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正月の儀


 さて新年お迎えの儀も滞りなく終わり、また普通の日々の積み重ねになった。こういう流れでは「おせちは頂きましたか、お屠蘇は飲まれましたか」などと続くものだったが、そのような格式ばった正月の迎え方をしている家庭は少なくなったのではないかという気もする。5年ほど前、元旦に池袋方面から甲州街道を走って帰宅中、ある場所にやたら車が並んでいた。駐車待ちの車の列だった。ここに何があるのかと覗いてみれば、有名な回転寿司のチェーン店だった。時刻はお昼過ぎだ。「正月から回転寿司かよ・・・」と驚いた。もちろん、当方も重箱何段も重ねたお節料理というものを頂いた記憶はいつだったか思い出せないほど昔であって、お屠蘇などを飲んだのも、一度経験してみたかったから飲んだ、というようにアホな経緯でしかない。しかしながら、私らのように浮世離れした日常を送るものと違い、いわゆる一般家庭では昔ながらの正月の迎え方をしているに違いないという思い込みがあった。
 元旦、町を車で走っていて「へえーっ」と再び驚くことになった。回転寿司のチェーン店どころではなく、開いている店ならどこでも、ステーキハウス、ハンバーグ専門店、カレー屋、およそ食に関する店の全部が普段以上に賑わっていたのだ。ここらはベッドタウンであり、客のほとんどが家族で独身者は少ない。どうやら近ごろのお母さんは正月の料理というものを作らない方が多いらしい。それで、ネットで検索して出てくるのは下のような写真だが、大半は12月ごろ盛んに売り出されるどこぞの料理屋、ホテルなどのおせちセットのものだ。



 実際、これを手作りで仕上げるには膨大な時間が必要だし、一々作っていられないというのも分かる気はする。これらのものの売り上げは好調らしい。お手軽な新年お迎えの儀ではある。

 それで、懐に余裕のある方々は海外で過ごすというのが一つの流れになっている。わざわざ海外に出かけて正月を迎えるというものもよく分からない流行りなんだが、帰ってくる人たちが「えへん」的なオーラを出しているところを見ると、充分に優越感を満たしてくれるものらしい。こちらは軽い操状態であり、まさしく「操月」と言えないこともない。

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俳優、永山一夫


 相変わらず読書熱は冷めず、2日や3日といった間隔で次々に読み進む。昨日読み終わったのが「勇者たちへの伝言(いつの日か来た道)」(増山実・著/角川春樹事務所刊)
 野球帽をかぶった少年がイラストで描かれているから、てっきり野球にまつわる物語かと思っていたら、話は予想もしない方向に動き始め、後半は一気に読み終えた。



 この本の中に「永山一夫」という人物に触れる個所がある。実在した人だ。声優、俳優として1960年代に活躍した人で、テレビ人形劇「ブーフーウー」の狼役として知られていたらしい。永山さんは1971年に新潟から北朝鮮に帰国された。いわゆる帰国事業だ。一時中断する1967年までに第155次を数え、1971年に再開されて1985年まで続いた。この間に海を渡った在日朝鮮人はおよそ93000名。永山さんは再開した際に乗り込んだことになる。
 帰国に際して、本国が在日同胞に見せたものは「地上の楽園」と称される完全就職、生活保障を謳ったものだったが、実際に彼らを待ち受けていたのは過酷な労働の日々であり、少しでも逆らえば収容所送りになる現実だった。あまつさえ帰還者に対する蔑視もあった。ほとんどの帰国者が辿った苦難は想像を超えたものだとされている。
 この本の著者はこう書いている。
「現在に生きる人間は言える。あの帰国事業は失敗だった。いや、失敗という言葉は正しくない。在日朝鮮人を体よく朝鮮に帰したい日本、自国の政治体制の優位を宣伝する手段として利用したい北朝鮮、そんな国の思惑が絡んだ国家ぐるみの壮大な詐欺。そう言った方が正しい。」
 その通りだったに違いない。日本のマスコミはそのような実態についての情報はなかった。当時の映画「キューポラのある街」などでは帰国を祝うシーンが描かれたりしていた。

 本を読み終わった後、永山一夫という人を調べた。その中に驚くことが書かれているページがあった。「零戦黒雲一家」に出演とある。この映画は観た記憶がある。石原裕次郎主演の戦争映画だ。それに出ていたとは。長い間気になっていた役者さんだった。強く印象に残っていた彼が、帰国したということは知っていたが、何という名かは分からぬままに50年も過ぎていた。しかし、よくよく調べてみると、彼が出演したのは映画の方ではなく、64年11月から半年の間テレビで放映された「ゼロ戦黒雲隊」という番組だった。その中で隊長役をやっていたのが永山一夫さんで、記憶がごちゃ混ぜになっていたらしい。



 好きな役者さんだったから、帰国すると聞いたときはガッカリしたものだけど、この小説のおかげで彼の名を知ることができた。やはり彼も帰国後の消息は不明で、親交のあった黒柳徹子さんは安否を気遣っていらしたらしいが、後に彼が亡くなったと報告された。

 こどもの頃、育った街ではそのような気配はなく無縁だったが、朝鮮人に対する蔑視は日本中至る所にあった。学校でいじめられたという話も聞いた。「にあんちゃん」など、在日を扱った映画もあったが、そんなものはたいした力もなく、大人たちはこぞって朝鮮人をバカにした。理由など子供に分かるわけもなく、もし周りにそんな人たちがいたら、僕らもそれに従ったかもしれない。そう考えると砂を噛むような思いに捕らわれる。

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酉年は終わったのに


 以前よく行った遊歩道を久し振りに通ってガッカリした。道は広く整理されて山道を歩くような趣は消えた。そこらの道と同じじゃねえかってなかんじで情緒も何もない。



 しかもこの時期は葉の落ちた樹ばかりが目立って寒々しい。



 ここではカワセミやカルガモと遭遇して「なんてこったい」と驚いたことも度々あった。今日も何かいないかと目を凝らすが、この季節じゃ期待はできない。そろそろ道を逸れて家へ向かわなきゃと思った瞬間、目に入って来たのが救世主というか白い鳥。「オオーッ」ってなものなのだ。
 頭頂部の毛が立って今風の髪形になってはいるが、サギの一種らしい。スナップを何枚か撮り終えたところで「もう、よござんすか」とでもいう風にフワッと飛び上がって消えた。サービス精神豊かな鳥だった。



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時代は頭上を越え


 紅白歌合戦(最早あまりにも古い名称)の視聴率が悪かったとか、いや視聴率が高かったのは何もない時代だっからで、今の時代で考えれば決して悪くない、とか様々な意見があるらしい。視聴率などはどうでもいいが、長時間の生バラエティであって、そもそも音楽番組ではないような気もするわけだ。歌を聴かせるというより、選ばれた嬉しさに幾分上ずりながら、全身で喜びを表現する作り笑顔というか、みんな躁状態で舞い上がっているというか、冷静に見ればけっこう見苦しい。それは過去の同番組の再放送を見ると生々しく浮き彫りになる。「ここはお祭りだし、野暮なことは言わないで、ほらみんなで楽しそうに振る舞うってのがいいでしょ」と白々しく演じているような不気味さがある。結局のところ、カラオケで歌う歌手も多い。芸能のスタンスではなく、音楽に焦点を合わせたやり方は出来ないものかと思う。振り付けなど一切禁止、衣装は自由だが基本は生オーケストラに生歌。カラオケを使わなければならないような楽曲はオーケストラでリ・アレンジする。あくまでも声だけでやれってな話だ。そりゃあ、まあ、何人かの出演者は学芸会規模で自爆することになるだろうけど。コントなどを省けば、出演歌手はもっと増えるし万万歳ってな感じだ。
 歳を取ったせいだとは思いたくないが、「これのどこが面白いってんだ」と首を傾げざるを得ない芸人が毎年一人や二人はいる。昨年はブルゾン何とかという女性芸人だった。シュールな芸だと説明され少しは納得したが、面白い芸だとは思えず、むしろ恥ずかしい芸のような気さえした。大ブレークして騒がれた「君の名は」という映画のテレビ放送を観た。つまらない映画だと非難するものでもないが、筋は粗く、挿入歌は煩わしくあれほど騒がれるものだとは思えなかった。時空を超えた恋愛物語だったわけだが、作った側だってこれほどヒットするとは意外だったかも知れず、制作側が腰を抜かしているような気もする。
 お爺さんたちには分かりませんことよ、などと言われれば否定もできないわけだが、これのヒットは新手の情報操作によるものかと疑念さえ抱くのだ。

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今日は凶



 昼の暖かさは、この時期には珍しいほど心地よく、フラフラと歩いて近所の神社に初詣。夜は夜で、煌々と照らす大きな月が見えた。


 そうか冬は終わりか、ってそんなこたぁないわけだが、まさに新春ってな感じ。しかしながら、お参りした神社でお御籤などをひいたわけだが、これが「凶」げっ、なんだよこれ正月からこんなのありかと驚いた。こういったものを全面的に支持するものでもないが、気分がいいことはなく、前途多難かとうな垂れた。

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