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野菜を食べにゃあいけんよ


 ここ数年は野菜によって季節を知る。昔は野菜の旬の季節など気にしたこともなく無頓着だったが、1日300グラム以上の野菜を義務づけられて止むなく食い、ほとんど十日置きに通う野菜直売所で覚えてしまった。秋も深まるとブロッコリーがのさばり出すってな案配。



 それまで聞いた事もなかった野菜の代表が「つるむらさき」だ。これも緑黄色野菜だということで恐る恐る手に取った。



 少々ぬめりのあるポクポクした食感で、匂いも癖がある。美味いかどうかというとよく分からない、というかゆで立ては悪くないが保存は要注意。タッパに入れて保存すると、癖が強くなって食べにくくなる。しかし、贅沢は言っていられないのだ。なにせ300グラムだ。夏から秋にかけてはつるむらさきが大活躍だが、これからは小松菜の季節になる。ややこしい料理はせずにひたすらお浸しでムシャムシャと食う。レタスは好きだが、緑黄色野菜としては失格だからサニーレタスがメインになる。医者に最近は食べるということが全然楽しくないと言うと、「わかるわー」と笑われた。脂の多いものも遠巻きにするしかないし、塩分はご法度で糖分だって要注意。食べるものは限られて楽しいわけがない。むかし芸能人の結婚式の仕事に係わったヤツがあまりのギャラの少なさに呆れて怒り、パーティ会場にあった伊勢エビを6尾ほど食ってやったと息巻いていたが、そんなことも羨ましがってはいけないのだ。

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 20代のころ、インスタントラーメンをよく食べた。貧しかったというのもあるが、どちらかというと好きだった。野菜を炒めてトッピングしたり、これと御飯さえあれば「よしよし」ってな具合だった。若いころというのは、立ち食いの富士そばをわざわざ電車を降りてまで帰りに寄ったりしたように、特別美味いものを食べたいなどと切に願うものではなかった。腹が一杯になれば何の問題があろうかってな調子だった。もちろんたまには歌舞伎町の「にいむら」で豚カツなどを食べることはあったにせよだ。



 食い物で多少贅沢をするようになったのはツアーで地方に頻繁に出かけるようになってからだったような気がする。ツアーというものはステージとホテルと空港、駅しかない。それは知らず知らずの内にストレスを抱えることになる。仕事そのものがストレスだというわけではない。移動、次の町、ステージ、ホテル、朝から移動、次の町という繰り返しで気分が窮屈なところに閉じこめられるのだ。それを食事で解放しようと考えるわけだ。どの程度の効果があったかは定かではないが、こういうことにかけてはとても熱心なメンバーもいた。ここに来たからにはこれを食べなきゃダメだという風に誘われてそこら中を歩き回ったこともある。昼食に三千円の天丼を食すという無茶ぶりに音を上げて付き合わなくなったけど。
 その土地によっての違いもあった。鹿児島の次が大阪ということがあった。どういうわけか2日連続で焼き肉屋に入った。肉質も値段もほとんど同じで、鹿児島の肉は2倍の量があった。北陸方面を回ったツアーは毎日打ち上げの宴会があった。4日か5日連続でテーブルに大きな舟盛りが並べられた。主催者が違うから仕方ないのだけど、何日も続くとその刺し身の大きな舟盛りを見るだけで「うげっ」となり、お茶漬けでいいのになどと思ったりした。旅先のその土地その土地で美味い物を頂いたはずだが、ほとんど覚えてはいない。

 心臓疾患のあと、塩分を控えるように厳命されて食生活は恐ろしく変わった。スーパーに行くと必ず包装の裏を見る。だいたい塩分量が明記されているから、それを参考に買う。近ごろは塩分控えめの塩まであるから驚きなのだ。食感は普通に塩だが、半分はカリウムで成り立っている。塩分を控えるのは動脈硬化を防ぐというか、そもそも固くなっているのだから元通りというわけには行かないが、これ以上の悪化を防ぐというようなことだ。さて、インスタントラーメンだ。何年ぶりかで食べてみた。懐かしくも美味いものだった。しかし、スープはとんでもない塩辛さで驚いた。まるで塩水を飲んでいるようなものだ。塩分量5グラムなどと書かれている。小さじ一杯の塩だ。警鐘が鳴る。若いころはこんなものを飲み干していたことになる。血管も若いから少々の事にはびくともしなかったらしい。
 栄養士に言わせれば、食餌療法をしている場合は羽目を外していい日などないという。いつも節制しているから今日ぐらいはというのはなく、ダメージは蓄積されるものだから要注意ってなことだ。これが難しい。ちょっとならいいかなどと思ってしまったりするのだ。再発すれば明日はない。食事でペースを逸脱した際には、何をやってんだ的な後悔があとから必ずやって来る。

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食の変化


「あたしゃ、朝飯にみそ汁さえあればいい派だから」ってな言葉を聞くことがある。異論はなく、自分もそれに該当すると思っている。ごはんとみそ汁とお新香、それに納豆でもあれば充分なのだ。それには合わないものだが、コーヒー派だからお茶を飲む習慣はない。山田洋次監督の時代劇を観ると、お茶ではなく白湯を飲むシーンがある。昔の人は食事の後に白湯を飲んでいたらしい。
 さて、みそ汁だ。塩分のこともあり、そう頻繁ではないが、むやみに食べたくなるときがあって、主に揚げと豆腐のみそ汁を作る。



 減塩味噌だし、幾分甘めのものになってしまうが、それでも出来立てのみそ汁には得も言われぬ吸引力があってホクホクとした気分で頂く。これと御飯だけでもいいぐらいだ。ただ惜しむらくは豆腐だ。子供のころに食していた豆腐は、スーパーで売られているパッケージものではなく。毎朝豆腐屋が自転車で売りにきていたものだった。荷台に豆腐の入った箱を括りつけ、プワー、プワ、プワー、プワッ、とラッパを鳴らしながら町を走った。思い出してみると、あの箱の中には水が入っていたし、相当重かっただろうから自転車を漕ぐのだって大変だったはずだ。なんとなくフラフラと走っていたように見えた記憶がある。誰もが鍋などを持ってその豆腐屋を呼び止め、豆腐を買った。パッケージ化された豆腐は何日も冷蔵庫に入っていることがあるが、あの豆腐屋から買う豆腐は保存するものではなく、今か、少なくとも当日中に食べるものだった。大豆の風味が口の中に広がる美味い豆腐だった。製造過程に詳しいわけではないが、にがりの使用などが関係しているらしい。日持ちのいいパッケージの豆腐だが、美味さでは昔の豆腐に遠く及ばないような気がする。ま、それはトマトにしても昔の風味は失われているわけで、いわゆるお年寄りに近い方々にしてみれば、今は何を食するにしても昔の味の何割引きかで味わっていることになる。

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トマト、トマト


 こんなに早く梅雨明けしてこの先どうなるんだろう的展開だが、この暑さでは夏休みだって前倒しするべきだと思ったりする次第。さて、この時期はトマトだ。JAの直売所で山ほどトマトを買ってくる。緑黄色野菜の摂取を心がけていて、栄養士に言わせればトマトはその成分がギリギリの線らしいが、とりあえず夏はトマトということになっているのだ。



 直売所の野菜のほとんどは生産者の名前が書かれている。茨木産だとか長野産と表記されているものもあるが、地元産のものは全部生産者の名入りでの販売。以前はその名前などあまり気にしてはいなかったが、一昨年の冬、ある生産者のトマトがまるでフルーツトマトのような甘味があることに気付いた。2月一杯ぐらいで棚から消えてしまうが、美味しいので見かけたら即ゲットってな案配だった。ネット販売も好調で売れ行きがいいらしく、今年は販売所では見かけなかった。しかし、6月ごろある生産者のトマトがそれに負けず劣らず美味いことが分かった。全体に小振りで人気はなかったようだが、これに気付いてからというものはこの生産者のトマトを優先して買うようになった。トマトは種類も多く「桃太郎」などが有名だが、この方のものは「麗旬」というらしい。酸味は弱く、ほのかな甘味が特徴でもあって、特に出始めのころのコリコリとした食感のものは秀逸だった。同じ品種の他の生産者のものも買ってみたが、同じとは行かず、生産過程に何か独自の工夫でもあるらしい。小振りとは言え、一玉が150グラムほどはあって、一日3コで450と一日の野菜摂取目標300グラムは、トマトだけでも軽くクリアするわけでありがたいのだ。

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牛丼並


 コンビニに行くことは滅多にない。ずいぶん前にコンビニの弁当の危険性を散々聞かされたこともあるし、品揃えが通り一遍の安易さで、文具や本などの専門店を隅に追いやった元凶のようなイメージが付きまとっていたことにもよる。東中野に古くから続いていた書店は、コンビニの台頭と共にやっていけなくなって閉店した。店主によれば、町の書店で売り上げに期待できるものの筆頭は、単行本や文庫本ではなく週刊誌だったらしい。駅の売店しかなかった時代はともかく、コンビニが現れてその売り上げが落ちたそうだ。もちろん、単行本や月刊誌なども売れてはいたが、書店を維持するために週刊誌の売り上げに負うところが大きかったわけだ。
 文具にしてもたいしたものは置いてなくて必要最低限のレベルだが、日常生活ではそれで事足りるもので、町から文具店を追い払ってしまった。それはスーパーが魚屋や野菜屋、肉屋などを追いやった構図と似たようなものだ。どの町にもあったそれらの店は激減した。


 
 しかし、珍しく今日コンビニに入って食関連の品揃えの豊富さに驚いた。弁当はもちろん、サラダや惣菜の種類の多さ。企業努力で進化し続けていることに感心したのだ。埃まみれになっているかと思われる「おでん」の時代から惣菜に力を入れる時代に変わってきているらしい。このままでいけば、その内店内で握る寿司なども販売することになるような気さえしたのだ。
 こんな店が昔あってくれればよかったのにってな感じだ。僕らが20代のころ、コンビニはまだ珍しいものでしかなかった。二十歳の頃、夜中に腹が減ると近所の飲み屋におにぎりを作ってもらっていたくらいだ。当然、たばこの自販機もジュースの自販機も限られた場所にしかなかった。コーラの自販機が近所に出来た時には、飲みたくもないのにわざわざ買いに行ったりした。
 まるで化石時代だった。20代の半ばを過ぎて、参加したバンドでの旅の仕事が増えた。その頃の僕らを支えてくれたのは「吉野家」だった。仕事が終わって町に繰り出すのは深夜近かったし、開いている飲食店は限られていて、なにしろ僕らは裕福ではなかった。関西には「王将」と「珉珉」という餃子の中華店があって、そのリーズナブルな値段も心強い身方だった。
 やがて歳を取り、地方公演の後は主催側の宴会なども増えた。その頃はコンビニがどこの町でものさばっていたのだけど、コンビニで買うのは飲み物類だけだった。
 吉野家に通っていたあの当時に、今のようなコンビニがあれば食生活も変化があっただろうにと残念な気もしつつ、毎晩のように牛丼をパクついていたあの頃が少々切なく愛おしいものに思えたりもするわけだ。

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