってきた。代替品として購入したものの中には「これは美味しくない」と断言できるものもあったが、「モカ」は案外いけているものなのかも知れない。ま、味覚が鈍くなったということも当然考えられる。



 店の向かいにはお茶屋さんがある。日本茶の専門店だ。よく見たことがなかったが、今日待っている間に覗いてビックリした。日本茶は相当偉い。100グラム2000円なんてのはザラで、5000円なんてものまである。どういう人が買うのかは知らないが、これでお茶漬けなんてしないんだろうなってなことを考えたりした。どう考えてもお茶に失礼なような気がしたわけだ。ちなみに、当方はお茶漬けの素として売られているものは邪道だと思っている。鮭が入っていようとタラコが入っていようと、あれはどちらかというと塩湯漬であってお茶ではない。

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簡易食


 若いころ、それも20代初めは外食が基本だったけど、選択肢の中に「寿司」というものはなかった。寿司は謎の食い物に近く、だいたい店内にお品書きの値段が書かれてないところがすでに怪しいものだった。時価というヤツだ。一度だけ渋谷にあった大きな寿司屋に入ったことがある。隅が煙って見えるほど長いカウンターで板前も10人は下らない店だった。小さな寿司屋に入るよりは安全に思えたのだ。当時は寿司ネタの名前もわからないわけで、目の前に並んだネタを適当に焦りつつ指して注文した。たいして食っちゃあいなかったけど、勘定の時に目を剥くことになった。想像していた値段の3倍は払うことになったからだ。それ以来、寿司屋には怖いというイメージが付いた。十数年前六本木のクラブで短期間仕事をしたことがあった。箱バンが好きなものだから、誘われてホイホイと乗って参加したのだ。こういった店では客が望めば寿司の出前も頼める。六本木の高級な店から出前が届く寸法になっていた。ある夜、その出前の寿司屋と店の黒服が揉めている。「これには金が払えない」という話になっていた。見ると、寿司げたには6つか7つの小振りな寿司が乗っているわけだけど、その中のひとつが倒れていたのだ。起こせばいいようなものだけど、倒れた際に付いた米粒が黒いげたには目立つものだった。で。そのチマチマとした寿司どもの値段を聞いて驚いた。「えっ。これで、これで一万五千円なのっ。えー、そうなんだ、へー」ってなものだった。
 70年代初め、新宿西口の小便横丁の表通り沿いに回転寿司が登場した。元禄寿司とかいう名前だったと記憶しているが定かではない。特別美味いものというより、値段の安さに引き寄せられ、ここには度々通うことになった。身近になったわけだ。しかし、当時の回転寿司の店には必ずカウンターの内側に寿司を握る職人がいた。ここだけは変えようがないものの筈だったが、やがて大型のチェーン店が出来ると、厨房は奥に隠れ誰が握っているのか分からないものに転じていった。もちろん職人が握っている店もあるけど、有名なチェーン店の寿司は型枠から作られたと思われる押し潰されたような長方形の酢飯に寿司ネタが乗っているだけの代物になった。これだったら板前などいなくてもアルバイトが少々の研修を受ければ作れそうだ。ま、寿司は寿司だが、よくよく考えれば寿司もどきのような気もする。



 ファミレスはむかし度々利用した。レストランと考えての利用というよりはスタジオの仕事が終わってみんなでダベる為の場所だった。仕事が深夜に終わることも珍しくなく、みんなで行ける場所と言えばファミレスだった。ここも妙な場所だった。食品衛生責任者が一人は必要という建前で営業されているが、圧倒的に多いのはバイトの若者であって、調理師が料理を作っている実感というものがない。ちかごろ、またバイトの若者たちのバカな映像が流出して問題になっているわけだが、全体から見れば本の一部も一部の問題であって、少々騒ぎ過ぎ感は否めない。しかしながら、食品を提供する店でこのようなアホな若者を使わざるを得ない営業形態というものにも問題があると思える。だいたい、厨房の中で何が起こっているかなど誰にも分からないわけだから、何があってもおかしくない。

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果てのないこと


 さて、その練習だ。この歳になってもまだ続ける意味合いというものがあるのかどうかってなことだが、上手くなりたいとかいうレベルでは最早なく、どう頑張っても飛躍的な向上は絶望的かも知れない。それが分っていても鍛練するのにはいくつかの理由がある。ずいぶん前にも触れたが、人は様々な悔いを抱えているものだけど、アメリカでのアンケートによれば人生最終章に入った年寄の後悔で最も多いのが「チャレンジしなかったこと」で、実に7割を超える。チャレンジには少なからずパワーが必要なわけで、後回しにする内に歳を取ってしまったという感覚らしい。先ずその点で後悔を残したくないというのは深く胸に刻まれている。もう一つは知識欲みたいなものだ。むかしサックスのデイブ・リーブマンと仕事をしたのだけど、彼はリハーサルの合間などに必ず5線のノートに向かい何かを書いていた。遠くからそれを見ていたわけだが、詳細が分からない。そこで思い切って訊ねてみた。「何を書いているんですか」「いや、これはね、頭に浮かんだ断片とかそんなものを書いているんだ。日課みたいなものでね、家に帰れば天井に届くぐらいノートがあるよ。」「それは例えばジャズのリックとかそんなものですか?」「いや、それもあるけどR&Bに凝っているころはR&Bのリフみたいなもので埋まっててね、その時々で傾向は違うんだけど、聞いたことのあるフレーズとかも多いわけだよ。でもね、一度自分の頭のフィルターを通して身に付けようとしたものだから、それは全部自分のものなのさ」ってなことで感心しまくった。その時に教わったのは、模倣は出発点であってもコピーになっては元の木阿弥、オリジナリティ、自発的に自分から何かを作り出すことの重要さだった。厳しいことだが、スタジオでのソロワークの仕事の際にはいつもそのことが念頭にあった。歌のバックでのソロワークにはジャズのリックはほとんど意味を成さないというか、楽曲に合わないことが多く、その点では自由に発想する面白さも充分味わった。それでも誰かのように吹いてくれというオーダーも多かったが。その自由な発想で音楽を紡ぐことに終わりはないわけだ。後は、心残りであった多くのプレイヤーのこと。例えば晩年のコルトレーンが残したラシッド・アリとのデュオ。ほとんどフリーファームのようなものだけど、これにもコルトレーンのソロには一拍一拍にコード進行の企みが隠されている。この録音の中から一曲だけ採譜しているところなのだが、それは身が縮むほど恐ろしく深い。たぶん、このようなものはサックス奏者のように単音楽器の者にしか聴き取ることは出来ないかも知れない。ピアノの大石氏はコード楽器のないこのアルバムを聴くのを途中でやめたという。他にも学ばなければならないことは山積み。
 20代初め、菊池師匠に就いて2年強、バップを叩き込まれたが、その時に思ったことは「これを一生続けていくのか」という残念感だった。背伸びしたがる先走った青年だったから、もっと新しいことをやりたいと切望するようになったのだ。無軌道の始まりだ。それで、ここに至り人生最終章を迎えたところで全ての帳尻を合わせようとしているとも言えるわけだ。

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無理



 10日ほど前の朝9時から3時間トレーニングが終わった後、いつもより疲れが重く沈み込むような感覚になった。おかしいなとは思ったが、少し集中して入れ込み過ぎたかと気を取り直した。しかし、その後悪寒が襲うような事態に変わっていった。さては風邪かと薬を飲んだりしたが、熱が出るわけでもなく悪寒だけが酷くなっていった。ずいぶん昔に腎盂炎をやったことがあって、その時の状態に似ていることに気付き3日ほど経って病院に駆け込んだ。腎臓関係にトラブルかと考えたわけだ。検査の後、処方された抗生物質を飲むことになった。直接の原因も分からなければ、具体的な病名があるわけだでもない。ただ、無理をするとヒトの体の弱点のようなものにダメージが出るらしい。歳を取った自覚などあるわけもなく、体力の衰えは感じるものの、ただ若いころのままに集中したりするわけだけど、それが利かないことになってきたらしい。それで、PCの電源を入れることもなく日が過ぎた。ま、冷静に考えれば無理が祟って当たり前のようなことをやっていた。ある日は寝そびれて朝を迎えてしまい、9時からスタジオの予約があったことを思い出して、しかたなく徹夜のままスタジオに3時間入った。体にいいわけがない。そのような無理も20代であれば笑えただろうが、この歳になるとそのようなことは危険だということがよく分かったってわけだ。

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