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マウスピース下さい


 昨日は新大久保にある楽器屋でマウスピース調達。



 何本か出してもらい試奏する。試奏するったってガンガン響く狭い部屋で判断できることなど少ない。そりゃあ一時間も吹いていれば違いも分かるかも知れないが、だいたい感だけが頼りで即決する。サブトーンとフラジオ(音域外の高音)さえ何とかなりそうであればそれを買う。



 長い間、オットーリンクというマウスピースを使っている。これは真鍮製で、問題はすり減ること。ある日、息の入り方が狭くなったなあと感じると替え時なのだ。そのまま使っているとキーッというヒストーンが出てしまう。円がまだ一ドル360円だったころ、このマウスピースはとんでもなく高価なものだった。7万円ほどしたのだが今は2万円台で買える。このマウスピースの中古品が高値で売られていたりするのが信じられない。すり減ったものに値段などあるわけがないのに。



 実際、このような狭い部屋で吹いたって微妙な差は歴然とするものではない。使っているうちに鳴るようになるものなのだ。などと言うと、反発するサックス吹きもいるわけで、あるサックス奏者に「だってさ、コンビニにジュース買いに行くような言い方でマウスピース買ってこようって言うんだもんな」と指摘されたことがある。そういう人は試奏に1時間も2時間もかけるに違いない。楽器の細部に対するこだわりはほとんどないと言ってもいい。セルマーのサックスであればどれでも良いといった具合にだ。人によってはネックだけゴールドプレートのものを別途買ったりする。その違いを感じているとしたら、こちらは大雑把な耳で対処していることになる。だいたい本人が言うほどの違いがあるとは思えなかったのだが。マウスピースもよほどの不良品でない限りどれだって同じようなものに思える。ようするにコントロールする側に問題があるような気もする。誰が吹いたって同じ音がするマウスピースなどないわけで、自分なりのコントロールのポイントが見えれば、いつもの自分の音に必ずなる。私見だが、ピアニシモが決まるマウスピースが望ましい。
 さっさと調達を済ませて、帰りに新宿に寄った。



 むかしは新宿駅南口など閑散としたものだったが、近ごろは髙島屋やルミネ、バスセンターなどが次々に出来たせいか、やたら人が多い。この暑さだし、真っ直ぐ歩くのだって大変な雑踏を突っ切ったりしたお陰ですっかり疲れてしまい、帰宅してからダウンした。

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CDと共に


 CDは年々増え続け、1000枚収納の棚に収まりきれずあちこちに散乱する事態になって久しい。手前の簡易ラックはロック系やプリンスなどが並んでいる。棚板が歪んでしまった楽譜のラックの向こうに1000枚の棚がある。



 元々は本棚として買ったものの、本は奥に押しやられ、やはりここにもCDが積み上げられている。ここはクラシック系が並んでいて、一応シンフォニー、管弦楽作品、コンチェルト、室内楽と区分けはされているのだ。オーケストラスコアもこの棚に収められている。



 アンプの下の隙間だって見逃しはしないのだ。



 アナログ盤の時代から繰り返したきた習慣のようなもので、新しいレコードを入手することはとても大切なことだった。上京してお世話になった先輩の西川さんは「金で買えるものは惜しまずに買え。レコードだって何だってそうだ。お金で買えないものがあると分かったとき、そこが出発点になるんだ。」というようなことを最初に仰った。根が単純だから、そうかと合点して次々にレコードを買い求めた。なにせ先輩の言葉だからとの大義名分もあった。金のないときは欲しいレコードがあると、持っていたレコードを質に入れてでも新しいものを買った。高田馬場の「鈴屋」はレコードも質草として認めていたのだ。
 20代の初めはよくレコードを聴いた。プレイヤーとアンプは山水のものを手に入れたが、スピーカーまでは手が回らなかった。そこで日立の16センチのスピーカーを買ってきて、段ボール箱で作ったエンクロージャーに入れた。内側から木ねじで留めるのだけど正面からはねじの切っ先が飛び出ていた。しかし、これはいい音がした、これで聴いたビル・エヴァンスのモントルーライブは絶品だった。毎日のようにターンテーブルに載せ、ほとんどのソロを覚えてしまうほど聴いた。30枚ほどのレコードを繰り返し繰り返し聴いた。ソニー・クリスの「アップ、アップ、&ウェイ」などは今聴くと当時の部屋の記憶がよみがえる。CDの時代になって、当時よく聴いたものをCDで買い直したが、結局あまり聴かなかった。ようするに飽きるほど聴いたものだったから聴く必要がなかったのだ。そんな買い直しも含めてCDは増え続けた。CDを買うことは自分の意欲を奮い立たせるような意味もあった。新しい録音物から聞こえるものに刺激を受け、自分の演奏を力付けしてしていたような気もする。仕事が忙しくなってきて聴く暇がないときでも月に10枚以上のペースで増えていった。聴き方は雑になった。一回聴いてそのままになるものも多かったし、通して聴かなかったものも多い。
 仕事はいい意味でも悪い意味でもストレスだ。ソロのオーダーで呼ばれてコード譜だけを見てソロを吹く。良いラインが浮かべば問題はなかったが、そうじゃないことも多かった。いつも何かを探し求めているような毎日を送っていた。当然のことながら心に余裕はケシ粒ほどしか見当たらなかった。新しいCDをプレイヤーに入れても出てくるのは他人のやったことでしかなかった。物真似をしてもしょうがない。サックスを片手に彷徨うような生活が10年近く続いた。本格的に曲を作ってライブをやろうと考えたのが90年代に入ってからだ。初めのころのライブで必ずやっていた曲はタイトル未定で「92」と仮のタイトルが書かれていた。これは92年ということだった。それを作ってから今年で26年になるわけだ。ライブは98年からだから、20年を迎える。最近は滅多に録音の仕事もなく平穏無事で、ストレスから少しは解放されたことを意味する。
  さてCDだ。昨日、何曲かはお気に入りがあって聴いていたが全曲通すこともなかったヤン・ガルバレクの「RITES」2枚組を聴いた。自分の曲の制作の参考にと思って久々に聴き始めた。以前とは違う聞こえ方がした。曲が進行するにつれ、心に染み入るように思われた。このアルバムでガルバレクは自分のプログラミングしたトラックにサックスをダビングしたもの、マリリン・マズールとエバーハルト・ウェーバーが参加したもの、プログラミングにキーボードを足したもの、唄とオケだけのもの、少年の合唱隊とのもの、様々な編成で録音している。



 そこで聞こえてくるものに感動したってわけだ。色んなタイプの音楽が並んでいることも近しく感じるのだ。そこから聞こえてくるのはガルバレクの「なあ、そうだろう」という言葉のようなものだ。他のものを聴いても言葉が聞こえるような気がするし、音楽の聞こえ方が以前と変わってきたらしい。若いころのような気が戻ってきたのか、しみじみと音楽を聴ける。それにしても、70近くになって初めて、音楽をすること、音楽で生きることが楽しいと思えるようになってきた。幸か不幸かは分からないけど。

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脇役


 女優として長いあいだ活躍された菅井きんさんが亡くなった。役者さんの印象は見た映画で決まるものだが、その判断にはこちらの思い込みも含まれる。むかし、東映映画の刑事物で、突然入った金を使って物を大量に買い、狂ったようにはしゃぐ犯罪者の身内を演じたものがあった。それは薄気味の悪い画面でもあったが、その異様さに感じ入ってこの役者さんのイメージが決まってしまった。黒澤明監督の「天国と地獄」ではドヤ街にたむろするヤク中の女を演じた。ほんの数十秒の登場だったが、この方らしい存在感があった。同じシーンでは先頃亡くなった常田富士男さんも数秒間顔を出していた。菅井さんは後年テレビドラマでの役で有名になった。あまり見ていなかったことにもよるが、あれは自分のイメージしていた菅井さんとは別の人だったように思えた。



 いわゆる脇役とか言われていた方々には唯一無二の存在感を持った方が多くいらっしゃった。古くは伊藤雄之助に始まって、大滝秀治、殿山泰司、名古屋章、常田富士男、高品格・・・・ま、きりがない。その方たちが周りを固めて映画は成立していた。挙げた人物は全員昭和の俳優だが、自分が古い人間だから仕方がない。それで、映画を観る度に「あっ、またこの人だ」ってな調子で見ていたわけだ。

 読響のコンサートマスターだったヴァイオリンの尾花氏に訊いたことがある。「あのさ、セカンドヴァイオリンのパートってあるわけじゃない。あれってさ、その内、昇格っていう言い方は変かもしれないけど、ファーストヴァイオリンになったりするの?」「いや、それはない。セカンドはずーっとセカンドのまま。最初から決まってんだよ。上手くなったからファーストにっていうものじゃないんだ」
 いつも主旋律を弾く立場のファーストのポジションに替わってみたいと思うものでもなく、その役割を不都合に感じるものでもないらしい。とすれば役者の場合もそんなものか考えた。映画での主役の負担は大きいが、その立場を羨ましく思うものでもなく脇役というポジションを演じることに不都合はないと思われる。僕らの生きてきた世界ではちょっと事情が違った。サックスセクション5人を抱えるビッグバンドでは、だいたいトップが技量的に優れたプレイヤーで2,3,4と少しずつ技量は落ちた。もちろん5人とも同レベルであることが望ましいことだが、人材層の薄さもあって大方そのような配分で成り立っていた。ま、チマチマした環境で生きていたものだから格付け的な発想があったわけだ。
 しかしながら、若い頃はリードを支える脇役として演奏していた時代もあった。サックスセクションでセカンドテナーを吹く際に必要なのはリードにピッタリ合わせることだ。アタック、音量、全てを注意深く聴いて寸分違うことなく合わせる。ところが、それも慣れてくるとリードと同じ箇所でミスをするようになった。「おまえ、一緒に間違うなよ」とよく言われたが仕方ない。神経を集中させて合わせていると、リードを聴いていて間違う寸前にそれが分るのだ。「あっ、間違うぞ」と分かった瞬間同じようにミスをしてしまっていたのだ。自分で言うのもなんだが、あれは名脇役ではなかったかと今は思う。

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装い


 数日間はひんやりした風が吹き、突然夏も終わりかと思わされたがどっこい、今日の昼間外を歩いていてあまりの暑さに気を失いそうになった。夏は依然元気なのだ。「だいたい君らは見通しが甘い」と雲が言う。



 こないだまで話題になっていたアマチュアボクシング界の統括者や周囲を呆れさせた日大のスポーツ関連の方々。どう見たって堅気に見えないところが笑えるわけだが、本人たちに自覚はあるのだろうか。虚勢を張って強がっていた若い頃、どことなくチンピラ風の雰囲気を漂わせていた事があるから他人事ではないような気もするが、強がる人はだいたいあのような身なりをしたがるものらしい。プロスポーツ関連の方々はその傾向が強い。むかし度々旅先で遭遇した野球選手のOB達は一様に派手な柄のジャケットを着ていた。漫才師と見紛うほどだった。あれも、オレは普通じゃないんだぜと言っていたに違いない。王選手だけは普通だったけど。昭和の時代、その筋の方々が乗る車はリンカーンなどのアメ車だった。とても分かりやすかった。一般の人が購うことは滅多になかったに違いない。東中野駅前の陸橋でその筋の車に停められて揉め事になっているらしき若い人の車を見た。運転上のトラブルだったと思われる。用を済ませて戻るとまだ揉めていた。恐ろしいことにその筋の車が3台に増えていた。もちろん一台はリンカーコンチネンタルで、辺りを圧倒するような存在感は「その筋見参」という看板付きだったから只事ではすまないという緊迫感があった。あの若者がその後どうなったのかは知りようもなかったが、気の毒なことだった。で、堅気に見えない装いだが、君子危うきに近寄らずというか、あのボクシングの会長のそばに近寄りたいとは普通思わないんだろうし、そこが彼らの目論見の一端でもあって、周りを威嚇しつつ君臨するための職業的な擬態の一種だと考えることもできるわけだ。

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忘れないこと


 たかじんさんの本を読んだせいか、ひと足早く物故した仲間のことをひっきりなしに思い出す。死を扱った本は読むべきじゃない。



 10年も前に突然の電話で知らされたのがギターの塩次さんの死だった。ブルースギターの名手だった彼とは一時頻繁に交流があった。一度は富士山の見える場所に住みたいとか言い、大月の近くに住んでいたことがあった。何度か足を運んだ。部屋の中にはでっかいタンノイのスピーカーが鎮座していた。寸胴の郵便ポストが2つ並んでいるようなものだ。普通の部屋ではフルで鳴らすのもためらわれるような代物だった。「フチヤン、これ、いらへん?」といきなり言う。「えっ、こんな大きいものを、売りたいの?」「いや、ちゃうねん。持っていってくれればありがたいかな思うてな。邪魔やねん」
 当時、自宅で使っていたスペースは8畳ほどだったし、これを置くには狭過ぎる。以前、トランペットの我孫子さんの住んでいたところはウナギの寝床のような細長い部屋だったのだが、彼の家にもこれがあった。圧迫されるような大きさのこれを、小さい音で鳴らしたのでは値打ちが出ないと言い、かなりのボリュームで鳴らしたのだけど、アパート中に響き渡る音に近所迷惑だよなとこちらが心配するのをよそに、「なあに、いいんだよ。そんなものなんだから」と平然と言い放った彼にドギマギしてしまったことがあった。それを思い出して即座に「いやいや、とんでもない。だいたいセダンなどには乗っけられないし、トラック借りなきゃなんないし」と慌てて断った。
 娘さんから来た賀状の返事が訃報だった、むかし散々お世話になったバンマスの寶先さんとは夜店のレギュラーの他にも仕事をした。ある日呼ばれたのは旅館の狭い宴会場だった。6人編成のバンドが畳の間に並んだ。足元はフワフワするし落ち着かないことこの上なく、しかし寶先さんの売りでもあったヴァイブも不安定なまま畳の上に置かれていた。あの気まずい何曲かは忘れられない。
 ギターの松原氏はマツダのファミリアに乗っていた。大阪から同乗して東京を目指すことになり、奥さんとメンバー2人を伴って走り出した。当時の彼は猫を飼っていて、猫も一緒だった。この猫が興奮したのか我慢できなかったのか、いきなりおしっこを漏らしてしまったのだ。狭い車の中で嗅ぐねこのおしっこの臭いこと臭いこと。あまりの臭いに芳香剤のようなものをかけてしまったから、なお一層きつくなるばかり。6、7時間は拷問のようだった。
 ハーモニカの妹尾さんはパソコンの師匠のようだった。マッキントッシュのクラシック2を思い切って買ったのは30年も前のことだ。パソコン本体も小さいくせに20万ほどしたし、それにシーケンサーを走らせるためのソフトや周辺機器でかなりの物入りだった。妹尾さんは噂を聞きつけるや否やすぐやって来た。指導を受けた。しかし、彼は当時自分の子供にも教えていたらしく、教え方が子供の相手のような物言いになった。「あっ、それでね、この手ってマークをね、合わせるんだよ」などと言う。手ってマークって・・・。本人は気付いていないようだったから、笑いを必死でこらえて指導を受けた。
 久し振りに会ったギターの松木さんはライブハウスでのステージに上がる前に白い錠剤を差し出し、「おまえ、これ飲め。落ち着くから」と言う。何の疑いもなくサッサと飲んでステージに上がってから「あれっ、これはなんだ」と気付いた。フラフラするというか、立っているのもやっと。楽器など吹けるのかと不安になる状態だった。「あ、変なもの飲ませたな」と分かっても後の祭り。最初の音出しは息も絶え絶えでかなりヤバかった。それが証拠に客席にいた顔見知りのミュージシャンが表情を顰めるのが見えたのだ。しかし2曲目になると突然元気になって止まらなくなった。それからは会う度に「こいつはこないだオレのステージを目茶苦茶にしやがって」などと周りの人に言う。自分が唆したと言うか、陥れたくせに、などとは思っていても言ってはならなかった。あの錠剤は違法な薬物だったに違いないのだ。
 どうしてかは分からないが、どの人たちも、ステージ上の音楽のことなどは大して覚えていなくて、素顔の部分だけがやけに思い出される。もちろん誰もが音楽的に達人で多くの録音を残され、彼らの音は多くの人たちの記憶に残るなどと言うけれど、自分にとって彼らの音はすでに別物であって、彼らの日常の息遣いが聞こえそうな所作の数々が、まさに記憶に残っているのを実感するのだ。

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